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第四章 罪を分ける手

 雨は、昼を過ぎても止まなかった。

 横殴りの雨が校舎のガラス窓を叩く音は、まるで誰かの囁きのように教室を包み込む。


 神崎湊は独り窓際に座っていた。放課後の教室には、もう数人しか残っていない。黒板の上に残るチョークの粉が、湿った空気に溶けてゆく。

 外は灰色——いつも篠原黎が纏う色と同じだった。


 噂の中心に黎の名前が出てから、二日しか経過していない。

 それなのに、彼の席にはもう誰も近づかない。机の上に置かれた教科書は、誰かに蹴られたのか、角が泥で汚れていた。

 湊はその汚れをそっと指で拭った。だが、消えたのは泥ではなく、自分の中の何かの方だった。


 ——守りたいと思っているのに、声が出ない。

 黎の存在を肯定することは、自分が“同類”だと認めることになるのかもしれない。


 そんな恐怖が、彼の喉を塞いでいた。




 「……湊」


 背後から声がした。

 篠原黎だった。

 静かに、まるで雨音の隙間から染み出すように立っていた。髪は少し濡れていて、制服の袖口には泥がついている。

 だが、目は澄んでいた。黎は、あの噂など存在しないかのように穏やかに笑った。


 「帰ろう。傘、持ってないんだ」


 湊は躊躇いながら頷いた。

 二人は並んで昇降口を出た。

 校庭に広がる水たまりが、夕暮れの光を反射して銀色にキラキラと輝きを放ちながら光っている。

 黎が傘をさすと、二人の間に小さな世界ができた。雨の音が遠のき、ただ二人の呼吸だけが近くに感じられた。


「……黎、あの噂のことだけど」

「うん」

「全部、嘘なんだよね? 本当は、あの女の子を——」

「殺してないよ」


 黎は静かに笑った。

 けれど、その笑みは痛みを隠すようでもあった。


 「でも、僕は“見てた”んだ。あの女の子が死ぬところを。何もできなかった。ただ、見てた。それって、同じことだよね?」


 湊は言葉を失った。

 黎の声は淡々としているのに、その奥にあるものは、どこまでも重くそして沈んでいる。


「僕の手はね、汚れてるんだ。助けようともしなかったから」

「そんなの、黎のせいじゃない」

「じゃあ——湊の手は?」


 黎が湊の手を優しく包み込むように取った。

 冷たく、細い指。雨のしずくが指の間を流れる。

「もし、僕の罪を分けたら……君は、僕と同じになるんだろうか」


 その言葉が、湊の胸の奥に鋭く突き刺さった。





 翌日から、黎は学校に来なくなった。

 「家の事情で転校したらしい」と教師が言ったが、誰も信じなかった。

 噂は、彼が“自分で消えた”と形を変えていった。


 だが湊は知っている。

 最後に交わした黎の言葉が、まだ耳に残っている。


 ——罪を分ける手。

 あれは、ただの言葉じゃない。


 放課後、湊は雨の降り出した校庭へ駆け出した。

 ポケットの中には、あの日、黎が握らせた小さな灰色の石がある。

 滑らかで冷たいその石を握るたびに、黎の手の感触が蘇る。


 「黎……君はどこに行ったんだよ」


 呟いた声が、雨の音に掻き消され溶けていく。

 ふと足元のぬかるみの中に、誰かの足跡が見えた。

 それは、まるで二人分の足跡が重なり合って、ひとつになったようだった。




 夜、湊の部屋の窓を叩く音がした。

 外を見ると、誰もいない。

 だが、窓の内側に濡れた手形が残っていた。

 灰色の泥が、指の形のまま貼り付いている。


 手のひらを当ててみると、ぴたりと重なった。

 まるで——“罪”を確かに受け取ったかのように。




 その日から、湊の夢の中には黎が現れるようになった。

 灰色の空の下、黎は言う。


 「ねえ、湊。僕たち、もう離れられないよね。罪ってさ、わけあえるものじゃなくて、混ざるものなんだよ」


 夢から覚めると、手のひらに泥が残っていた。

 現実と幻の境界が曖昧になっていく。


 湊はもう気づいていた。

 “灰色の子”という言葉の意味が、黎ひとりを指すのではないことを。


 ——自分の中にも、その灰色が広がっている。


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