→花:不信
エミリーの死を見届けた翌朝、私の目の前にふよふよと浮かんで現れたのがこの自称:ヴィクトリアである。
(自称だなんて……酷いわ。わたくしはヴィクトリア。ヴィクトリア・ラ・メイです)
私が疑うと彼女はハラハラと美しい涙を流して泣くが、幽霊/幻影/あるいは幻覚である彼女の姿は自身の存在の証明にはならない。姿かたちを変えるのは悪魔や天使の得意技だろうし、そもそも赤い髪に青瞳を持って動いている私自身、この姿は自分の本来の姿ではないのだ。
そうなると、いくら「幽霊です」という顔をして私にのみ付きまとっている美しいご令嬢が自分をヴィクトリア・ラ・メイだと名乗ろうと、私は彼女に対しての「自称」を取り下げる考えには至らない。
ただこの自称ヴィクトリア・ラ・メイの要求は簡単だった。
ルシウス・コルヴィナスが死なない未来を作って欲しい。
そして、そのために私をこの死体人形に入れて……そう、私を私の本来の世界、体から拉致監禁してこの人形の中に閉じ込めた張本人だと、彼女は自白した。
降って湧いた私の生存ルートである。
≪ミッション:原作改変≫
→達成条件、ルシウス・コルヴィナスの生存。
問題として、そもそもルシウス・コルヴィナスも人間なのでいずれ死ぬ。寿命で死ぬのもミッション失敗扱いなのか心配なところだが、しかしこの問題は自称ヴィクトリアによって基準が設けられた。
→達成条件:ルシウス・コルヴィナスを次の建国記念日の翌日まで生存させること。
原作通りで言えば、ルシウスがレオニスとレイチェル以外の復讐対象を殺害し、色々あってこの国が更地になる翌日だ。
つまり、世に虚しさしか残らなかったルシウスが自死しない、あるいは後ろから首を斬られるのを受け入れない展開になればいいのだ。
「何か考え事か?ほら、ケーキだぞ」
注文したケーキがきたのでメフィストが私の方に寄せ、紅茶のおかわりをカップに注ぐ。私ははっとして、ケーキの乗ったお皿を手に取り、自分の顔に近づける。
「うん?どうした?」
「いえ、ケーキに自己紹介と、あと、メフィストが私にケーキを紹介すれば完璧です」
「?そうなのか。じゃあ、おら、ケーキ、俺の可愛いカッサンドラだぞ」
私はケーキにペコリと頭を下げる。
「考え事というか、ルシウスを次の建国記念日まで死なせないようにするために監禁するのはどうかしらって」
「投薬し続ければ眠り続けるだろうからそれはアリだな。あのオッサンを捕獲できるかって問題にさえ目を瞑れば」
「人権と人道的な問題には目を瞑るとして……問題はそこよね……」
あと多分、それはそれとして、ミッションクリアはそういうことじゃないとNO判定を食らう気もする。
私にしか見えない幻覚の自称ヴィクトリアも首を振っているので、やはり駄目だろう。
「ルイス・ロートンを囮にしておびき寄せてそこを捕獲するのはどうだ」
「駄目。その場合、高い確率でルイスは死ぬから、ロートン公爵が敵に回るわ」
「公爵家の1つや2つなら俺が潰しておくが」
「ロートン公爵家が存続するなら使い道もあるから、退場しない方が都合が良いの。かなり難しい選択肢だけど……ルイスに死なれず、ルイスが悔いていることをルシウスに知ってもらって、自暴自棄エンド回避の可能性を積み上げないと……」
「よし、ルイスを攫ってルシウスの前で自白させりゃいいな」
最初の囮と結果は同じになるだろう。
「メフィスト、面倒くさがってない?」
「俺はアンタがケーキを食べて嬉しそうにしている顔が早くみたいだけだ。この問題はさっさと片づけるべきだろ?」
メフィストは私の唯一の味方だが、私がしたいことを理解して応援してくれているわけではないのはわかっている。
私は溜息をつき、ほら、とメフィストが差し出すフォークを手に取った。
*
「……あいつら何なんだ」
視界の端にちらちらと見えるのは、赤い髪の令嬢と黒衣の公子がカフェテラスでイチャついている姿だ。
なるほど確かに、あの令嬢はヴィクトリア・ラ・メイではないとどんどん頭が納得していくが、ドマ公子があんなにデレデレと女性の相手をしているのは信じがたい。人というのはわからないものだな、と、恋というのは人をあぁまで愚か者に見えるのようにするのかと、ルイスは呆れた。
(恋、恋か……)
愚かしいことだとルイスは考えている。あのドマ公子の姿を見てもそれは明らかだ。
貴族には、騎士には、男には義務と務めと責任がある。それらは何よりも優先され尊ばれるものであり、それゆえルイスは王太子レオニスに協力した。
王太子は聖女と結婚しなければならない。王太子妃には聖女がならなければならない。
これはレオニスが生まれる際に、神殿の巫女が予言したことだった。神託である。神託は皇帝陛下のお言葉より優先されるべきものだった。いや、先代皇帝の御世であれば、それは次点に下げられていただろが、赤薔薇が枯れ、求心力の弱まった現在の王家は、神殿と同格である。よって、ただ髪が赤いだけで王太子の婚約者にすると皇帝が決めた相手より、レオニスは聖女レイチェルを正当な婚約者とし、王太子妃に迎える必要があった。
ルイスは憶えている。
レオニスはその考えをヴィクトリア・ラ・メイ伯爵令嬢に伝えていた。
しかしヴィクトリアはそれを拒絶した。レオニスを愛していると泣き、レオニスは彼女を側室に迎えると約束したが、ヴィクトリアは婚約解消を受け入れなかった。卒業式の数日前のことだ。
恋。
愛。
それらは実に愚かしいことだ。
ルイスは自分はそんなものには惑わされないと決めている。
それであるから、図書館で自分に勉強を教えてくれて、不器用で剣を振るしか能のないような自分に微笑みかけたヴィクトリアに対しても、王家へ、王太子の害になると命じられれば、痣が出来る程、冷たい床に押し付けることもできるのだ。
ミッション失敗条件に、メフィスト公子に「すべてうまくいくとカッサンドラが消える」と知られることが入ってます。