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薔薇:紫→王座


「……愛しい妹よ、詳細は省くのだがこの国が滅びる。ので、私を殺し、骨をバラまいてこい」


 黄金の宮殿、薔薇の間はこの世で最も美しい皇帝と言われる薔薇の大君を玉座に納め、栄光とはこのような形なのだと人々に知らしめていた。黄金の壁には薔薇の意匠が刻まれ、巨大な窓から差し込む月光は床に薔薇の影を落とす。


 薔薇の大君、皇帝エルジュベートの赤い髪は今夜も炎のように輝き、青い瞳は星の深さを宿していた。彼女の存在こそが帝国の誇りであり、戦場を駆ける姿は多くの者たちに共に走る喜びを感じさせた。その皇帝は現在、「重い病に蝕まれている」とそのように公表されている。


「………それは、詳細を省いて良いものでしょうか?お姉様」


 玉座の前に立つのは、妹のクラウディアである。と言っても、血の繋がった姉妹ではない。戦場で売られていた奴隷の少女だった。あまり性質のよくない主人に買われ、汚物と男の体液にまみれて生きていたところを、運よくエルジュベートに拾われた。クラウディアはその瞬間に己の幸運のすべてを使い切ったのではないかと思っている。他人の顔色を窺い、びくびくと卑屈な様子で生きていた、文字の読み書きもできなかった憐れな娘は背筋を伸ばし、姉に毅然と意見できる女に成長していた。クラウディアの眼には姉への敬愛が宿っているが、また突拍子もないことを言い出したことへの呆れと、そして怯えが宿っていた。姉は人を困らせる発言が多いが、戯れで自分の生死にかかわることを話すことは絶対にしない人だと知っているからだ。


「全く、可愛い妹め。世の中には知らぬ方が良いこともあるんだぞ?」

「あら、わたくし、そうした知らぬ方が良いことの多くを、幼いころに無理やり教え込まれましたのよ?」

「ごめんなさい。わたしが悪かったです」


 そこまで言うか、と、エルジュベートは顔を引きつらせつつ、謝罪を口にした。くすくすと、クラウディアは微笑み。居住まいを正す。その顔には皇帝の唯一の家族、妹としての自負を持ち、帝国への責任を背負った王族の誇りが現れていた。


「種族として「神」というものがいる。それらは世界を作ることができ、大地や海、生き物を作る。それらは私たちが子を産み育て、街を作り、文明を発展させるのと同じようなものだ。この世界もそのように、いくつかの「神」によって作られた、らしい」

「……突然、お伽噺、いえ、神話でございますか?」

「まぁ、聞きなさい。これは事実として」


 世界を作った神々は、大地に溶けていくことを選択した。そのため元々のこの国には「神」を崇める文化が生まれはしなかった。神というのは既に消え去った存在であったので、そうした概念すら生まれなかったのだ。人々は祖霊や自然を信仰する。


「……………いえ、お姉様。ですが」

「あぁ、そうだ。ルドヴィカがあるな」


 いつからか、どこからか生まれたのかわからない。これまでこの世界になかった「神を崇める」集団だ。この世界を作った存在は全て大地に溶けたというのに、「救いの主」という存在がいることを高らかに歌う集団が現れた。


「侵略されているんだ。クラウディア。我々はね」


 エルジュベートは息を吐く。


「これは……私の推測ではあるのだが、おそらく外から来たのだろう。己の世界が滅んだか、あるいは追い出された、もしくは死にかけているのか。欲しいのだろう。この世界が」


 人間の戦争と同じ、領地争いだとエルジュベートは語る。そして戯れに作らせた盤を見せた。


「神を崇めよという信仰により、国が侵食されていく。大地に溶けた祖霊ではなく、自然でもなく、全ての人の感謝や願いが、外から来た神にのみ捧げられていく。信仰を失った旧神たちは存在をかき消され、この地に新たな神が迎えられ、君臨する」


 旧神たちは抵抗することもできず、なすすべもなく蹂躙され飲み込まれていく。


「…………………………わたくしたちに、何か影響が?農民や奴隷にとって、皇帝が誰であってもさほど自分の人生に影響はございません」

「うん、そうだな。私も当初はそう思っていたのだが……」


 外から新たな神が降臨することで、何かメリットもあるのではないか。皇帝も当初はそのように考えた。だが……。


「カーライルいるだろ」

「……西大陸のあの鼻持ちならないナンパ野郎ですか」

「仮にもあの大陸の皇帝だぞ……」


 エルジュベートの宿敵と言ってもいい存在で、これまでちょっかいをかけられたりしてきた間柄である。


「ここ最近静かですわね。良いことです」

「人が変わったように信心深い敬虔な信者になったそうだ。ルドヴィカの」

「……確かに、西大陸は、ルドヴィカの総本山があるところですが……」

「うん。それもカーライルが意欲的に行っていてな。神殿と王家が同等の力を持っているそうだ」

「……………そんな馬鹿な」


 思わずクラウディアは声を上げた。西大陸の帝国ラドグレアといえば四百年続く巨大国家だ。「宗教」などというポッと出の集団が、王家と同等の権力を認められているなど……クラウディアの価値観ではありえない。


「……カーライル陛下は、そのようなことをされる方ではなかったかと」


 軽薄で傲慢で尊大な男だったが、王として認めるしかない気質の多い人物だ。エルジュベートに戦場で求婚してルシウス・コルヴィナスにブチ切れられ笑いながら撤退した姿が最後だったが……。


「うん。そもそも神の存在など鼻で笑い飛ばすか「俺が神だが」くらいは言う男だ。それが、今や、聖戦を謡い、あちこちに神の名のもとに国民を死なせに行っている。あと聖女と結婚した。今度子供も生まれるそうだ」

「…………………別人では?」

「私もそう思う」


 万一、頭を打って急に神を信じるものになったのだとしても、人の本質は変わらない。自身の血を嫌悪するカーライルが子供を作るわけがないと、うっかりできたとして、母体ごと殺していないのはおかしいというのが二人の総意だった。


「言っただろう、クラウディア。これは侵略戦争なんだ。神が、己の世界を失った神がこの国を飲み込もうとしている。君臨するだけじゃないんだ。侵食しているんだよ。崇めぬ者は死ねとしながらね」


 土地や信仰心を奪うだけならば、それも時代の変化だと受け入れることもあっただろう。

 だが、外なる神は今いる存在の人格や自我を奪うことが目的である。


 国や時代の変化、統治者の変更は世の常である。

 だが、これは許されることではない。


 個の「己」という存在を、奪う者は、踏みにじる者には、抗わなければならない。


 そうして、エルジュベートは外なる神を「敵」だと認定した。


「ということで、愛しい妹よ。お前は今夜、私の身体をバラバラに砕いてこの地図のところ全てに、埋めて来なさい」

「……………………………また、詳細を省かれていませんか」

「はは、そうだったか」


 拒否はせず、拒絶はせず、否定もせず、クラウディアは説明を求める。


「うん。色々調べたが、これが今のところ……二十年くらいは持つだろう方法だ。どうも私は神代の……竜か何かの血がながれているらしくてね。私の血肉骨、そうしたものが染み込んだ土地は守られる。人々の意識も奪われない」

「二十年しか持たぬのであれば行わなくても同じではありませんか。お姉様がカーライルのようになるとは思えません。お姉様が、この国を導き続ければ、抵抗できるのではありませんか」

「私が外の神の存在を知ったのは、私が六つの時だ」


 そこでクラウディアは初めて、なぜ姉が戦火を広げているのかを理解した。そうしてそれでも、ルドヴィカの勢いは何も変わっていないことも、思い当たった。


「やってくれるか、クラウディア」

「……たった二十年ならば、」

「実は私には娘がいる」

「……は?」

「ラ・メイ伯爵夫妻に預けている。良い具合に出産を偽装する手段も伝授済みだ。私の骨の効果が薄れてきたら、次は娘を使え。あ、ちゃんと子供を作らせてからな。手元に置いては狙われやすいから、隠しておくのだが……ルシウスを放逐してあの辺りに向かわせようかな」


 ふむふむと、あれこれ考える皇帝の思考に、クラウディアはついていけない。


 いつの間に妊娠と出産を……?

 父親は誰なんだと思う暇もなく、次々に情報が与えられていく。


 エルジュベートの中では、もう何もかもが決まっているのだ。昔から、自分自身を「尤も便利な駒」としか思っていなかったエルジュベートが、最後の最期に思いつく「国家のためにできること」の、なんとも、他人への思いやりの欠片もないことだろう。

 どうしてこんなひとを愛してしまったのか。クラウディアには後悔しかない。だが、エルジュベートがしっかりと彼女の手を握り「頼むぞ、我が妹よ」と、クラウディアにしか頼めないのだと言ってくれると、クラウディアはもうどうしようもない。


 クラウディアはエルジュベートが自死するのを黙って見るしかなかった。そうして、まだ生暖かい最愛の姉の躯を、柔らかな肌に竜の力の宿った短剣を突き立てた。指定の通り、髪も爪も、歯も、何一つ無駄にしないように小さな小さな小瓶に詰めていく。


「は……は…………ははっ………!!」


 作業の中で、クラウディアは正気を保てなくなった。

 それでも作業を終えられたのは、従僕のクロヴィツが異変を察知し、クラウディアの共犯者になったからだ。


 最愛の、この世で最も敬愛すべき存在を人の形でなくただの「物」に変えていく。その作業はクラウディアの心を抉り、引き裂いた。一欠けらとて手放したくないそれらを、クラウディアとクロヴィツは各地に埋めた。クラウディアのその行動を、各地の領主や男を漁る行動だという噂が立ったが、苦行に発狂するクラウディアを何とか大人しくさせるには、精神の崩壊を防ぐのは、一時の快楽に溺れさせるしかないとクロヴィツが必死に考えた末だった。


 クラウディアは酒の量が増え、苦しみから逃れようとよからぬ薬にも手を出した。だが、まだ彼女の使命は残っている。自身の子の一人を、ラ・メイ伯爵夫妻の子と番わせて、次の「埋める物」を作らなければならない。それが達成できなければ、姉の死が無駄になると、クラウディアは必死に必死に、最後の正気を保っていた。


「お前、この化け物を本気で聖女だと?」


 息子の愚かな行動を知った時、クラウディアはただただ呆れた。


 レオニスは己の子だけあって、大した能力も持たない平凡な青年だった。野心だけは一人前だ。自分が何か大きなことをできると、その可能性を強く信じている。持って生まれた気高い身分に恥じぬ振る舞いをするようにと厳しくしてきたつもりだったが、自分には子育ての才能もなかったのだろう。


 そのレオニスが連れてきた娘。


 神聖ルドヴィカの聖女。


 いつか戦場で見たあの無礼な皇帝の面影がある、美しい娘だった。



メフィスト「マジかよ。やっべぇ……血肉も髪も溶かして下水に流しちまったぞ……」

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