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→豊かな生涯


 カッサンドラは王都から少し離れた森に来ていた。もちろん一人ではない。ルイス・ロートンが操る馬の背に乗り、やって来た。日が暮れる前には王都の門をくぐるつもりだが、まだもう少し時間が必要だった。カッサンドラは森の木々に手を触れて「ごきげんよう。マーカスというひとを知らない?」と尋ねて周る。もちろんカッサンドラに木の声は聞こえない。だがそうして周り続けることに意味はあるはずだ。


 吟遊詩人の歌が王都を巡り、今やすっかり復讐鬼ルシウス・コルヴィナスは「暁の英雄」殿と美化されている。


「評判が悪いのね、今の王家って」

「……先代皇帝陛下のご威光があまりにも強すぎるんだ。クラウディア陛下は先代とは異なるご気性の方だが、敬愛すべき方だと思っている」

「噂で聞いたけど、彼女、宰相の言いなりなんですって?」

「宰相クロヴィツ様は有能な方だ」


 ルイスはやや強い言葉で否定した。確かに、まつりごとの殆どが皇帝陛下ではなく宰相の口から知らされ、クラウディアも「そうせい」と発言するのみではある。だが、決定権を持つのは皇帝陛下であることに変わりなく、その陛下が「是」としているのであれば、皇帝のご意思であると言えるのではないか。


「事実、宰相閣下のお考えの多くはとても素晴らしいものだと思うし、父も……ロートン公爵も宰相閣下に対して何か批判的な言葉を口にしているのを聞いたことがない」

「厳格なロートン公爵が?」

「そうだ」


 それは少し妙ね、とカッサンドラは首を傾げた。原作でもロートン公爵は重要なポジションにいる。皇帝陛下を傀儡にしているのを見過ごすような人物ではなかったはずだが。


「でも、評判悪いわよね。クラウディアもクロヴィツも」

「………………天災はどうしようもないだろ」


 ぽつり、とルイスは呟く。


 クラウディアの統治はある意味「運が悪すぎる」とも言えた。なぜと天に向かって農民が叫び続けるほど、気候は荒れ、大地は枯れる日々が続く。各地では魔の瘴気にあてられた獣が狂暴化し、村や街を襲っていた。それらの対応に追われ、国政は落ち着く暇もない。もちろん全ての土地がそうというわけではない。神聖ルドヴィカの教会のある土地や、ルドヴィカの熱心な信者である貴族の領地は無事なことが多いため、民衆の心が王家から神殿に向くのも無理からぬことだった。自分達を救ってくれる実感のない王家より、救うことが目的だと明らかにしている宗教団体の方が、飢える彼らにとっては重要なのだ。


「レオニス殿下が聖女レイチェルとご結婚されれば、神殿や聖女の奇跡が国を救うと考えている者もいる」

「貴方もその一人だったのよね」

「………さぁ、どうかな」

「うん?」


 ルイスはカッサンドラの前を歩き、彼女が転ばないように足元の草をかき分けて進んだ。ルイスは騎士を目指していたため、魔物たちをある程度察知できる。力の弱い魔物が様子を窺っているのがわかったが、彼らは自分たちとルイスの力量を量り、姿を現さないことを選んだようだった。


「レオニス殿下とヴィクトリアが結婚しなければいいと思っていたのかもしれない」

「……え、何?あなた、ヴィクトリアのことが好きだったの?」

「……彼女は王太子の婚約者だったんだぞ」


 気付いていい思いじゃないとルイスは顔を顰める。だがカッサンドラがはっきりと「好きだった」と口にしたことで、自分の中に腑に落ちるものもあった。正義、忠誠心、そんなもので仮装された自身の内面。ヴィクトリアがレオニスと結婚しなければいいと、そんな、あまりにも幼稚な感情が、ほんの欠片もなかったなどとは、思えない。


「………………なら、俺は彼女を守るべきだったのにな」

「それはそう…………え?何??え??違う??」

「どうした?」

「なんでもないわ」


 カッサンドラが首を振った。何かが聞こえるように耳元を抑えている奇妙な動作をしているがルイスは聞かなかった。樹に話しかけ続けている令嬢の不審な行動は今に始まったことではない。




 

 木々に声をかけ続け、カッサンドラは自分の頭の中を整理していた。ここまでで明らかになっている情報を整理しても、全く以ってわけがわからない。ヴィクトリアが加害者で、実はそのほか全員が被害者だという可能性はあるにはあるが、それでもカッサンドラにとって自分が目指すことは変わらない。


 ルシウス・コルヴィナスを死なせないこと。正確には建国記念の日の翌日まで。

 だが、その「要望」の深堀りをしていない。しなければならないとメフィストは言っていたが、カッサンドラは少しだけ、蓋を開けるのが怖かった。そのパンドラの箱の中の真実は、知っても良いものなのだろうか?自分に扱いきれるものなのだろうか。


 メフィストの話は確かに分かりやすかった。顧客の真のニーズに応えてこそ一流なのだ。ドマの美学はとても美しい。だが自分は?カッサンドラ・ドマと名乗っているが、ただの日本人の平凡な庶民だ。そこまでする必要があるのか。そこまで求められているのだろうか。


 カッサンドラは浮かぶ自称ヴィクトリアの幽霊に視線をやった。ルイスといる時、ヴィクトリアはとても静かだ。じっと、ルイスの茶色い髪を眺めている。彼女が感情を激しく露わにしたのは、ルイスが「自分がヴィクトリアを守るべきだった」と発した時だけだった。強い、険しい表情で否定し、拒否し、そんなことはする必要がないと、怒っていた。それはヴィクトリアの友情を裏切った彼に対しての憎悪だろうか。


 そのヴィクトリアがカッサンドラに求めているのは「ルシウス・コルヴィナスを死なせないこと」のみだ。彼を死なせないためには、ルシウスを絶望させないこと。ルイスを殺すとロートン公爵が絶対的な敵に周りルシウスを追い詰める。ルイスを死なせないことも必要だった。


「貴方っていい人よね、ルイス・ロートン」

「……突然なんだ?」


 カッサンドラは思っていることを正直に口にした。最初は世間知らずのお坊ちゃんかと思えば、ルイスは下町の生活に見事に適応してきた。子供たちに揶揄われながらも、市場の会計や、ちょっとした力仕事、誰とでも気持ちよく話すことが出来ており、公子として扱われないことに慣れれば、彼は誰からも受け入れられる好青年だった。

 少なくとも、カッサンドラがこの数日、様子を見てきたルイスは「復讐鬼の凶刃に倒れて良い」対象には思えない。愚かな振る舞いをしたかもしれないが、それでもルイスは「いい人間」なのだ。性根から腐っていて、どうしようもない人間には死んで貰っても構わないが、ルイスが「悪い人間じゃない」と思えてくると、どうしても「死なないでほしいな」という気持ちになってくる。


 カッサンドラがそんな感情を抱いていると、ヴィクトリアの眼も穏やかだった。じっとずっと、ルイスを眺めている。ルイスが何か話すたびに、静かに耳を傾けているようにも聞こえた。


「ヴィクトリアも貴方のことを好きだったって可能性ってあるかしら?」

「あるわけないだろう。彼女はレオニスを深く愛していたんだ。だから、聖女レイチェルに嫉妬もした。彼女ほど聡明な人間を狂わせるほど、愛情が強かったんだろう」

「でも貴方は何かおかしいと思ってるわよね?」


 メフィストに暴かれた記憶をルイスは否定しなかった。


 もし万が一、何もかもをヴィクトリアが計画していたことだとしたら。だがそうなると、ヴィクトリアはルイスもルシウス・コルヴィナスの復讐の対象になるように仕組んだことになる。それはおかしいのだ。ルイスはヴィクトリアの友人だったとして、レオニスやそのほかの貴族のようにヴィクトリアに対して何かしらの敵意を持っていたわけではない。少なくとも、ヴィクトリアがレイチェルに嫉妬している、という振る舞いをする前まで。彼女はルイスに親切にしていたように感じる。


「迷子の子供じゃないんだから、あちこちに僕のことを聞いて回るの止めてもらっていいかな?カッサンドラちゃん」

「……貴方がマーカス?」


 思考に沈むカッサンドラに、軽薄な青年の声がかかった。樹の上に誰かいる。耳の長い、真っ白い肌の美しい青年だった。


「やぁ。初めまして」


 軽く手を上げて、マーカスは二人の元に降りてきた。ルイスは警戒するように身構えたが、あんまりにものんびりとした雰囲気のマーカスに毒気を抜かれたような顔になる。


「僕はこれでも色々忙しいんだけど。何か用?」

「貴方がルシウス・コルヴィナスを焚き付けてる理由を教えて欲しくて。あと、知ってることを洗いざらい吐いてもらいたいの」

「えぇー?なんで僕がそんなことを?」

「それって、そんなことはしていないのに身に覚えのない容疑をふっかけられてるって反応?それともわたしに対してそんなことをする必要はないっていう放棄?」


 面倒くさそうな表情のマーカスに、カッサンドラは微笑んで問いかけた。その微笑みに、マーカスも微笑を返す。美形のエルフの姿をしているだけあって、国が傾くような美しい笑みだった。だがそれはカッサンドラをまともに相手にするつもりがないという挑発でもある。それを態々突き付けてくるのは、カッサンドラを怒らせたいのだ。それもわかっているカッサンドラは目を細めた。


「怒らせようとしても無駄だし、私は貴方を相手に礼儀正しくするつもりはないのよ」

「そう。でも君は僕の口を割らせる方法がないし、僕は君に興味がないんだ」


 まぁ、確かにそれはそうだった。カッサンドラは認める。原作知識を頼りにしてみても、マーカスの情報は殆どない。まるで自分の存在を知られないようにしているようだ。誰に?そう、例えば、物語として誰かが読んだ後、マーカスに対策が取れないようにするためにだ。そんなことを考えてカッサンドラは自分の妄想を笑った。「ソフィーの世界」じゃあるまいし、そんなバカげたことはできないだろう。


 ただ原作にマーカスが出てこなくとも、カッサンドラには武器があった。原作小説を読んでいて、そして作者の他の作品も読んでいる。


「貴方がわたしに興味がなくても、ウラド公はわたしに興味があるんじゃないかしら?」

「誰のこと?知らないな、そんなひと」


 ッチ、外したか??と、カッサンドラは内心焦った。だが、ここが「王弟殿下~」の原作小説に酷似した世界であるというのなら、絶対に間違いなく、存在しているはずである。


「貴方が知らないわけないわよ。エルフの始祖、人間を好きな変わり者の大公様でしょう?」


 マーカスが何者であれ、自称エルフであれ、実は吸血鬼だろうが、そんなことは関係ない。


 必ずこの世界にも君臨しているはずなのだ。「王弟殿下~」の原作者の世界でエルフが登場すれば必ず設定上は存在していることになっている「ウラド」という名の存在。フルネームは作品ごとに違うからうかつなことは口に出せないが。


 人となりを簡単に口にするカッサンドラに、マーカスはじっと無言で、感情のない顔を向ける。


 カッサンドラは微笑んだまま沈黙した。


(助けて私の原作知識!!今まで本当に役に立たなかったからここくらい煌めいて!)


 長い沈黙の後、マーカスは溜息をついた。


「お婆様がどこかでちょっかいをかけた人間ってこと?でもカッサンドラちゃんって死体に入ってるだけの魂でしょ?お婆様に関わる暇あったの?」


 お婆様設定だった!!!!!!


 ウラド公。作品によってことなるが、長命種の始祖であり彼女からエルフや吸血鬼が生まれたという完全なる「祖」だ。実際の祖母と孫という関係ではないだろうが、彼女を「お婆様」と呼べる立場にいるマーカスは何かしらの高い地位にいることになる。


「わたしの正体が何者でもいいじゃない」

「人間でお婆様の名前を知るなんて無視できるわけないだろ」


 まぁ、実際は面識などないのだが、それをマーカスに知られるわけにはいかない。設定上存在している最強種なだけあって作品の殆どでは出てこないのだから、エンカウントすることもないだろう。知り合いを名乗ってもバレる危険性は少ない。


「ねぇ、マーカス。わたしはちゃんと答え合わせをしたいだけなの。ヴィクトリアがルシウスにさせたいことがあったってことでしょう?」

「…………僕もそれを知ったのは本当に最近だからね。君より知ってることは少ないんじゃない?」


 お互いカマを掛け合っている感覚があった。


 カッサンドラは表面上全てヴィクトリアが仕組んだこと、というのを「わかっている」という顔をしているし、マーカスは「どこまで知っているのか」と探ろうとしている。だが、少なくとも、ヴィクトリアが「主導」であることを認めた。


「どうかしら?知りたいのよ。ルシウスにしかできないようなことって何?それって、私やメフィストじゃできないことなのかしら?」


 これは本当に純粋な疑問だった。


 ルシウス・コルヴィナスは確かに強い。暴力の嵐のようなひとだと思う。けれど、ヴィクトリアが暴力を望んだということだと考えるには、疑問が残る。例えば彼女がレオニスの裏切りを最初から察していて、自分の命をかけてレオニスや学友たちを破滅させようとしていたとしても……死ぬ必要がない。


 泣いて嘆いて、悲劇の令嬢よろしくルシウス・コルヴィナスの胸に泣きついても、ルシウスは激怒しただろう。だが、それはヴィクトリアが惨たらしく死ぬよりは怒りの炎は弱かったかもしれない。ルシウスは復讐は果たすだろうが、その後に、ヴィクトリアが幸せになれるように、そちらにも力を注いだはずだ。今はヴィクトリアが死んだために、感情のすべてを薪にするしかないだけで。


「自分が死んでも、未来がなくなっても構わないほど、誰かにさせたいことって何かしら」


 マーカスは暫く黙っていた。だが、様々な感情や考えを天秤にかけるよう、その瞳は目まぐるしく色が変わる。


 やがて一つの色に留まり、マーカスは顔を上げた。


「神を殺せる人間なんて、この世にいると思うかい?」




最後の龍の子が死んだので。

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― 新着の感想 ―
ずんださんの話は今作含め、壮大でシリアスな場面で不意に(助けて私の原作知識!!今まで本当に役に立たなかったからここくらい煌めいて!)とかブッ込んでくるので通勤電車のなかで読むのは危険ですね。(煌めいて…
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