→スイレン:優しい心
「お前の罪を話せ」
何度目かになるかわからない問いかけを、フードをかぶった浮浪者は繰り返した。
その目の前には獣のように暴れまわった青年が、疲れ果て、両手両足を縛られ椅子に腰かけている。血でべっどりと汚れた青年、アルフレッド・ヴァリニ子爵令息は父を超えた瞬間の万能感もエクスタシーも何もかも、突然現れたこの浮浪者に台無しにされてしまったと睨みつける。
暴れまわるアルフレッドを無理やり腕力のみで押さえつけ、劇場の奥の奥の部屋に引きずり込んだ。抵抗するアルフレッドの足を折り椅子に縛り付けたのは拘束というより体が崩れないためらしい。
「なぁ、あんた……何が言いたいんだ?もう散々、懺悔はしてやっただろ。ごめんなさい、申し訳ありません。俺は罪もない村の女たちを攫いました。あぁ、ごめんなさい。これでいいだろう?」
アルフレッドは吐き捨てる。目の前の、薄汚れた図体ばかりでかい浮浪者の男。その男の姿を見た時、アルフレッドは攫った娘たちのうちの誰か、父親か兄が来たのだろうと思った。男はアルフレッドを縛り付けた後、考え込むように少しの間沈黙し「お前の罪を話せ」と促した。
わけがわからないが、相手は自分に何か悔やませたいのだろうとアルフレッドは他人の顔色を窺うことに慣れている。この男の同情を誘うため、悲しい声と表情で自身の生い立ちや父や母のこと、殴られ悲鳴を上げる母子を見えないふりをした使用人たちのことを話した。男の反応は無、いや、「そんなことはどうでもいい」とアルフレッドの片目を潰した。
次にアルフレッドは村の娘たちを「連れてきた」ことを話した。母のぬくもりを知らない自分は、純粋で優しい彼女たちを愛してしまったのだと。けれど村の娘たちは皆、アルフレッドが貴族であることを知るとアルフレッドに金品をねだり、街で遊ぶことを覚え堕落してしまった。もう親元に返すわけにもいかず、自分が彼女たちに仕事を与えてやったのだと、それが男としての責任だと話した。この話はアルフレッドの耳を片方削いだ。
これっぽっちも、微塵も、僅かにも自分が悪いことをした、などアルフレッドは考えない。けれど客観的に「酷いと思われるかもしれないな」と、なんとか絞り出していくつか話しを続けてみる。たとえば病気の息子のために給料のほとんどを仕送りしている使用人に「楽になれる薬だ」と麻薬を渡してやって、それを飲んだ息子が体中の穴から血を流して死んだ。今後その使用人は自分の為に人生を使えるようになっただろうと完全に善意だったのだが、よく考えればその使用人には年老いた母親もいたので薬は二人分渡すべきだっただろう。この話はアルフレッドの膝に杭を刺した。
あれこれ話すが、どれも、どの話も「そんなことはどうでもいい」と浮浪者は一蹴する。聞きたいのはそれではない。もっともっと、お前は悔い改めるべきことがあるだろうと言われても、アルフレッドにはまったくこれっぽっちも心当たりがないのだ。
「俺が何かしたことが、じゃないのか。あんたに、俺が何をしたかってことを知らなきゃ謝れない」
痛みと苦しみはアルフレッドを苛んだが、父親がもうこの世にいないことがアルフレッドの精神を高揚させ続けた。何がなんだかわからないが、復讐じみたことをしようとして自分を痛めつけてくる男を気の毒に思う。何をされても、父親以上にアルフレッドを怯えさせる者などおらず、その父親はもういないのだ。
謝って欲しいんだろうとアルフレッドが言うと、浮浪者は溜息をついた。
「そうか。そうなるのか。お前は本当に、何一つ己の振る舞いに恥じ入るところがないのか」
「自分で決めて納得して選んで何もかもやってきたんだ。誰かが不幸になるから、誰かが悲しむから、なんて精神で生きてちゃ人生を楽しめやしないだろ?」
これから自分は人生が最高になるはずだったんだとアルフレッドは思い返す。そして、あぁそうか、この浮浪者がヴァリニ子爵を殺したってことにすればいいのかと考え付いた。そうすればアルフレッドはただの被害者で、そして悲劇の主人公だ。レイチェルはアルフレッドの為に涙を流すだろうし、友人たちより一足先に爵位を継ぐ自分を、友人たちは羨ましく思うだろう。
「ヴィクトリア様」
「は?」
「ヴィクトリア・ラ・メイ伯爵令嬢。お前は彼女に何をした」
「はぁ?」
思いもよらない人物の名前にアルフレッドは白ける。浮浪者が貴族の名を出すなど不快極まりない。それがたとえあのアバズレであってもだ。貴族として当然の憤りだとアルフレッドは自分に流れる血に誇りを感じつつ、片方しか開かない目で浮浪者を見つめる。
「あいつがなんだっていうんだ?」
浮浪者は自身を伯爵家の庭師だと告げた。庭師。庭師。田舎の弱小貴族の家の庭師はこんなに惨めな姿をしているのかと、アルフレッドは笑う。そして、なるほど、運よく生き延びた使用人が考えもなしに復讐をしようと馬鹿なことをしているのかと合点がいく。貴族に手を出したらどうなるのか、後先も考えない。これだから平民というのは馬鹿なんだ。アルフレッドは父も自分も屋敷に戻らなければ、使用人たちや騎士団の人間たちが不審に思って探しにくることを知っている。今頃この劇場に向かって、いや、もう来ているかもしれない。
時間を稼いでおこうかと、アルフレッドはヴィクトリア・ラ・メイについて面白おかしく話してやった。
「本当に頭の弱い馬鹿な女だったよ。俺が救いの手を差し伸べてやったのに、それが救いだって考えるオツムもないんだ。自業自得だろ?本当に、あいつは前からずっと生意気だったんだ。普通女っていうのは男の影を踏んだり前を歩いたりしないもんだ。なのにあいつは王太子の婚約者だからって自分が偉いもんだと勘違いをしてやがったんだよ。男に従順にしてさえいれば良かったのに、そうじゃないやつは殴って教えてやるのが男の義務だろう?髪を切った時だって、俺はちょっと脅かしてやるだけのつもりだったんだ。大理石の床に頭を打って血を流したあいつが中々気が付かないから、何度か殴って起こしてやって、俺に謝れるようにしてやったのに、あいつは生意気に睨みつけてくるだけだったんだ。俺だって殴りたくてなぐったわけじゃないのに、女ってのは自分が他人に守られてるなんて考えもしないんだよ」
つらつらと、アルフレッドは話し続けた。そういえばヴィクトリア・ラ・メイに関しての事なら、他にいくつかあったなと思い出す。学園に在学中、実家から果物が届いたからと、それを使った焼き菓子をレオニスに渡そうとして、毒見としてアルフレッドが食べてやった。アルフレッドは甘いものが嫌いだし、林檎なんて見るだけでも吐き気がするから、食べたそれをヴィクトリア・ラ・メイのスカートを掴んで吐き出して、残りの入ったバスケットを地面に叩きつけて何度も踏んだ。あの時も、ヴィクトリアはアルフレッドに酷いものを食べさせたことを謝罪しなかった。とんでもない女だ。王太子のサロンで開かれるお茶会にヴィクトリアが出席した際、レイチェルの作法が少し違うと指摘をしたヴィクトリアを王太子が咎めた時、アルフレッドはヴィクトリアの頭に生クリームがたっぷり乗ったケーキを落とした。「変わった髪飾りを付けて王太子のお茶会に参加しているやつがいるな」と笑ってやると、周りの参加者も冷笑し、ヴィクトリアは震えながら退席した。
「まだまだあるぜ?あのバカ女がどれだけ惨めでみっともない学園生活を送っていたか。誰にも相手にされなくて憐れだったか、まだまだたくさん教えてやれる」
アルフレッドは浮浪者、庭師の男を傷つけてやろうとせせら笑いながら言葉を続ける。自分の身体を痛めつけて、目の前にいて自分が強者だと勘違いしている男の心臓を、アルフレッドはぐちゃぐちゃに引き裂く言葉を考えた。この反撃はもちろん、とても効果的で、アルフレッドがたっぷりと臨場感たっぷりに、劇場のパトロンである彼には脚本家の才能もあったのかと思う程、語彙を尽くして、惨めで恥ずかしい伯爵令嬢の話を贈る。
庭師はそれを黙って、じっと、じっと、身じろぎもせず聞いていた。
聞いて、聞いて、聞き終えて、庭師はゆっくりと息を吐く。
「お前を殺す」
「はぁ!?なんでだよ!!」
アルフレッドは反論したが、庭師の動きは的確だった。アルフレッドを天井から逆さに吊るし、その首を軽く切る。傷つけられた血管から血がぽたぽたと床に流れ落ちた。
「半刻ほどで死ぬ」
「おい!!!おい!!!止めろ!!!放せ!!!!!ふざけるな!!!お前、俺にこんなことをしていいと思ってるのか!!!」
「お前が死ぬのはお前がヴィクトリア様を傷つけたからだ。もうお前はそのことだけ、残りの時間考えていろ」
「はぁ!!!?」
アルフレッドは暴れた。庭師の男はひどく疲れたような様子で首をふり、そして被っていたフードがはらり、と脱げ、部屋の明かりでも眩く輝く銀髪が露わになる。
ひゅっと、アルフレッドの喉が鳴った。目がカッと見開く。
「おい!!!おい!おまえ!!なんで、なんで俺が、お前なんかに殺されないといけないんだ!ヴィクトリアがなんだっていうんだ!!あんなやつ、なんだっていうんだよ!!」
取るに足らない女の復讐に、なぜ銀髪の男がやってくるのか。
銀の髪。あれほどアルフレッドが焦がれたその髪色を持つ男が、赤い髪のあのヴィクトリアの復讐をしている。
アルフレッドはパニックになった。そんなのはおかしいだろう。
銀の髪を持つ男は、父の憧れらしかった。
何もかも素晴らしいお方だったと、うっとりと、その話をする時ばかりは父の声も指も優しく、アルフレッドは何度もその銀の髪の男の話をねだった。名前は一度も教えてくれなかった。アルフレッドが知るなどあまりにも恐れ多い素晴らしい方なのだと、教えてくれなかったその男。
なぜ、ヴィクトリアの庭師が銀髪なのか。
吊され暴れるアルフレッドに興味がないのか、そのまま庭師の男は去って行く。
ぽたぽたと流れる血の速度が速くなろうと、アルフレッドの混乱は収まらない。
ぶらぶら、ぶーらん、と揺れる体。去って行く庭師の男の気配が完全に消えてしまってから、アルフレッドの身体はどさり、と、床に落とされた。
「まったく、なんというか、所詮は庭師。復讐者たるには残忍性とはいかなるものか、少々レクチャーが必要かな?」
ゲホゲホと、呼吸を荒くするアルフレッドを足蹴にし、第三の登場人物はふむふむ、と口元の髭をなでつけた。
誤字脱字修正報告ありがとうございます!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!本当にありがとうございます!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!アルフレッドがアルファベットだった!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
なんてこった('ω')
ブクマ・評価・いいね等ありがとうございます。
読者の方の存在で書くモチベーションになる人間なので本当にありがとうございます。