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→キキョウ:永遠の愛「あなたの帰りを待っています」


 震える声で売春宿の主人がルシウスを案内したのは、地下牢のような薄暗く汚らしい、汚物と体液の臭いの充満した部屋だった。ルシウスはこの場所にたどり着くために血塗れになった全身と濡れた剣を布で拭う。腕と耳と片目が無くなった主人はその仕草を見て、そんな程度であんたの血の臭いがなくなるもんかと思ったが、売春宿でもう動ける者が自分しかいないことを知っていて口を噤んだ。


 一番奥の部屋の隅に、両足を鎖で繋がれた若い娘がいた。


「お嬢さま!」


 すぐさまルシウスはヴィクトリアに駆け寄り、ヒュッと、息をのんだ。十六年前まで戦場を駆けまわり、英雄狂い、ザームベルグの怪物と言われるほど多くの死と、そして残忍な場面を目にしてきた男が戦慄した。


「……………」


 両目が潰され、二度と開かぬよう糸で縫い付けられ、指の爪は全て剥がされている。髪は引き千切られ、かろうじてついている頭皮がぶよぶよと揺れ、薄い下着姿の身体は無傷な部分を探すのが難しいほど、変色していた。床には血と体液が混ざりあったものがこびりついて固まっており、抱き起した反動で無残な、僅かに呼吸音を発するだけだったヴィクトリアが唇を震わせた。


「…………お……じ、さ……ま?」

「……はい!はい!お嬢さま、ヴィクトリア様……!庭師のルシウスでございます……!!」

「……おじ、さま……」


 ルシウスは震えるヴィクトリアの身体に毛布を被せ、しっかりと抱きしめた。ヴィクトリアは何度か「うそ」「ゆめ……」「また、ゆめ」とうわごとのように繰り返し、折れた指と手首を必死に動かして、ルシウスの身体が消えてしまうのを恐れるかのようにゆっくりと触れた。


「ごめ……ん、な、さい……おじ、さま」

「何を……」

「いた、だいた……お花を、手放し、て……しまったの」


 ルシウスは言葉を失った。

 自分がヴィクトリアに渡した白薔薇についてなら、溢れ出る噂話の中に登場しており確認している。悪役令嬢ヴィクトリアは、聖女レイチェルが妖精たちから贈られた白薔薇を欲して手を伸ばしたと。赤い薔薇は先代皇帝陛下の象徴。白い薔薇は王太子妃に相応しい花だった。


 それを奪われたヴィクトリアが取り返そうとしたのだと、ルシウスは知る。


 しかしこんな状況でも、ヴィクトリアは「奪われた」「盗られた」とは言わない。自分が手放してしまったのだと、自分の落ち度だと、それをルシウスに謝罪している。


「ヴィクトリア様…………!」


 何が貴方をこれほど苦しめるのか。

 ルシウスは全身から怒りが沸き上がるのを感じた。それでも腕の中のヴィクトリアにはやさしく、穏やかに接する。売春宿の主人の頭を潰したマーカスに「お嬢さまの手当を」と言うと、マーカスは首を振った。


 もう手の施しようがない、と。


「マーカス!」

「エルフの精霊術は魔法や奇跡じゃない。蝋燭の蝋がまだ残っているなら、芯が残っているなら手立てはあるだろうけど、何もかもが奪われてる。時間も生命力も魔力も何もかも」


 ルシウスはヴィクトリアの耳を塞いだ。こんなことは彼女に聞かせるべきではない。

 だがそんなことをしなくても、もはやヴィクトリアの耳は聞こえていないようだった。


「おじさ、ま……私、わたくし……いらないって……」

「お嬢さま?」

「レオ、ニ……す……さ、マ……が、わた、くしが……いない方が、いい……って幸、せに……」


 ガクガクと、ヴィクトリアの身体が震えた。ショックな出来事がフラッシュバックし、呼吸が荒くなる。


「わだ、わだ、わだ……く、しが…邪魔、だって……っ……なぜ、産まれてきたのか……って……!」


 王太子が、婚約者が、愛した人が、ヴィクトリアに告げた言葉を、震えながらヴィクトリアは繰り返す。

 この国に必要のない女だと。レオニスの人生に置いて不要で、邪魔で、余計で、価値のない女だと。なぜ自分で首を吊って死んでくれないのか。消えてくれよ。うんざりだ。お前がいるだけで皆が不幸になるとなぜわからないのか。


「き、き、きいた、の……お、とうさま……たちが、おお、お、お亡くなりになったって……わ、わたし、わたしの……せい………で……ッ!」

「違います……!」


 ルシウスは、彼女が生まれて初めて愛しい名付け子の言葉を遮った。


「お嬢さま、ヴィクトリア様……!貴方は誰も不幸になどしない!」

「でも……!!でん、か、が!」


 縫い付けられた目から、涙なのか膿なのかわからない液体が流れだした。ルシウスは何度も否定する。しゃくりあげ、泣き出すヴィクトリアをあやし、慰め、優しい言葉をかけ続ける。


「貴方こそが私の希望だった。貴方の成長が、貴方の姿が、どれほど私を救ってきたか。貴方を愛さない者がいるからと、貴方が愛される価値がないわけではありません」


 かつて自分が言われたことを、ルシウスはヴィクトリアに伝える。その時言われたように、自分が感じたように、ヴィクトリアもこの言葉を受け取ってくれるか、ルシウスは不安で一杯だった。レオニス殿下を愛していたヴィクトリアが、若い娘が、ひたむきに愛を捧げてきた純粋な乙女が、その全てを本人から否定される苦しみを、ルシウスは想像することしかできなかった。


 ヒュウヒュウと、ルシウスの腕の中でヴィクトリアが呼吸を繰り返す。ぎゅっと、歪んだ手でルシウスの服を掴む手が、段々、段々と、弱くなっていく。


 ルシウスはその頭を、顔を、血と体液で汚れた手を、躊躇いなく何度も何度も撫でた。優しく。もう何も苦しむことはないと。もう何も恐ろしいことは起きないと、何度も何度も、言い聞かせながら、何度も何度も、ヴィクトリアを労わる。


 その体から力が完全に抜けても、暫く、ずっと。



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― 新着の感想 ―
あーーーッッッ(お嬢様ギリギリ生きて会えたたけどこう……辛すぎませんか……) あらすじの時点で希望など持つべきでは無かったんや……
舌だけ無事だったのは何故だろう
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