薔薇:黄色→笑って別れましょう
「……え、つまり?……ヴィクトリアが望んでいたって、そういうこと?」
少し自分の意識が途切れたと思ったら、部屋の中が荒れていた。具体的には、メフィストが仮宿にしている一室の、椅子やら机やらが蹴り飛ばされている。それが激突したらしい壁にヒビが入っていたりするのだが、私の記憶ではこの部屋はいつも整理整頓されていたし、一瞬前の記憶でも綺麗に整っていた。それが、瞬きしたような感覚の後にこのありさまである。
「……………あぁ、まぁ。あんたが気にするようなことじゃない」
「…………そ、そうかしら??」
にこにこと、雰囲気だけは笑顔だが、どう見ても苛立ち腸が煮えくり返ってるんだろうな、と思うほどの感情を押し込めているメフィスト。私の前では礼儀正しくしようとしてくれているらしいので、そうしたにじみ出る感情には気付かないふりをするのがマナーだろうか。
さて、メフィストが話してくれたところによれば、先ほどまで私はヴィクトリアに意識を乗っ取られていた、らしい。
彼女が自称ヴィクトリア、ではなく「正真正銘ヴィクトリア」であったのは少し驚きだが、それより驚いたのは、彼女が自分自身を「薪」にしたというメフィストの言葉だ。
「えぇっと……よくほら、復讐モノであるじゃない?『こんな復讐をしても、殺された〇〇は望んじゃないぞ!!』とか」
「あぁ、あるな。ところがどっこい、驚きだ。ルシウス・コルヴィナスの復讐劇に至っては、被害者当人が望んでるときてる」
「え、えぇええ……」
涙ながらに「こんなこと、ヴィクトリアは望んでいないッ!」を最後の切り札にできればしようかなー、程度の打算はあったが、駄目なのか。そんなことある???
「ルシウス・コルヴィナスが暴走するように、彼の狂気が凶器になるように、なるべく、できるだけ、最大限に、その憎しみの炎を燃え上がらせるために、自分を薪にしたって。そういうこと?」
「そうとわかりゃ、色々辻褄も合うだろ?」
「………………」
色々思うことはあるが、私は提示された情報をまず頭の中で整理した。感情論、何もかもを度外視して、そうか、確かに、そうなるな、と一定の理解、納得、つじつま合わせの末のかちゃりと嵌る音が聞こえる。
「確かにそうね、そうだわ」
「へぇ。いいのか、あっさり。ヴィクトリアを加害者にして。アンタはヴィクトリアが「味方」じゃないと都合が悪いんだろ?」
「彼女がどんな思惑があっても、悪人、あるいは何か特別な使命を持っていたって、私にはそれほど関係ないのよ」
メフィストはヴィクトリアと話した内容を「かいつまんで」説明してくれた印象がある。私は自分の意識が途切れる前と後では、時計の針はかなり進んでいた。具体的には、数時間。
ヴィクトリアが「自分で望んで破滅した」「ルシウス・コルヴィナスを動かすために、人が愚かに振る舞うように誘導した」という話をしただけでは、時間が余りすぎる。
「メフィスト」
「うん?」
「貴方は……相手のニーズを理解することが重要だって教えてくれたけど、私はね、そこまでする必要を感じていないのよ」
「へぇ、どういうことだ?」
「私は、元の世界に戻れさえすればいい。彼女が悪人でも、善人でも、脚本家で、私が彼女の駒の一つに過ぎないとしても、上手く役をこなして、舞台から下ろして貰えればいい。花束を貰おうなんて思ってないわ」
私は改めて。ヴィクトリアの亡霊、この物語のズレた原因。あるいは確信。何かの謎の答え。開けてはならない箱の中のもの。呼び方は何でもいいのだけれど、ヴィクトリアの考えの一端に触れて、初めてやっと、自分の「望み」について考える余裕が出来てきた。
元の世界に戻りたい。
なぜ、どうして、などと考える必要もないくらい、シンプルな願いだ。
「ふぅん。元の世界ね。なんでそんなに拘る?」
椅子やテーブルを直しながらメフィストが大した興味もなさそうに聞いてくる。雑談のつもりなのだろう。私は肩を竦めた。
「なんでって、自分の世界に戻りたいって思うのは当たり前でしょ?」
「恋人でもいんのか?」
そんなものはいないが、はっきりと自分が恋愛経験も相手もいない空しい存在であると告げる必要もないだろう。私はあいまいに笑って返事をごまかした。
「別に、こっちも面白いと思うぜ?このまま残ってもいいんじゃねぇの」
「え、死体なので、ちょっと……」
死体人形カッサンドラ。この物語ではロクでもない終わり方しかしない。上手く消滅、破滅、何かしらのバッドエンドを回避できたとしても……夏場とか腐るんじゃないか?
「ははっ、アンタは俺の最高傑作なんだぜ?大事に手入れしてやるよ」
「それはありがとう。でも私、」
帰りたい。
元の世界、現実世界、日本。自分の人生。そういうものに特別「素晴らしい」価値があると思ってはいない。秀でたところも、恵まれすぎているところも特にない。例えばこれが、自分で読む異世界転移の物語なら「なんで帰りたいって思うの?」と、首を傾げただろう。ファンタジーな異世界から、わざわざ夢も希望もない現実世界に望んで変える必要があるのか、と。
……いや、まぁ、このファンタジー世界も夢も希望もなさそうだが。
ただ、自分で選んで決めていた人生だ。
良いことばかりではないし、何か将来の強い希望や夢、何かだいそれがことがあるわけではない。けれど、自分で選んで、続いていた人生だ。良いものにしようと歩いてきて、良い結果になると、まだ進んでいる最中だ。
それを、途中で「こっちが楽しそう」と変えてしまうには「嫌だ」と思う程度には、私は自分の人生を「気に入って」いる。それを実感できていることに、今とても私は嬉しかった。
なので帰りたい。
「ははっ、そうか。そりゃ、良かったな」
「……ん?」
気付くと私はベッドに座らされていた。とても丁寧なエスコートで、自然な仕草でメフィストが私をベッドに座らせた。
黒い髪に金色の瞳のドマ公爵は、私の手を優しく握って、微笑みかける。
「アンタを鎖や縄で縛って閉じ込めるのは簡単なんだが、そうなると「縛ってるから逃げない」「鎖が切れたら逃げられる」って不安になっちまうだろ?」
「おぉっと、突然の……SM?」
「物理的な拘束じゃなくて、アンタが逃げないって信頼が欲しいんだ。――よく考えて、答えてくれよ?」
目の前にいるのは、私にとにかく優しく、親切に、丁寧に接してくれていたメフィストと本当におなじ人物だろうか?
「俺はアンタを全力で幸せにするから、アンタはずっと俺の傍にいてくれるよな?」
NO!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!