薔薇:10本→「あなたは完璧」
この日まで間に合わなかったな、とレオニスはやや落胆していた。先代の頃から騎士だという騎士団長は、今日までルシウスを捕えることが出来ず、一度追い詰めたことは報告を受けたが、その後は姿を見つけることすらできなかったという体たらくだ。
「王太子殿下、コルヴィナス卿は……殿下のお味方はなさらないかと存じます」
自身の無能さを顧みず、ロバートは厚顔無恥にもレオニスを咎めるようなことさえ口にした。
「……そもそも、コルヴィナス卿は世直しのために王都に現れたわけではないようです」
「ではなんだというのだ?他にどんな目的があり、貴族を殺し、王室を脅かしているというんだ」
「…………私怨だと」
「……は?」
何を言っているのだとレオニスは呆れた。だがロバートは真剣な顔で言葉を続ける。なんでも、ルシウス・コルヴィナス卿はヴィクトリア・ラ・メイの名付け親だったと、全ては王太子殿下が「悪役令嬢」としてヴィクトリア・ラ・メイ伯爵令嬢を断罪したことで起きている復讐劇なのだと、神妙な顔で告げた。
「…………君には失望した。騎士団長」
説明を聞き、レオニスはうんざりとした。つまりロバートはレオニスとルシウスが手を組むのを邪魔したいのか。黒薔薇の玉座を疎んでいると思ったが、こちらに手を貸すのも嫌だという反意ありの言動だとレオニスは判断した。
吟遊詩人に謡われる程の人物が。
先代薔薇の大君の信頼の厚かった大将軍が。
数々の功績を残してきた偉大なる人物が。
そんな理由で?
であればただ「人殺し」ではないか。
「つまり、ロバート・ラス騎士団長。卿は、これはただの私怨による殺人だと言いたいのか」
あまりにも英雄卿を侮辱していると感じ、レオニスは「あぁ、そうか」と納得した。「騎士団長」という立場にとって民衆に求められる英雄卿は邪魔なのか。なるほど、そういうことならと自分の察しの良さにレオニスは満足した。
ロバートを退室させ、レオニスは考える。
しかし、もし、本当にルシウスがヴィクトリアの名付け親だったとしたら?
レオニスはそれが自分とルシウスが今後上手く手を組むための障害になるとは感じなかった。
一般的な考え方、価値観として、親と言うものは愚かでも子供を盲信し庇うものらしい。レオニスにはわからない感情だが、もし自分とレイチェルの間に子供が生まれたら、そのような感情を理解できるかもしれないと、そんなことを頭の隅で考える。
ただルシウスはヴィクトリア・ラ・メイの実の親ではないだろう。血がつながっていない、名付け親だというだけなのだ。もしかすると、義理堅い英雄卿は名付け親の責任として、名付け子のために何かするべきだと行動しているのだろうか。確かに、アルフレッドやそのほかの連中は素行が良いとはいいがたいから、何かルシウス・コルヴィナス卿が彼らに接触し、苦言を呈した時に無作法な言動を取って英雄卿の怒りを買った可能性もあるのではないか。
レオニスはルシウスと会うことがやはり重要だと、その考えをさらに強くした。
誤解を解く必要があるのだ。
レオニスはルシウスに、いかにヴィクトリアが「良くない女」だったのかを、自分こそが伝えることができると感じた。実際にヴィクトリアを疎ましく思うほどの振る舞いを受けてきた自分だからこそ、復讐の念に捕らわれている英雄卿の目を覚まさせて、正しく薔薇の剣となる役目を取り戻させることができるのだと。
「……そういえば、ドマ公爵家に娘がいたという噂があったな」
ふむ、と、レオニスは思案する。
もちろん建国記念のパーティーでは自分とレイチェルの婚約発表を行うつもりだった。神殿に根回しも済んでいる。皇帝陛下から直接の承諾は頂けていないが、その場に神殿の神官たちが大勢参加し、レイチェルを、彼らの聖女を祝福している中で異を唱えることは、今の皇帝の力では不可能だ。
「レオ……!あぁ、その姿、とっても素敵ね!」
「レイチェル?」
部屋の入室を求めるノックの音と、それが最愛の女性のものであることをわかっていたレオニスだったがあえて驚いた表情でレイチェルを迎えた。銀の髪の美しい少女はレオニスの腕に飛び込み、夢の中にいるように微笑む。
レオニスは王太子の礼装に着替えていた。今は僅かな休憩時間だ。その合間を知ってレイチェルがレオニスを癒しに来てくれたのだろう。恋人の身体を抱きしめ返し、レオニスは微笑む。
「貴方もその装いが大変お似合いですよ」
「ふふ、ありがとう。でも……」
「何か気になることでも?」
妖精族を捕えて今日まで不眠不休で織らせたドレスに何か不備があったのか。レオニスは不安になった。王太子妃にしか許されない色を使ったドレスは美しくレイチェルにとても似合っているのだが……。
「宝石が足りないと思うの。王太子妃には黄色いダイヤの指輪が必要だって……侍女たちが」
「あぁ……」
それは確かにそうだった。
王太子妃の装飾品は黄色いダイヤモンドと決まっている。だが色付きのダイヤは希少価値が高く、その上王太子妃に相応しい大きさとなると、いくらレオニスでもすぐに十分なものは集められなかった。王室の所持品として在るにはあるのだが、今の時点で持ち出すことはできず、代わりに他の黄色い宝石で装飾品を用意させた。ダイヤではないが、どれも十分に高価なものなのだ。遠目には黄色い輝きに違いはないと、レオニスはレイチェルを安心させようと説明する。
「ダイヤじゃなきゃ嫌だわ……代用品だなんて……まるで、わたくしが代用品のように思われたら……」
はらはらと、美しい涙をこぼすレイチェルにレオニスは慌てた。その涙を固めて宝石にできればよいのにと思う程、泣く顔も美しいと、婚約者に囁き涙を指で拭う。
「イチャついてるとこ悪いが、困りごとだろう?」
「……なぜ貴様のような者がここにいる」
「友達なんだよ、なぁ、レイチェル」
部屋の扉の前に、いつのまにか悪魔が立っていた。いや、悪魔のような男だが、人間だろう。黒い髪に金の瞳の、レオニスより年上の青年。ニヤニヤと他人の不幸を面白がっている顔をして黒ぶち眼鏡の奥の眼を細めるメフィスト・ドマ。レオニスも面識がある。ただドマと関わることで自分の評判に少しでも傷がつく事は避けたかった。
親しげにレイチェルの肩を抱くメフィストにレオニスは一歩進み出て「無礼だぞ」と牽制する。
「王太子妃に触れるな」
「まだ違ぇだろ」
「だが私の婚約者だ」
「てめぇが言ってるだけだろ」
王太子にこんな口を聞いていいのかと、部屋に控えている他の人間は震えたが、王家の権力を理由にメフィスト・ドマを咎めることなど無意味だった。ドマに名誉も財産への執着もなく、牢に入れることが出来たとして、刑罰が当人になんの負の感情や影響を与えられない。形式的に行ったところで、関わった人間が後々面白半分に報復されるだけだった。無礼を黙認している方が被害が少ない。
「……確かにレイチェルは魅力的だが」
「俺の好みじゃねぇよ」
「彼女の何が不満だ」
「面倒くせェやつだな……俺は嫁にするやつが決まってんだからガタガタ抜かすなよ」
ドマの公子、いや、今や公爵か。たしかに公爵家の人間に婚約者がいないのはおかしいか。レオニスは納得した。その相手が誰かはレオニスも知らないが、好んでドマに入りたがるような女は地方の豪族か、あるいは婚約している事を周囲に知られ家門に影響が及ぶのを恐れて秘匿しているのかもしれないと考えた。
「まぁ、メフィスト。あなた婚約者がいたの?」
「あぁ。まぁな。これから告って付き合っていいとこ見せてプロポーズする予定だ。式には呼んでやるよ」
「………」
「………」
レオニスとレイチェルたちは互いに社交用の笑顔のまま停止した。自信たっぷりに「ガキの名前も決めてあるんだ」と言うメフィスト・ドマの眼は本気である。これは片想い、あるいは思い込みをしている男の妄言ではないのかとレオニスは思うが、ドマに、魅入られてしまった時点でその憐れなどこぞのご令嬢の未来は確定しているのだろう。
「おい、なんだその目は二人して。まぁいい。それで、おめでたい二人にドマ家かちょっとした提案だ」
パチン、とメフィスト・ドマが指を鳴らすと、控えていた黒服の使用人が一人前に進み出て宝飾品を入れるためのケースを差し出した。確認するようにと目の前で開けさせれば、そこには王室が有しているイエローダイヤモンドの宝飾品に負けずとも劣らない見事な品々が収められている。
「……………どういうつもりだ?」
レオニスは警戒した。これほどのものを善意で寄越すような男ではない。レイチェルはすっかり目を奪われて、嬉しそうにそれらを手に取っている。愛しい人の幸福そうな姿はレオニスの心を穏やかにした。ドマの毒であっても自分は上手く扱える、そのように思うことにした。それに、相手はドマと言っても、自分とそう歳の変わらない青年なのだ。薔薇の大君の時代を知るエリック・ドマではなく、まだ若い新当主。ドマを従えることができれば、それは薔薇の大君と同じことをしたことになる。ドマ程度を御せずになにが皇帝だろうかとレオニスは頷いた。
「……思惑が何であれ、受け取ろう」
「おいおい、誰がやるっつったよ。やるわけねぇだろ、いくらすると思ってんだよ。レンタルだよレンタル。どうせ結婚しちまえば王室のモンが手に入るんだから、いいだろ、借り物で」
確かに、贈呈されるのではなく一時的な借り物ということなら、ドマに作る貸しも小さい。レオニスは頷いた。メフィストはにっこりと人好きのする笑みを浮かべて、丁寧に作られた重厚な黒革の契約書台帳に挟まれた「借用書」を見せてきた。
「……具体的な品の名称が記載されていないが」
「何かあった時にアンタが不利になるだろ?ドマからイエローダイヤを借りたなんてさ。こういうのは書かねぇ方がいいんだよ。もちろん、アンタはバックレるような男じゃないからこっちが不利になるような書き方をしてるんだ」
その評価をレオニスは気に入った。ドマの当主がレオニスに対して、あくまで取引上のものではあるが信頼あるいは評価をしているということだ。
内容はメフィスト・ドマがレイチェルに貸したものを本日この署名した時から二十四時間以内に返却するというものだった。
レオニスが署名しようとすると、メフィストがそれを止めた。
「貸すのはレイチェルなんだ。署名はレイチェルがするべきだろう?」
「私の名義で借りる」
「アンタの信頼で貸してやるんだが、ここにアンタの名を入れると「アンタに貸したもの」になっちまう。品の名を書かずにいても、俺とアンタの何かしらの取引があったことを残すのはまずいだろ」
「……」
「レオ、わたくしは構わないわ。こんなに素敵な物を手に入れられるのだもの」
にこにことレイチェルは微笑んで署名を行った。契約成立だな、と嬉しそうに笑うメフィストが二人を祝福する。
「あぁ、お似合いだなアンタら。婚約発表はもうすぐにするんだろ?楽しみにしているぜ」




