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薔薇:12本→「私と付き合ってください」


「ッチ、お遊戯会じゃねぇんだぞ……」


 もう少し気張ってみろよ、とメフィスト・ドマは舌打ちした。建国記念の舞踏会のざわめきひとつコントロールできない人間が王太子とかふざけているのか。仕方なしに、彼は静かに歩みを進め、重厚な黒のマントをたなびかせながら、群衆の注目を軽く手で掬うかのように受け止めた。誰もが彼の身のこなしに目を奪われながら「あ、こいつは悪魔だった」と正気に戻ろうとする。


「皆様、少し肩の力を抜いていただこうか」


 メフィスト・ドマの声は低く、しかし明瞭に響き、舞踏会場の緊張した空気を切り裂いた。言葉に伴って、彼の手元には黄金の箱が置かれている。それを開けると、光を受けて微かに赤く輝くワインの瓶が顔を覗かせた。一本だけではなく、周囲の執事が運ぶ小さなワゴンには、参加者全員に行き渡るだけの数が整然と並べられていた。クリフトン伯爵家にてエリック・ドマが参加者に秘蔵のワインを振る舞ったことは知られており、新しく公爵位を継いだこの若き当主もそれに倣っているのだろうと思われた。


 貴族の中にはメフィストへの嘲笑もあった。貴族たちはドマ家の没落を望み、これまでの悪事の清算をするのだろうと期待したが、こうしてレオニスにすり寄る姿勢は彼らにとって良い見世物だった。


「ただのワインではございませんよ」とメフィストは柔らかに微笑む。「この一杯で、皆の心を少しばかり揺さぶることができるのです」


 瓶を一本手に取り、ゆっくりと開栓する。香りは芳醇で、どこか懐かしいようでいて、独特の深みを帯びていた。メフィスト自らグラスに注ぎ、光の反射が液面を揺らす。表面には微かに赤い光の模様が浮かび、まるで小さな炎が踊っているかのようだった。


「皆が信じるもの――王家の威信、信仰、忠誠心。それらは時に最も恐ろしい武器になります」


 メフィストは軽く笑みを浮かべ、グラスを掲げた。


「しかし今夜は、少しだけ――その心を楽しませてもらおう」


 なるほどこの言葉は、ルドヴィカと帝国の王太子、そして薔薇の大君の色を持つ者、三人の関係を示しており、芳醇なワインを片手にそれらがどのような決着をつけるのか、我々は観察者になれということかと貴族たちは判断した。


 メフィストの言葉に促され、レイチェルはレオニスにグラスを手渡す。この急な展開に、まるでメフィストが主人公のような振る舞いにレオニスは一瞬たじろぐが、レイチェルの花のような微笑に安心し、慎重にグラスを受け取った。


「一緒にお祝いしてほしいの。今日、わたくしは王太子妃として皆に認めてもらうんだもの」

「……レイチェル」


 レオニスは感動した。この空気の中で未だにレイチェルだけはレオニスが真に愛し求めているのは自分だと信じてくれている。これほどの信頼と愛を寄せられていて、なぜ自分は王太子として彼女に与えられるものをすべて与えられないのだろう。レイチェルの胸に輝く黄色い宝石がレオニスには忌々しかった。


 ゆっくりとワインを飲み干すと、レオニスの心に勇気がわいてきた。このワインは自分とレイチェルの婚約を祝うものとして振る舞われるべきだ。強く決意し、そして再びヴィクトリア・ラ・メイに向かい合う。


 だがそこで、階段の上から皇帝クラウディアの入室を告げる音楽が流れた。貴族たちは皆、自分達が観客ではなく帝国の忠実な家臣である顔で恭しく皇帝陛下を迎えるための礼を取る。


「王太子」


 舞踏会に現れた皇帝は、一番にこの建国記念のパーティーについての言葉を述べるべきだった。だが現れた中年の女性は胡乱な目で王太子レオニスを見下ろすと、咎めるように息子を呼びつける。そうして元の道に戻り姿を消してしまうのだから、レオニスについてこいと言っているのは明白だった。


 明らかに、確実に、レオニスを咎めるつもりでいる皇帝の姿に、貴族たちは冷ややかな目を向ける。


 母に、皇帝に呼ばれてはいかないわけにはいかない。レオニスはレイチェルの手を引いて歩き出した。



「わたしも飲みたい……」


 折角だし、とカッサンドラは給仕の配るワインに手を伸ばそうとした。ヴィクトリア・ラ・メイとして振る舞う今だが、一杯くらいいいだろうという気持ち。一緒にいたクロヴィツはクラウディアを追いかけて行ってしまったし、カッサンドラを咎める者はいない。


「おっと、アンタはこっちだ」

「うわ、メフィスト」

「なんだその顔、毒なんか入ってねぇぞ?」


 ワイングラスを手に取ろうとしたカッサンドラの手に、メフィストがジュースの入ったグラスを握らせる。オレンジジュースか何かだろう。良い匂いのするワインと子供だましのジュースを見比べてカッサンドラはムッと顔を顰めた。メフィストに対して警戒心がないわけではないが、こんなに大勢の人目がある場所であることと、これまで自分に接してきたメフィストの言動からの「まぁ、そう酷いことはしないだろう」という楽観視。


 オレンジジュースを飲むと、爽やかな柑橘系の果実の香りが鼻を通った。ミントも混ざっているのか口当たりも涼しくて気分も良くなる。


「気に入ったみたいだな」

「飲みたかったのはワインだけど」


 今はそれで我慢しとけと、メフィストがカッサンドラを見て目を細める。


 会場は王族が不在ということで、場を取り持たせるわけではないだろうが思い出したかのように音楽が流れ始めた。歓談し続けても話すネタと言えばレオニスと聖女とヴィクトリア・ラ・メイ伯爵令嬢の話だろう。


 当たり前の仕草でメフィストが手を伸ばし、カッサンドラとダンスホールの中央に進み出た。悪魔と名高いドマの男が、渦中の伯爵令嬢、未来の王太子妃候補ともいえるヴィクトリア・ラ・メイのファーストダンスを手に入れたということは、当然人の目を引いた。


 メフィスト・ドマはカッサンドラの手を取り、ダンスホールの中央へと進む。煌びやかなシャンデリアの光が若い男女の影を大理石の床に映し出し、まるで黒と赤の炎が床を滑るようだった。


「折角なんだから楽しもうぜ?カッサンドラ」


 メフィストの声は低く、耳元にささやくように響く。カッサンドラは少し驚いたが、その声に促されるまま自然と身を委ねた。


 最初の一歩。メフィストのリードは絶妙で、彼女の体をわずかに導くだけで、回転やステップが華やかに連なっていく。舞踏会の喧騒の中で、まるで二人だけの世界が存在するかのような錯覚を覚える。


「……自分が踊れることにびっくりしてる」

「ははっ、そりゃそうだろう」


 その体はヴィクトリア・ラ・メイのものだ。骨身に染みて礼儀作法が身についているんだろうとメフィストは笑った。次の旋回。二人の動きは滑らかに、まるで水面を流れるように連続する。メフィストの手はカッサンドラの腰に優しく添えられ、腕の力は微塵も強くない。だがその指先には、冷たくも支配的な感触が潜んでいた。


 抱き寄せられながら、カッサンドラは妙な安心感を覚えた。メフィストについて、友人の忠告や、どう考えても危険な男であることはわかるのだが、やっぱりこの状況でも「敵」認定がしきれない。


 踊る男女を眺める会場の他の貴族たちは、二人の姿に目を奪われる。メフィストの黒いマントとカッサンドラの赤い髪、そして回転する姿の中に浮かぶ表情の対比は、まるで舞踏会を支配する一幅の絵のようだった。


 旋律は次第に高まり、二人のステップも速度を増す。メフィストは完璧なリズムで彼女を回し、空間に余裕を残しながらも、観客の視線を自然に二人へ誘導する。ダンスとは単なる踊りではない。戦略、心理、そして魅了の道具でもあることを、彼は静かに示していた。


 一瞬の止め、二人は向かい合う。カッサンドラの瞳がメフィストを見据える。闇の中に漂う軽い微笑。メフィストもまた、わずかに笑みを返す。


「楽しめたか?」

「すっごく」

「そりゃよかった」


 旋律が最後の和音に向かう頃、二人はゆっくりと停止する。周囲の拍手は途切れず、視線は二人の優雅さと緊張感に釘付けだ。メフィストはカッサンドラの手を軽く握ったまま、優雅に頭を下げる。カッサンドラも礼儀正しく応じつつ、その心には妙なざわめきが残った。


 舞踏会の華やかさ、周囲の注目、そして二人だけの微妙な距離感。それらが混ざり合い、さて次の動作はとカッサンドラが考えた直後。


 一斉に、一同に、周囲から同時に、ガラスの割れる音がした。


「!?」

「おっと、あぶねぇな。破片に気を付けろよ」


 ひょいっと、メフィストがカッサンドラを抱き上げてテーブルの上に座らせる。


 人々の悲鳴、呻き声、喚き、パーティー会場は一瞬にして地獄絵図に切り替わった。


「!!? え、え!何!?毒殺!?」

「おいおい物騒なことを言うなよな。毒なんか盛ってねぇよ。ただまぁちょっと、聖女様の依頼でな。ちょっとばかし、苦しいだけだ」

「ちょっとばかし!?」


 血反吐を履き散らす貴族たちに、カッサンドラは顔を引きつらせる。明らかにメフィストが振る舞ったワインが原因であるのは明らかだった。


「メフィスト、貴方………………」


 何をしたのかとカッサンドラは問おうとして、自身の記憶、知識をすり合わせる。


「もしかしてこれが……伝染病?」

「……へぇ」


 カッサンドラの、日本人の記憶。ルシウス・コルヴィナス卿が王都を更地にしたあとの後日談。国はきれいさっぱり滅びる。伝染病で、だ。


 余談、後日談、物語としてはさして意味のない描写、ついでのついでとばかりにさらっと書かれたものだったが「とどめか」と思ったので、このタイミングで思い出した。


「あぁ、そうだ。 赤く輝く液体はただの酒じゃねぇ」


 面白いだろう、と、メフィストはテーブルの上のワイングラスを傾けて笑う。子供が悪戯を披露、自慢するような無邪気さだった。


 阿鼻叫喚、人が苦しむ音をBGMにしながら、メフィストは急に真面目な顔したかと思えば、何度か口を開きかけ、閉じる、ということを繰り返した。


 先ほどまで主演男優のように堂々としていた男とは思えない妙な様子。


「なぁ、カッサンドラ。……その、なんだ」

「……?」


 この凄惨な有様を作り出した男が言いよどむことなどあるのだろうか。カッサンドラは首を傾げる。


「くそっ、可愛い顔しやがって……」


 頭大丈夫か。


 呻く貴族たちは、呻きなれてきたのか、痛みにのたうち回りながらも自分たちを苦しめた悪魔が「なんかやろうとしているぞ」ということに、近くに転がっている者たちは気が付いた。


 会場は変わらず地獄絵図である。髪を掻き毟る淑女はいるし、胃の中の物を全て吐き散らす紳士もいる。だが、もがき続けるのも飽きてくるらしく、貴族たちは苦しみながらもメフィストの様子を眺める余裕が出てきた。さすがはドルツィア帝国の貴族である。


「なに、どうしたの?」

「……その、なんだ。俺たち、付き合わねぇか?その……結婚を前提ってやつでよ」


 言ったーーーー!!


 この状況で、何を言いやがってるんだあの悪魔はと、多くの貴族は思った。自分達を苦しめている容疑者筆頭、推定加害者、確実に実行犯であろうメフィスト・ドマの告白シーンを見せつけられて、貴族たちは「ふざけんな」と思った。


「え、嫌だけど」


 振ったーーーーー!!


 当然と言えば当然だが、突然悪魔に交際を申し込まれた赤い髪に青い瞳の令嬢は、申し出を却下した。


「……ア?」


 断られるとは思っていなかったのか、あるいは相手が自分の意に反する言葉を放ったのが気に入らなかったのか、メフィストの金色の瞳が鋭く光る。


 貴族たちは赤い髪に青い瞳の令嬢、彼らにとってはヴィクトリア・ラ・メイにしか見えない令嬢に全力で逃げろと叫びたかったが、血を吐き続けた貴族たちの喉はすっかり枯れている。


「……聞き間違いか?」

「え、嫌だけど」


 カッサンドラは一言一句、声のトーンも全く同じ調子で、聞き間違いではないことを主張するために繰り返した。


 突然何を言っているのか理解できない。


「付き合う、なんでメフィストと?」

「ッチ……愛してるからに決まってんだろ」


 ギリギリ瀕死状態の貴族たちは「とりあえず死なない状態」ということがわかり、カッサンドラは落ち着くことにした。


「今、そういうことを考えてる場合じゃないのよ」

「じゃあいつなら考えるんだ?五分後か?」

「思ったより早い時間指定」

「いいから答えろよ。いつなら考えるってんだ」

「この状況わかってる?メフィスト」

「あぁ、わかってるつもりだぜ?」


 メフィストはレオニスがこのままだとルシウス・コルヴィナスに殺されるんだろうと言った。それがなんだ、という口ぶりである。


 カッサンドラは微妙そうな顔をして、一度眉間に指をあて、ここは日本人らしい回答をしようと口を開く。


「一度持ち帰って、前向きに検討してみます」



 


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