*一方その頃、王太子と騎士団長は
王都の中心にそびえる王宮の奥深く。冷たい石壁に囲まれた一室に王太子レオニスは立っていた。窓から差し込む薄い陽光が彼の金髪を淡く照らす。周囲の喧騒とは裏腹に、レオニスの瞳は落ち着いていた。対面に立つのは騎士団長のロバート・ラス。灰色の髪に鋭い瞳をした男性は岩のように動かず、王太子の言葉を待っていた。
「ラス騎士団長。事実確認をさせてくれないか?ヴァリニ子爵家、クリフトン伯爵家、そしてドマ公爵家に何が起きたのだったか」
レオニスの言葉は冷静だった。学友たちの身に起きた不幸、そして自身の側近として選んだ家門に起きた悲劇に関して何の感情も抱いていないようにも見える。ロバートは一礼し、感情を排した声で答えた。
「ヴァリニ子爵家は先月、王都の子爵邸が火災に見舞われました。火元は不明ですが、アルフレッド・ヴァリニ子爵は令息と共に出資していた劇場で死亡が確認されています。クリフトン伯爵家は三週間前、先代クリフトン伯爵が庶子の娘を殴殺し、自身は第二夫人に刺殺されました。生き残った長女が現在はクリフトン伯爵家の当主となっています。ドマ公爵家は先週屋敷が炎上。エリック・ドマ公爵を含む使用人、騎士全員が惨殺され、公爵の首が門前に晒されました。どの現場も全て薔薇の短剣が残されており、ドマ公爵家では『暁の薔薇』の一文が血文字で記されていました。現在当主となったシルビア・クリフトン伯爵の証言によれば、先代伯爵は薔薇の短剣を目にしてから気がふれたようだった、と」
ロバートの報告は事実のみを淡々と積み重ねる。だが冷徹な言葉の裏に、僅かな高揚感があることをレオニスは感じ取った。いや、ロバートの感情操作は完璧だったが、レオニスは幼いころから他人の感情を読むことに病的に長けていた。相手が自分の倍以上も生きた老練な騎士であろうと容易いほどに。
「ルシウス・コルヴィナス」
レオニスは名を口にし、騎士団長の反応を窺った。ロバートは表情を動かさず、頷いた。
「その可能性が高いかと存じます。薔薇の大君、先代皇帝陛下の剣。暁の英雄として知られる男です。報告された事件の現場にはいずれも彼でなければ不可能な剣技を思わせる痕跡が残されています」
「そうか」
レオニスは窓際へ進み、腕を組んだ。
ルシウス・コルヴィナス。先代皇帝の腹心であり、大戦の英雄。今でも吟遊詩人の歌に謳われる伝説の男。
「ロバート、君は彼を知っているな。なぜ今になってルシウス・コルヴィナスが現れたと思う?」
その問いはただロバートの推測を確認するためのものではなかった。ロバート自身が、暁の英雄の復活をどう捉えているのかを探るような響きがある。そしてそれをあえてロバートに悟らせていることも。ロバートは一瞬沈黙し、慎重に言葉を選んだ。
「民衆の間では、ルシウス・コルヴィナス卿が現皇帝陛下を認めず、先代皇帝の正義の名のもとに動いているとの歌が流行っています。ドマ公爵の悪の暴露は最も効果的であったと考えられるでしょう。誰もが目を背けてドマの視界に入らないことを願うばかりだった中、ドマの闇を照らし出す強い光を持って現れたことを、民衆は支持しています」
「なるほど」
ふむ、と、レオニスは思案するように口元に手を運んだ。
「では、僕は彼の味方かもしれないな?」
王太子の口元には笑みが浮かんでいた。ロバートは目を細める。だが騎士団長は口を開かずに、レオニスの次の言葉を待った。レオニスは振り返り、視線を騎士団長に固定する。
「母上、皇帝陛下クラウディアは精神に深刻な問題がある。宰相の傀儡と化し、王家の威信を地に落としている」
レオニスは神殿側の後ろ盾を得るため、また「王太子は聖女と結ばれる」という神託を自身の剣とするためにレイチェルを選んだ。今や失われた王家の神性と正統性を得るために必要なことだった。だがもし、ルシウス・コルヴィナスも王家に敵意を抱いているのなら、レオニスは先代皇帝の短剣をも自身が握ることができる。
「流行りの歌が事実であるなら、英雄卿どのは『薔薇の玉座の真の主』を求めているのだろう。僕がその主の資格があると認めさせれば、薔薇の大君の帯は僕のものになる」
レオニスの言葉にロバートは無表情を保ちつつ、その危険性を量っていた。
ルシウス・コルヴィナスは制御できるような男だろうか?
吟遊詩人の語る歌では英雄卿。紳士的な振る舞い。薔薇の大君の忠実なしもべであると繰り返されているが、その本質は嵐のような暴力だ。それを偉大なる皇帝陛下が「人」に落とし込んだに過ぎない。もし彼が、今の王家を「薔薇の大君の名誉を汚す不届き者たち」と粛清に乗り出しているのなら、王太子とて例外ではないのではないか。だがロバートはそれを口にはしなかった。
「ラス騎士団長。ルシウス・コルヴィナスを僕の前に連れて来い。もちろん丁重に、丁寧に迎えて。僕は彼と話がしたい」
レオニスの言葉は命令として重く響く。ロバートは深く一礼し答えた。
「かしこまりました、殿下。ただし彼は薔薇の大君以外の命を聞く男ではありません。拒否、あるいは抵抗した場合、安易にとらえられる相手ではありません。騎士団の全力を以てしても、犠牲が出るかと」
「構わない。必要なら王太子の名を出していい。――神殿の後ろ盾を仄めかし、聖女の力があれば薔薇の大君の声を聞くことができるかもしれないと言えば、興味を示すのではないか?」
レオニスはふむ、と考え込んだ。
神殿の神官たちはお布施を求めるため、死者の霊との交信ができるなどと嘯く。レオニスは死後の世界を信じていないが、先代皇帝の時代は神殿勢力も影響力が弱く、ルシウス・コルヴィナスも神殿の力については詳しくないはずだ。
窓の外の王都を見下ろし、王太子は目を細める。夜のざわめきが遠くから聞こえる。今も吟遊詩人たちは英雄卿を讃え、現皇帝を呪う歌を歌っているのだろうか。その歌はいつか自分の王位を讃えるものになる。レオニスはそう確信していた。
し、死にたいのか…王太子……。