*閑話*メフィスト・ドマ
帰宅したカッサンドラの首に痣を見つけたメフィスト・ドマは、すぐにルシウス・コルヴィナスの滞在する部屋に向かった。すぐと言っても、それはもちろんカッサンドラの細い首に丁寧に処置を施し、今日一日にあったことを報告する彼女の話を全て聞き終えてからだが、しかし、それ以外の他の事は全て放り投げたので、すぐはすぐである。
「俺はあんたの復讐に興味がないが、あんたが彼女をぞんざいに扱うのは許せないんだ」
「あれはヴィクトリア様の尊厳を傷つける盗人だ。悔い改めるべき罪人の中に入る存在だろう」
文句を言いに来たというより、メフィストは別の目的があった。
ルシウス・コルヴィナスは彼なりに復讐の方法について考えているようで、それはメフィストの父、エリック・ドマの考える「華のある復讐劇」とは異なるが、やはりメフィストはそれについてもどうでもいい。
「彼女があんたに何をした?」
「ヴィクトリア様の死を辱めている」
「それは俺と親父がしでかしたことだ。彼女は好きでヴィクトリア・ラ・メイ伯爵令嬢の骨を使って動いてるわけじゃない」
「なら今すぐくだらない人形遊びを止めろ、死霊遣い」
「彼女に死ねってか。もう一度聞くぜ、ルシウス・コルヴィナス。彼女があんたに何をした?」
メフィストは父の計画では最後に自分もこのルシウス・コルヴィナスに殺されるらしいが、それは別にどうでもいいことだった。何もかもが上手くいくのならそうなるのだろうと受け入れている。そこに父への従順さなどはもちろんなく、メフィスト・ドマにとって興味や関心を持つことができる神羅万象が存在しなかったので、そうあるものだと言われれば「そうか」と、そのように。
そのメフィストにとって、初めて興味と関心を持つことができた存在。それは彼が「カッサンドラ」と名付けた名もない魂の入った人形である。
通常死霊遣いである彼が復元した死体にはその辺に漂う魂が憑依してメフィストの魔眼によって縛られるが、カッサンドラはそうではなかった。自我を持ったらしいと父に連れられ、再調整をしようかとメフィストが接した時、思い詰めたような顔で「助けて欲しい」と言って来た。その時からメフィストの中で、彼女はヴィクトリア・ラ・メイの骨で動く自分が操る死体人形ではなくなった。
つまり彼女は被害者で、ルシウス・コルヴィナスやエリック・ドマのごく個人的な復讐の舞台にうっかり上がってしまっただけの存在だ。一度上がれば死ぬか幕が下りるまで観客の注目を奪い続けなければミスキャストとして舞台から弾かれる。
「……身勝手なことを。貴様らが……!」
ルシウスはメフィストの言い分、カッサンドラを被害者として尊重しろと、ヴィクトリアのことと切り離して別の存在として扱えないのかと言う指摘に怒気を強める。それをメフィストは冷静に見つめた。
(そもそも俺は信じちゃいないんだ。この英雄狂いや親父が信じるラ・メイ伯爵家の善良さってやつを、これっぽっちも信じていない)
メフィストはドマの人間として、自分が善良で正しい人間であるわけがないと自覚している。その上で神羅万象に興味と関心はないが、自分で見聞きして物事を判断している。
埋葬されたヴィクトリアの墓を暴き、無残な体を検視して骨になるまで肉を融かしていく中で、メフィストはこんな姿になったヴィクトリア・ラ・メイという年若い令嬢の身体に抵抗した痕跡が見られないことに気付いた。
死体の損傷は激しく、内臓にも被害は及んでいる。ヴィクトリア・ラ・メイに対して、彼女に関わった者たちの扱いが酷かったことは事実だろう。だが、抵抗してつけられたと判断できる外傷が見当たらなかった。魔眼で確認してみても、そうした感情の跡がない。つまり、ヴィクトリア・ラ・メイという、ルシウス・コルヴィナスがいう所の無垢でか弱く心優しい、世間知らずな温室育ちの薔薇の花は、自分を手折る者の指に棘を食い込ませる程度の抵抗も見せずただ蹂躙されるのを黙って受けいれていたことになる。
舌や喉が無事だったこともメフィストには疑問だった。舌を噛んで死ぬ手段も取らず、喉は酷使されていたが、泣き叫んだ結果の腫れは見当たらなかった。
この検視の結果はもちろんエリック・ドマに報告をしている。その長い報告書を見たドマ公爵は暫く考えるように黙り、そしてアルフレッド・ヴァリニ子爵令息を殺す際に、先代皇帝の紋章の入った短剣でアルフレッドの喉を突き刺した。
メフィストは生前のヴィクトリア・ラ・メイとの交流はない。よって、彼女がどんな性格でどんな人物であったのか、知るすべはもうない。ただ彼女を「良く知る」という人間、ルシウス・コルヴィナスは善良で大人しく心優しい乙女であったと主張し、彼女を傷つけた人間へ私利私欲からの報復を誓っている。学生時代の彼女を知る同級生たちは彼女を悪女と指摘し断罪した。
(何も考えていないなんてことがあるのか?)
疑問、疑惑、不気味な空白がある。
メフィストは人間は本心と異なる言葉や振る舞いをすることを良く知っている。メフィストが初めて復元した死体は母親のものだったが、生前はメフィストを殴り続けた女の死体には自分自身で傷つけたらしい鞭の跡が背中に夥しく残っていた。
ルシウスや同級生たちが聞いた言葉がヴィクトリア・ラ・メイの本心で真実であったという確証が一切ない。
殺気を向け、今にもメフィストの首を折りかねないルシウスに、メフィストは目を細めて肩をすくめる。
「そうカッカするなって、英雄殿。あんたが多くの人間に嫌われてるヴィクトリア・ラ・メイを大切にして守りたいと今でも思っているように、俺があんたに憎まれてるカッサンドラを大切に思ったっていいだろう」
専門は遠距離攻撃で、接近戦にもそれなりに自信はあるが相手がルシウス・コルヴィナスでは運が良くて善戦して殺される結果だ。メフィストは死ぬ未来は受け入れているが、どう死ぬかを選ぶつもりではあった。
「……」
「つまり、俺がアンタに態々言いに来たのは苦情じゃない。アンタが今すぐ死ねと願ってるカッサンドラを愛してる人間がいて、アンタが彼女を傷つけたら、俺はなぜ俺がずっと彼女を守ってやれていないんだと落ち込むんだ。これからアンタが殺していく人間はアンタにとって悪人でそれなりの加害者なんだろうが、ちゃんと考えて、そのうち俺に教えてくれ。彼女はアンタに何かしたか?」
平和で平穏な美しい庭で永遠に庭師をして居心地の良さに微睡み続けていればいいものを、中途半端に世の悪意を思い出している災厄に、メフィストはなんだってカッサンドラはこんな男を救いたいのかと苛立った。
カッサンドラと打つとカツサンドと見間違える。アルフレッド、アルファベットの悲劇を繰り返さないようにしたいです。
いつも誤字修正報告ありがとうございます。




