薔薇:1001本→「永遠に」
広場は静まり返り、倒れた信者たちの身体が微かに風に揺れる。メフィストは私を背に庇いながら、まだ荒々しい呼吸を整えていた。この状況でも、レイチェルは怯まなかった。銀の髪が光を反射し、白いドレスは血の赤に薄く染まりながらも、彼女の威厳は失われていない。
「……この程度、なんだというのかしら」
レイチェル、異界の巫女の瞳には私たちに対しての敵意があった。
異界の巫女は倒れている信者に直接手を触れた。耳元で何かを囁き、びくん、と、信者の身体が大きく震える。信者はガクガクと、間節をおかしな方向に曲げながら、無理やり立ち上がろうとした。目は赤く光り、まるで生気を失った操り人形のようだった。
「直接操ろうとしてる……!?」
異界の巫女の歌声が広場に響く。びくんびくんと、信者たちの身体が震え。場の支配者を入れ替えようとしているのがわかった。
「……歌を!」
私は歌い出す。まだ使えるようになったばかりの歌と声は小さいが、周囲の光を吸い込み、空気に響く波動となって広がる。
信者たちの赤い瞳が、徐々に落ち着きを取り戻す。動きは鈍く、やがて全員が再び膝をつき、眠りにつくように倒れる。レイチェルは驚きの声を上げ、目を見開く。
「……何をしたの。どうして、ただの入れ物として造った貴方が、わたくしより強い歌を歌えるの?」
「聖女だからに決まってるでしょ?」
異界の巫女の言葉に、私は前に進む。歌は止めず、光を集めるように胸の中で膨らませる。メフィストの血まみれの身体に手をかざすと、傷が熱を帯び、少しずつ塞がっていくのがわかる。寿命を削らず、周囲の光を借りて癒す。
……元々の、彼女の存在した世界では、これが本来あったはずの「真の聖女」の力のはずだ。
「……カッサンドラ」
メフィストは息を呑み、金の魔眼が光る。私が寿命を消費していないことを確認し、瞳に一瞬の安堵が浮かぶ。だがその表情も束の間、私たちはレイチェルに視線を戻した。手から放たれる光は、まるで波のように広がり、レイチェルを包み込む。
「……いや……こんな……」
レイチェルの足がふらつき、信者たちの意志の力を失った彼女は、もはや立ち向かうこともできない。光が全身を包む中、悔しげな表情で空を見上げた。
「……嫌よ、嫌……!終わりたくなんかない!!どうして……やっとここまで、きたのに!!あの方を、もう、寂しがらせない世界を……!!」
その瞳は、無力さと、自分の思い通りにならなかった悲しみで揺れる。広場の上空には、まだ花火の残り火がちらつき、祭りの喧騒と硝煙の匂いが混ざる。しかし、もはやその力は私たちに届かない。
レイチェルが私の腕を掴んだ。引き寄せて、私を押し倒す。メフィストが引き離そうとしたのを、私は目で止めた。
「あの方を愛しているのよ。世界が終わってしまった。愚かなひとたちの所為よ。あの方がどれだけ美しい世界を作っても、愚かものたちは満足しないで世界を台無しにしてしまったの……!それなら、もうちゃんと、終わらず続いている世界なら……ただ、あの方を愛してもらうだけの世界なら……!」
異界の巫女が必死に叫ぶ。
触れられて、魂同士が重なって、私に彼女の記憶や感情が流れ込んできた。
聖なる神殿。放棄された世界。荒れて崩れて消えていくだけになった世界。
(あぁ、そうか)
異界の巫女と、異界の神がどこから来たのか、私はわかった。
(続けられなかった、物語だ)
誰かが紡ごうと書き出した物語。それが、結末まで「そうして彼ら彼女たちはいつまでもいつまでも、幸せに暮らしていきました」と、そこまで続けられず、停止した世界は崩れるしかない。
続いている物語に、世界に侵食し、自分達の「続き」をと請う。
「……これでおしまい」
私はレイチェルを、異界の巫女を抱きしめた。歌を静かに終え、メフィストに視線を向ける。彼は軽くうなずき、レイチェルの頭に銃口を突きつけた。
銃声が一発。
広場に残ったのは、倒れた信者たち、静けさ、崩れ落ちる異界の巫女の身体。
私は深く息をつき、仰向けのまま空を見上げた。視線の先にはまだ戦いが残っていた。空に浮かぶのは、赤く光る瞳、王冠を頂いた異界の神――レオニス。
ルシウスが傷だらけの体で立ち上がり、剣を握りしめていた。彼の呼吸は荒く、体は血と汗に濡れている。
異界の神が手をかざす。空気がねじれ、赤い光が周囲を染める。彼の手がかざされると、地面が割れ、石畳が振動する。まるで世界そのものが彼の力の下で震えているかのようだ。
ちらり、と異界の神が私たちの方に視線を向けた。
「……」
倒れているレイチェル、異界の巫女を見て、その瞳が揺れる。
その瞬間を見逃さなかったルシウスの声が、轟音と共に広場に響き渡る。剣が光を帯び、神の圧倒的な力に抗う。
私は再び歌い出した。静かで柔らかい旋律だが、光を集め、力を集中させる。神が手を振ると、光の渦がルシウスを押し込もうとした。だが、私の歌と光が、それを阻止する。剣と神の力が衝突し、火花と光の閃光が広場を照らす。空気が裂けるような衝撃が走る。
ルシウスが剣を振るった。赤い光と金色の光が交錯し、力のぶつかり合いが空間を揺らす。私は歌声を強め、光を一気に増幅させた。光が渦を巻き、レオニスを包み込む。彼の手の力は弱まり、体が後ろへ弾かれる。赤い瞳が瞬時に閉じられ、王冠が傾いた。
「……」
その最後の瞬間、私の目には異界の神が無抵抗になったように映った。
ルシウスが一歩前に踏み出し、剣を構え、神を斬った。
*
「……終わったの……?」
私の声が、静かに広場に響く。メフィストが私を庇いながら、疲れ切った表情でうなずく。ルシウスも肩で呼吸しながら、小さく笑みを浮かべた。
広場には、光と静寂が残る。信者たちは眠った。光は穏やかに揺らぎ、戦いの余韻を広場に残す。メフィストは軽く銃口を下ろし、ルシウスは剣を握り直した。
光が穏やかに揺らぎ、広場に静寂が戻る。
だが、その沈黙の中で、突然、レイチェルの身体に入った異界の巫女が立ち上がった。銀の瞳だけはまだ燃えるように強く光、敗北を認めたくないような、しかし力の尽きた表情。彼女はゆっくりと立ち上がり、銀色の髪が風に揺れる。
「あぁ、どうか……この体を神の供物に」
低く、か細い声が広場に響いた。次の瞬間、彼女は松明に手を伸ばすと、自らの身体に火をつけた。炎が瞬く間に白いドレスを包み込み、銀の髪を赤く染める。周囲の空気が熱で揺らぎ、硝煙と甘く焦げた匂いが混ざった。
「っ……!」
人の身体で何してるんだ!?
私は思わず駆け寄ろうとしたが、メフィストが手を伸ばし、ぎゅっと私を抱え止めた。まだ燃える火の中で、レイチェルの表情は歪んでいた。痛みと怒り、そして執念のすべてが、炎に飲まれていく。
彼女の瞳は最後まで私たちを見据えていた。悔しさと未練、そして抗えなかった運命の痛みが光を宿す。火の中で体を揺らしながら、声はほとんど聞き取れないほど小さく、しかし確かに唇が動いた。
「……貴方の願いは叶わない」
とつぶやいた。
炎が彼女を包み込み、煙が天高く上がる。やがて光に溶けるように、銀色の残影が消え、広場にはただ、静かな灰と硝煙の匂いだけが残った。世界は、ようやく自由を取り戻したかのように穏やかだった。
「……まぁ、あんな美少女の身体は落ち着かないし、別にいいわよ」
私は深く息をつき、メフィストの背中に手を置く。ルシウスもまた、剣を下ろし、血と汗にまみれた身体を支えながら、遠くの空を見上げた。メフィストが軽く肩をすくめて笑った。
「やっと……一息つけるな」
ルシウスは剣を鞘に戻し、深い息を吐いた。その顔には疲労が色濃く刻まれている。
灰の中で消えたレイチェルの残像を思い浮かべながら、私は胸の奥で、少しずつ戦いの緊張が溶けていくのを感じた。
静寂が降りる。私はメフィストの腕にしがみついたまま、深く息を吐く。まだ熱を帯びた空気の中で、彼の背中から伝わる力強さが、心を落ち着けてくれる。
「……生きててよかった」
小さくつぶやくと、メフィストはくすりと笑った。
「当然だろ、アンタを幸せにするのは俺じゃなきゃ気に入らねぇんだから」
その声には、荒々しい自信と、少しの安心感が混じっていた。私は思わず微笑む。戦場での恐怖と緊張が、少しずつ溶けていくのを感じた。
広場の灰の中、私はふと、燃え尽きたレイチェルの残像を思い浮かべる。あの微笑みと絶対的な冷酷さ、そして自らの命を異界の神に捧げた姿。
……異界の巫女の魂はどこにいくのだろう?
考えても仕方のないことだが、少し気になった。私という魂があちこち移動したことを考えると、異界の巫女の魂はどうなるのか。
考える私の肩をメフィストが軽く触れて軽く笑った。
「……さあ、俺たちの時間だ。ゆっくり休んで、次の準備をしようぜ?」
「次の準備?」
「決まってんだろ。俺たちの結婚式だ」
プロポーズ大作戦が成功してもいないのに何を言っているのだろうか?
私は首を傾げた。
サラサラと、その瞬間、私の身体が砂のような粒になって崩れ落ちる。
「……あぁ」
「カッサンドラ!?」
メフィストが叫ぶ。ルシウスさえ、驚いて私に駆け寄って来た。
ただ、私の方は冷静だった。
時間切れだ。
この体の時間が終わっていく。ヴィクトリアの仕業、ではない気がした。彼女も本意ではないような、それくらい信じてあげたい。
ただ、私の身体は金の砂になって崩れ落ちて、そうして、意識が途切れた。
*
「……………ひっくり返って目が覚めると、見慣れた天井。マイホーム」
ベッドからずり落ちて、私は都内のマンションの「自室」で目を覚ました。