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3、レンゲソウ:苦痛が和らぐ


「なんだこれは……」


 王宮付き騎士団、ロバート・ラス団長は通報を受けヴァリニ子爵家がパトロンとなっている劇場の扉を開けた。開けた途端、彼の鼻をついたのは強い薬物のにおいだった。以前より耳にしていた違法薬物を使用したパーティーの残骸だろうことは明らかだ。


「全員口と鼻を何かで覆え」


 ロバートは騎士たちがこの薬物の影響を受けないように警告を出しながら中へ進む。夜には美しいバレリーナが踊り、着飾った貴族たちが芸術とは何かを語り自身の博識さを披露する場所らしいが、早朝の朝日の中では別の場所のような静けさがあった。


 劇場のいたるところに若い娘たちが倒れていた。皆意識が朦朧としてはいるが生きている。


「…………君、君、どこの村の出身か、答えられるかね」


 そのうちの比較的意識がはっきりしている娘にロバートは尋ねた。怯えた色を瞳に宿しながらも、素朴そうな顔の娘はロバートのやつれた顔の中に隠しようのない善良さを見出したのか、おずおずと、自分の村の名を告げる。それは王都からずっと離れた、子爵家の領地の中にある村だった。


「街に野菜を届けに行く途中でした。突然後ろから誰かに袋みたいなものを被せられて、それで……」

「ここで何を?」

「あ、あたしは……醜いからって…………羊の役を」


 裸にされて鞭で追い立てられ、犬の仮面をつけた男たちから逃げ回っていたのだという。捕まればひどい目に合う。舞台の袖に、あるいは観客席の椅子の下に引きずり込まれて、動かなくなるまでひどいことをされる。思い出して村娘の身体が震えた。ロバートは騎士たちに命じ、この劇場内にいる娘たちの身元を確認し、しっかり療養させてから親元に返す、あるいは当人が望まなければ王都内で何か仕事を見つけてやるまで保護するようにと命じた。騎士団の団員たちは皆貴族の出であり、使用人を雇う立場だった。何か事情のある若い娘の一人二人引き取れないような薄情者はいない。皆この劇場で、何も知らない無垢な村娘に降りかかった不幸に同情した。


「閣下、少し……よろしいでしょうか」

「なんだね、シリュウ副団長」

「……よろしいのですか。これ以上踏み込めば……」

「子爵の怒りを買う、か?」


 副団長は無言で頷いた。

 もちろんこれまでこの王都の劇場の噂はシリュウも聞いている。だが調査を行うことを貴族の権力により阻み続けられたこと、そして何より、ヴァリニ子爵の背後にいる人物に逆らうことは騎士団の誰もできず、触れてはならないものとして見過ごされてきた。

 シリュウ副団長とて歯がゆい思いをしていなくはないが、ここでパンドラの箱に手を伸ばし、騎士団長が罷免、もしくは何かしらの処罰を受ける方がこの国には、とりわけ国民たちには「悲劇」だと天秤にかけてきた。


「シリュウ、シリュウ、副団長!これを見ろ!これを見て、お前は何も思わないのか!?」

「…………憤ることのできる貴方以外が、騎士団長になった時のことを私はいつも考えてしまうのです。閣下がもし、今のお立場から退けば、一体誰が、薔薇の騎士団の志しを掲げ続けられるのでしょう」

「我らが先代赤薔薇はこれを見過ごすような男を騎士団長の座に置き続けはしないだろう」

「今や薔薇は青く、次の色もどうなるか……」


 シリュウは顔を伏せた。

 しかしロバートはそれ以上部下と問答をする気はなく、劇場の内部へと進む。


「なんだこれは……獣でも通ったのか?」


 奥へ奥へ進むにつれ、異常な光景がロバートを迎えた。華美な壁紙や調度品は剣や鈍器で争った余波を受けてボロボロになり、砕けた高価な調度品の数々が床で煌めく。廊下や階段の至る所に騎士たち、子爵家が抱える騎士団の騎士たちが横たわっていた。肉を抉られ絶命しているもの、頭を潰されたもの、人と争ったというよりは災害が何か生き物の形を取ってここを行進していったような凄惨な有様だった。わかるだけで二十人以上がこのような殺され方をしている。


 彼らの顔には皆恐怖の色が浮かんでおり、かつて先代皇帝と戦場を駆けたロバートは、一体何と相対すればこんな顔で死ぬのだろうかと想像することもできなかった。


 部屋の一番奥、支配人の事務所に入り、ロバートは思わず目を見開き、動きを止めた。


「……アルフレッド・ヴァリニ公子?」


 王太子の側近の一人であり、ロバートも顔見知りの青年だ。先日の学園の卒業式のパーティーで行われた「ちょっとした出来事」では、ロバートにとって忘れがたい振る舞いをした人物の一人でもある。


 その子爵令息は部屋の中で、椅子に腰かけ死に絶えていた。その口からは短剣の柄が出ており、椅子の背もたれまで貫通した刃が公子を椅子に留めていた。その短剣には見覚えがある。


「……先代皇帝の紋章入りの短剣……王太子殿下が所持し、あのパーティーでラ・メイ伯爵令嬢の髪を切ったものか」


 ロバートは嫌な記憶を呼び起こし、自分の頭を振る。騒動の発端は未熟な精神の伯爵令嬢の嫉妬からくるものだったと聞いているが、それにしても、嫌なものを見せられたと今でも思っている。


 学園の祝いの為に開かれたパーティーで、卒業生たちが集う大広間。その中央に引きずり出され、床に体を押し付けられた若い娘。いくら聖女を害し、殺そうとした性根の歪んだ娘だったとしても、大勢の前で罵られながら、その髪を切り刻まれる必要があったのだろうか。


 この子爵はその役を「名誉だ!」と王太子殿下より賜り……いや、あれは自ら立候補していたのだったか。とにかく、意気揚々と身動きが取れない令嬢の背に馬乗りになり乱暴に切り千切った髪を生徒たちに掲げて見せた。


 その時の短剣を王太子より下賜されていたのだろう。それが自分を傷つける凶器になるとは。


「……うん?これは……薔薇か」


 ロバートは絶命したアルフレッドの手が一輪の薔薇を握りしめていることに気付いた。棘の処理もされていない無造作な、野に咲くものをそのまま無遠慮に掴んだようなあとだったが、体の痛みに反射的に握ったのだろうか。


 とにもかくにも、このおぞましい惨劇の犯人は不明。子爵家公子の「貴族の遊び」は瞬く間に民衆の知るところになるが、だからと言ってここで行われた殺人事件を解決しなくていい理由にはならない。


 ロバートは王都の治安を預かる騎士団長の一人として、ここで何が起き、誰が何をしたのかを明らかにしなければならないと自身に言い聞かせるのだった。


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