→光り輝く星
王都の片隅、宿屋の裏手にある小さなカフェテラスにいて良いのだろうかと、カッサンドラは疑問に思った。目下、貴族社会で注目を浴びている人物「生き残ったドマ家の公子」メフィストが白昼堂々と珈琲を飲んでいる。友人シルビアによれば「ドマ公子、いえ、ドマ公爵は先代エリック・ドマ公爵の「悪事」の全てを処理する責任を求められています」とのことだった。訝るような目をするカッサンドラに、メフィストは首を傾げる。
「おれがアンタとのデートを最優先にしない未来が見えるのか?」
煤けた街の喧騒が遠く聞こえる中、メフィストは黒ぶち眼鏡の奥で金の眼を細め、カッサンドラの冷めた紅茶のお代わりをウェイターに求めた。そしてそれ以外は些事だとばかりに、話を始める。
「ルイス・ロートンの頭の中は全部見てきた」
口調は軽やかだが、言葉には鋭さがある。持って生まれた悪魔の瞳はメフィストにこの世のありとあらゆるものの美醜の区別を無くさせた。他人の頭の中にズカズカ入り込めるなどという事実をカッサンドラがどう受け取るのかと、やや反応を見る様子がある。幼い子供が母親に、自分の不出来さを知られるようなバツの悪さのようなものだった。だがカッサンドラの反応は「で、何かわかった?」というものだった。そのことにメフィストは口の端を軽く上げる。椅子の背にもたれ、腕を組んだ。
「ヴィクトリア・ラ・メイ伯爵令嬢。あれは化け物か何かか?」
「……と、言うと?」
「ただの被害者。ただの女のツラはしてなかった。ルイスはあいつに破滅するなと忠告と警告を出していたが、記憶の中の、おれの眼は相手の記憶の映像を見るから、想い出補正なんて美しいものはかかっちゃいねぇんだが、ルイスの忠告を拒絶したあの女の顔は、どう見ても破滅を望んで進む気だった」
真面目で忠実な騎士を目指すルイス・ロートンは彼女を「優しい令嬢」と「策謀家」のどちらとして判断すべきか迷い続けている。自分の振る舞いの罪悪感があるだけに、あれは自己嫌悪に陥るだけの棘になるだろう。がんじがらめで身動きが取れなくなり、いずれ首でも吊るんじゃないかとメフィストは思うが、必要な情報は引き出せたので彼の中ではOKだった。
ただ、メフィストの魔眼は、ヴィクトリアを「怪物」だと判じた。ラ・メイ伯爵などという人畜無害の夫妻の腹から生まれていい生き物ではない。もしかするとドマ家に生まれてくるのを間違えたんじゃないかと考えた方がしっくりくる。
「……………」
カッサンドラはメフィストの話を聞き、カップを手から放して視線をメフィストに向けた。カッサンドラの赤い髪が僅かな風に揺れるのをメフィストは目を細めて眺めた。そして「どうにも胡散臭い」と、メフィストは指でテーブルを軽く叩き、続ける。
「未来を知るアンタからして、これはどうなんだ?どこまで、アンタが知る未来に沿ってる。それともズレ始めてるのか?」
「変えたいと思って行動しているけど、どうかしら。細部は変わっても、結末は同じになるかもしれない」
メフィストは一瞬沈黙した。
ヴィクトリアを被害者だとしているのはルシウス・コルヴィナスだ。父のエリック・ドマもそうだった。いや、父はラ・メイ伯爵夫妻が善良な人間だったことを信じていたが、娘に対してはどうだっただろうか。父と対話をすることがほぼなかったのでわからない。
今、メフィストの手元にある情報では、全てヴィクトリアが仕組んだようにも考えられる。
*
「ヴィクトリア・ラ・メイの死が、ルシウスを剣に変えて王都を血で洗う計算か?だが、何のために? その化け物はなにを望んでる?」
カッサンドラは小さく息をつき、視線をテーブルのケーキに落とした。
カッサンドラの目的は揺るがない。ルシウス・コルヴィナスを、次の建国記念日の翌日まで生かすこと。それが、自称ヴィクトリアの「ミッション」であり、カッサンドラがこの死体人形として存在する理由だ。
「ヴィクトリアが加害者でも被害者でも、わたしがしなければならないことは変わらないわ」
そう。変わらないのだ。ヴィクトリア・ラ・メイが信用ならない語り手であったとしても、この先にどんな「事実」が提示されようと、カッサンドラは死にたくないし、ヴィクトリアが約束した勝利条件を果たすことで得られる『元の世界に戻す』という報酬が欲しい。
「ルシウスを死なせない。それが重要なの。彼女がどんな意図を持っていようと、関係ないわ」
メフィストの金の瞳が、一瞬、鋭く光る。彼はカッサンドラの言葉を噛み締めるように黙り、ふと口元に皮肉な笑みを浮かべた。彼がカッサンドラに向けるには珍しい表情だった。
「そりゃ立派だな、カッサンドラ。だがよ、アンタ、なんでそんなに拘る?」
カッサンドラは一瞬、金色の眼が別の色に見えたような気がした。だが、視線を外そうとするが、どうしてかできない気持ちになる。彼女の眼の端に、ふよふよと浮かぶ赤い髪の幽霊がちらつく。ヴィクトリアの青い瞳が、どこか遠くを見ているような微笑みを湛えている。カッサンドラは深く息を吸い、答えることにした。
「元の世界に戻るためよ」
「……………は?」
「私、この世界に存在すべきじゃないの。元の世界に戻るには、ヴィクトリアの望みを叶える必要がある。彼女が私をこの死体人形に閉じ込めた理由は、ルシウスを救うため――少なくとも、彼女はそう言ってる」
メフィストの笑みが凍りついた。金の瞳が、わずかに揺れる。これは珍しいことだった。感情を表現せず自分で全てコントロールしているメフィストの動揺。だがカッサンドラは、突然元の世界などというファンタジックな発言をしたことで、彼がついていけてないだけだと考えた。
メフィストは身を乗り出し、カッサンドラの手を掴んだ。
「待てよ。どういうことだ? ヴィクトリアの望みを叶えたら、あんたは……いなくなるのか?」
「そうなって欲しいのよ。めでたしめでたし――私は元の世界に戻れる」
メフィストは手を離し、椅子の背に体を預けた。表情はいつもの軽妙なものに戻り、彼は指で眼鏡を押し上げ、笑った。
「なるほどな。あぁ、そうか。つまりアンタの望みは、自分のいた場所に戻ること、ってことでいいんだな?」
「えぇ、そうよ」
カッサンドラは自分がこの体から消えても、メフィストの作品は残るのではないかと予想を語った。自称ヴィクトリアにも骨はメフィストへの報酬として残しておいてくれないか交渉するつもりだ、とも。
それを聞いて、メフィストがニコニコと笑みを深めたので、やはり作品ロストはクリエイターにとって辛いのだと理解する。
「アンタの願いがわかってよかったよ。じゃあ、ヴィクトリアの望みが何なのか、しっかり探ろうぜ。あいつの『ルシウスを死なせないで』って要求、ホントにそれが本心か? 顧客のニーズってのはな、表面だけじゃわからねぇんだよ。」
どういう意味だろうかと、カッサンドラは目を丸くした。メフィストは続ける。
「例えば、客が『返品したい』って言ってきたとする。店員がただ返金すりゃ終わりだが、そいつがなんで返品したいのか、掘り下げなきゃ本当のニーズは見えねぇ。もしかすると、色が気に入らなかったのかもしれねぇし、急に金が入用になったのかもしれねぇ。それなら別の商品を勧めたり、支払い方法を提案するほうが親切ってやつだろう?ヴィクトリアの『ルシウスを救う』ってのも、ただの表面的な要求かもしれねぇ。本当は何を望んでるのか――それを知らないと、アンタの望みが叶わないかもしれねぇだろう?」
メフィストはとても丁寧に親切に、どうすべきかをカッサンドラに助言してくれた。カッサンドラは彼の言葉に感心する。
ドマ家の悪魔と呼ばれる男が、こんなにも論理的で、相手の心を掘り下げる視点を持っているとは。
「メフィスト、貴方ってとても思慮深いのね」
「あぁ。他人を破滅させるには相手のニーズをしっかり理解してねぇといけねぇからな。ドマの基礎教育ってやつだ」
ここに第三者がいれば「とんでもない一族じゃねぇか!」と突っ込みを入れたが、生憎いない。
「確かに、彼女の望みが『ルシウスを救う』だけで終わるなら、話が簡単すぎる気がするわね。拉致監禁すればいいんだし。物理的に無理だけど」
メフィストはカップを置き、カッサンドラに視線を戻した。金の瞳に、いつもの軽妙さが完全に戻っている。
「俺があんたに興味や関心を示すのは、あんたに完璧以上のことをしたいからだ。」
彼は微笑み、指でカッサンドラの赤い髪を軽く摘んだ。
「だからよ、ヴィクトリアのニーズを探りながら、ルシウスを死なせねぇ方法を考えようぜ」
カッサンドラはメフィストの微笑みに、色々な不安を払しょくされた。正直な所、ヴィクトリアが何を考えていたのか、不安があり、懸念もある。だけれど、けれど、自分にできることは限られている。ただルシウス・コルヴィナスを死なせない未来だけを目指さなければ、他に足を取られてしまうほど、この世界の真実が複雑だったかもしれないからだ。
カフェテラスの向こう、夜の王都がざわめく。吟遊詩人の歌が、暁の英雄を讃え、血の嵐を予感させる。ヴィクトリアの「真実」が、ルシウスの剣を導き、彼女のミッションを試すだろう。だが、今、目の前にいるメフィストの金の瞳が、彼女に新たな希望を与えていた。
それ信用していいやつですか。