6、月桂樹:私は死ぬまで変わりません
ルイス・ロートンは父に殴られた顔が、数日たっても腫れが引かないことに驚いた。これまで自慢の息子だと人に話してくれる程度には好かれていると思ったが、卒業式の夜から一変し、父はルイスに対しての失望を露わにした。
『恥を知れ』
怒鳴るわけでもなく、世の厳格を集めて人の形にしたのではないかと言われるロートン公爵は静かな声で自身の次男に告げた。なぜ、とルイスは当然反論した。卒業式の日の答辞には選ばれなかったが、ライバルは王太子だった。ルイスは剣術ならレオニス相手にも負けない自信があるが、座学に関しては心もとなく、それが父を失望させる理由にはならないと考えていた。だが他に思い当たることがなく、主席でなかったことと含めて謝罪をすると、父はさらにルイスに失望したようだった。
『お前はか弱い令嬢に対して暴力を振るった己を恥じる気がないのか』
ヴィクトリア・ラ・メイ伯爵令嬢に対し、ルイスが卒業式のパーティーで行った振る舞いに対して、父は反省を促したかったらしい。
なぜ、とルイスはさらに困惑した。
正しい行動だったと自負している。彼女は王太子であるレオニスの婚約でありながら、王太子妃に相応しい行動をしていなかった。レオニスに近づく女子生徒に嫉妬心を燃やし、暴言を吐き、自身の友人を使って女子生徒に加害した。正義が行われる裁きの場にて、相手を無力化する役目を王太子より仰せつかったルイスは、自分の行動に恥じ入るところなどないと父に反論する。
『伯爵令嬢がお前のような大男に力づくで抑えられなければならないほどの抵抗をしたのか?お前は騎士気取りで自身の暴力をひけらかし、王族の犬である自分に酔いしれただけだ』
頭を冷やして来いと、それまで二度と屋敷には戻るなと、身一つで追い出され、ルイスは街の宿屋に身を寄せていた。公爵家の次男である自分が、行く場所もないなどあまりに惨めだったが、友人のアルフレッドのいるヴァリニ子爵家は領地にでも戻ったのか、留守番の使用人もおらず泊まることが出来ず、その他の元学友たちにもあたったが、友人ではなくその家族が応対し、ルイスをまるで災いをもたらす悪魔のような顔で追い出した。
宿屋のベッドで何をするわけでもなく、ルイスは時間を持て余す。
本来であれば卒業後は王宮騎士団に見習いとして入団するはずだった。だが父は「勘当しないだけマシと思え」とルイスの入団資格を消す手続きを行っており、ルイスは抗議する間もなかった。二度ほど、直接騎士団長に相談できないかと騎士団長のもとを訪ねたが、約束をしていない人間が容易く会えるような存在ではなく、ルイスは公爵家の名前がないと自分は何もできないのではないかと、そんな馬鹿な恐怖に襲われそうだった。
「なぁ、おい。坊ちゃん。そろそろ支払いをしてくれよ。ツケっていってもねぇ、せめて三日分くらいは払っておくれよ」
「すまないが手持ちがないんだ。だが俺を知っているだろう」
「そりゃあね。ロートン公爵家のご家族は昔っから下町に色々してくださるご家族だからね。坊ちゃんのことだって小さいころから知ってますけどね」
「なら少しくらい待ってくれ。言っただろう。父に叱られているんだ」
「親子喧嘩はどこの家にもありますけどね、坊ちゃん。家出する前に小遣いくらい持ち出さないとだめでしょう」
「そんな暇もなかったんだ」
仕方がないねぇ、と宿屋の主人は溜息をついた。そうすると、ルイスもなんだか自分が惨めな気持ちになってきて、何か宿屋の仕事を手伝うよ、と申し出る。お貴族の坊ちゃんにできることなんかないでしょうよと当初は難色を示していた主人だったが、ふと「それなら坊ちゃん、読み書きができるでしょう」と思い出し「あっしの弟が広場の方に店を出したんですけどね、帳簿をつける人間がみつからねぇって困ってましてね。ちょっと手伝ってくれませんか」と言い出した。
ルイスは腕っぷしには自身があるが、帳簿つけか、と少し苦手意識がある。だが簡単な読み書きと計算でよいというのが平民の店らしかった。それなら自分にもできるだろうと請け負うと、主人は嬉しそうに笑った。
*
「……ヴィクトリア・ラ・メイ伯爵令嬢?」
「人違いでは?」
そうして宿屋の主人の弟が広場で出す店……ガラス細工を扱う店の帳簿係になって一時間後、ルイスは自分がこんな場所にいる羽目になった人物が客としてやってきたので驚いた。
赤い髪に青い瞳の貴族の令嬢とわかる装い。「これを見せてくださいな」と指さしたのはケースに入ったガラスのネックレスで、それなりの金額なので売れると店主が喜ぶだろうからと、愛想よく顔を上げ、とにかくルイスは驚いた。
「いや、お前はラ・メイ伯爵令嬢だろう?」
「俺の妹に何か問題が?」
「……ドマ公子」
着ているドレスこそ黒いが、どこからどう見てもヴィクトリアだ。ルイスが確信をもって呼ぶと、青い瞳の令嬢は困ったような顔をした。なぜとぼけるのかと、お前は王太子にこの王都を追い出されたのではないかと責めようとして、その青い目の令嬢は黒衣の男の背に庇われた。
黒い髪に黒ぶち眼鏡の、死神のように青白く背の高い男はルイスと同じく公爵家の公子だ。と言っても、次男であるルイスと異なり、こちらは嫡子だが。
滅多に光の元に出ないと有名なドマ公子が白昼堂々、それもにぎやかな広場の出店を見ているなど、ルイスは自分が夢でも見ているのかと思った。
「妹……?ドマに令嬢は」
「俺の父親が娘の一人二人、隠していないと思うのか」
「……」
物凄い説得力のある言葉に、ルイスは「そうか、妹くらいいるかもしれないな。ドマだからな」と納得してしまう。だがしかし、赤い髪に青い瞳、その顔がどう見てもヴィクトリアである。
「良く似ていると言われますわ。そんなに似ていますか?」
にっこりと、ドマ令嬢が微笑む。ルイスは確かによく似ていると答えようとしたが、しかし、雰囲気が確かに全く異なった。ルイスはヴィクトリアとは学園でよく話をする仲だった。というのも、ルイスは座学が苦手で、読書課題などあると頭痛がした。そうして図書館で格闘している時に、図書委員であったヴィクトリアと会話をする機会があり、彼女はルイスが興味を持てそうな本を紹介してくれた。友情があり、なるほど確かに、ヴィクトリアはこのドマ公爵令嬢のように人に対して挑戦的な目をしていなかったし、もっと仕草が優雅だったな、と思い出す。
「失礼した。私はルイス・ロートン」
改めて貴族としての挨拶を交わすと、ドマ公爵令嬢はカッサンドラと名乗った。