→キツネアザミ:嘘は嫌い
「ようこそお越しくださいました。カッサンドラ・ドマ公爵令嬢」
優雅なお辞儀を披露したシルビア・クリフトン伯爵が私を迎えたのは、エミリーのお誕生日会から二日後のことだった。
彼女から届いたお茶会の招待状には「友情の証として贈りものを」と添えられており、わぁ、何をくれるんだろう~と、うきうきとする気はないが警戒するより私がヴィクトリアの報復にとクリフトン伯爵家のために選んだ凶器の切れ味は、さていったいどんな傷口を作っただろうかと遊びに行った。
私とシルビアは久しぶりに再会した学友のような若々しさで「まぁ、お久しぶり!」などと白々しく挨拶を交わす。怯えた様子の使用人たちが顔を伏せて働くクリフトン伯爵家の鬱蒼とした雰囲気に場違いな明るい声がよく響いた。
「……そちらは」
「ヴィクトリアの家の庭師だった方ですわ」
私は一緒についてきていただいたルシウス・コルヴィナスを「庭師」として紹介する。庭師にしては背が高く体格の良すぎるナイスミドルだが、シルビアは何も突っ込まなかった。そう、と一言頷いただけで、ドマの人間が紹介する言葉を信じる気が最初からないが、こちらがどういう立場で扱えと提示してくるのかは確認しておくというスタンスだった。
お茶会というが案内されたのはクリフトン伯爵家の地下室だった。本来であれば伯爵家にとって都合の悪い人間を閉じ込めておくための……まぁ、貴族の家なら必ず一つや二つはあるだろうごくごく平凡な地下牢である。
牢の中には三人の親子がいた。もちろんクリフトン元伯爵と、エミリー、そしてエミリーの母親である。三人は牢の寒さに互いに身を寄せ合っているようだった。
「!!シルビア!!!!!あんた……!こんなことして、ただじゃすまないわよ!!」
コツコツコツと階段をおりてきた私たちの姿を見て、エミリーが怒鳴る。絹のネグリジェ姿のエミリーは寝ているところをそのまま連れてこられたのだろう。素足が汚れ、血の気が失せて青白くなっていた。
クリフトン一家は何か喚いているが、私はそれを言葉として認識するのが面倒くさい。シルビアに対しての脅しと罵声はとても元気で何よりだが、牢の中に閉じ込められている人間がどれほど脅したところでなぜ牢の外側にいる人間に恐怖を与えられると思っているのだろう。
クリフトン元伯爵は己の運命を悟ったように大人しくしていた。
ルシウスが一緒にいるからだろう。彼の夢想した「世直しのため、先代皇帝陛下の忠臣によって成敗される」己を粛々と受け止めている。
シルビアは元家族を前にして、私とルシウスに頭を下げる。
「親愛なる公爵令嬢、そして伯爵家の庭師殿。お二人がクリフトン家に悪意の返礼をとお考えでいらっしゃることは承知しております。その上で、まずは私の悪意をどうかご覧になっていただけませんか」
まず、シルビアは父から爵位を奪った。これは当人が嫌がろうが拒絶しようが、そもそも伯爵自身が自らシルビアを正妻の唯一の子であるとしたので爵位を継ぐ正統性が出来てしまった。その上で、伯爵が一度ひっくり返した婚姻を再度「元通り」にするために伯爵家の財産の殆どを献金した。これをシルビアは「正気の沙汰ではない」と糾弾し、父は精神的な問題があるとクリフトンの家門に連なる、ようは親戚筋に手紙を送り、自分たちの利益を奪いかねない伯爵の暴挙に親族が伯爵の引退を要求した。その上シルビアは亡き母の弟であり、医者である叔父に連絡をとり診断書を作成し、それを添えて王宮に乗り込み、皇帝陛下に謁見し、サクっと爵位を頂いてきたのである。
「お父様、元クリフトン伯爵は平民の女と死ぬまで離れたくないということだから、私もこれでも親孝行の一つでもするべきかしらと考えたのよ。父とその女は平民の暮らしをさせてあげたい。真実の愛を貫いて身分を捨てて幸せな家庭を築いてくれると思うのよ」
「!?違う!!シルビア!!私は……!」
生存フラグが立ったというのに、元クリフトン伯爵は不服なようだ。英雄の伝説の一端になりたいというか、自分の惨めな死をなんとか少しでも美しいものにしたいと言うのか。
「エミリーは私のメイドにしてコキ使ってあげようと思っているわ」
「そう。でも……わたくしは〝二度と私たちの前に現れないようにしてほしいの”」
原作でエミリーが父に強請った台詞を真似て、私はシルビアに言葉を放った。一瞬きょとん、とエミリーが首を傾げる。覚えのある言葉をなぜ今私が言うのかわからないという様子だった。
「……ねぇちょっと。ねぇ!わかんないんだけど!シルビアもあんたも……なんでこんなひどいことを私たちにするわけ!?お父様やお母さま、私が何をしたっていうのよ!逆恨みにもほどがあるわ!!」
「逆恨み……」
「シルビアはお父様にとっていらない子なんだから、伯爵令嬢じゃなくなるのは当然でしょ?それを恨んで自分が伯爵になるだなんて間違ってるわよ。それにあんた、そっちのあんた!あんたは……いったい誰だっていうのよ!!」
ヴィクトリアの顔をしてカッサンドラ・ドマと名乗った私をエミリーは「誰なのか」と未だに判断がつかないらしい。
元クリフトン伯爵が娘を宥める。
「エミリー、あのお方こそ先代皇帝陛下の遺児であられる、ヴィクトリア王女殿下だ」
「……は!?」
「……待て。なぜそんな話になる」
驚いた声はエミリーのものだけではなかった。
私の後ろに立って物事を黙って眺めていたルシウス・コルヴィナスが、ここで口をはさむ。
「もうすっかりわかっているのですよ、閣下。貴方は先代皇帝陛下の剣としてヴィクトリア王女殿下を隠しお育てしていたのでしょう。そして乱れるこの国を正し、相応しからぬ振る舞いをした貴族を正し、正統なる血を薔薇の玉座にと、そのようにお考えなのでしょう」
「……ヴィクトリア様はラ・メイ伯爵夫妻の実子だが」
「いえいえ閣下。もうよろしいのですよ、どこをどう見てもこの赤い髪に青い瞳のご令嬢は……」
「出産の場に私も立ち会った。間違いなく、ヴィクトリア様はラ・メイ伯爵夫妻の子だ」
ラ・メイ伯爵家は古い家門だ。その遠い祖先に先代皇帝と同じ祖がいても、貴族の家系であればそう不思議ではない。隔世遺伝で親と異なる髪色の子が生まれることはあり得ることで、そもそも、ラ・メイ伯爵の瞳は海のように青い。
「いえ……そんな……いえ、それは違います。では……ではなぜ、私たちはこんな目に?」
自分の考えた素晴らしい筋書が、主役本人に「違う」と拒絶され、クリフトン元伯爵は唖然とする。
「なぜわからない?お前たちがヴィクトリア様を害したからだ」
「そんな程度で?そんな……たかが、地方貴族の、取るに足らない、ただ髪が赤いというだけで王太子妃に選ばれただけの……つまらない小娘一人の為に???」
そんなわけがない。
自分の人生を終わらせ、自分の大切なものたちを引き裂くのにはもっと壮大で、価値のある意味があってこそだとクリフトン元伯爵は頭を大きく振る。
「ヴィクトリアがなんだって言うのよ!?あいつは……!」
つらつらと、ヴィクトリアがいかに悪だと、自分達のしたことは正義の行いだとまだ語れる余裕のあるエミリーには感心する。
「どうしてわからないの?エミリーさん」
しかし私はそんなエミリーに、心底気の毒そうな顔を向ける。
「どうでもいいのよ。貴方が正義だったとか、ヴィクトリアが悪だったとか。そういうことは、あのね、本当にどうでもよろしくてよ?」
「は、はぁ!!?」
「彼はヴィクトリアの家の庭師で、彼女の名付け親だった。自分の大切にしている女の子が酷い目にあわされた。そうしたら、その犯人に死んでほしくなるでしょう?殺せるのなら自分で殺したいでしょう?」
愛情が深いのならば猶更、と私が話していると、ぐいっと、私の首が掴まれた。
息が詰まる。
「その顔でその声で、その瞳で、私のヴィクトリア様への愛を語るな」
首を絞めているのは当然ルシウス・コルヴィナスである。
私とシルビアが行うこの「報復」に対して、はっきりと不快感を示してもいた。
ルシウス・コルヴィナスにとってこの方法はお気に召さないらしい。
追い詰めていたぶり、ねちねちと締め上げるやり方が不服がお嫌いか。
そういえば原作小説でもルシウス・コルヴィナスは拷問は物理的に痛めつけはするが、精神的な追い込みや、知略を使った心理的な駆け引きは行っていなかった。ただ嵐のような暴力で復讐をし続けた。それはそれで、読者としてはスカっとするが、そんな風な復讐方法だったから、更地になった国を見ても達成感どころかただの消化不良、虚しさだけが残って、死ぬことになったのではないか。
ルシウス・コルヴィナスとしては、もうここでサクっと牢の中のご一家殺して終わりにしたいらしい。反省も自らの罪を自覚することもないことは、明らかだと、ならせめて死ねとそのように。
いや、でもここでエミリーを殺そうとして若い娘が殺せないことをルシウスが気付いてややこしくなる展開は望まない。シルビアにも申し訳ないが、エミリーはここで生かしておくとこの後色々と邪魔をしてくる。具体的にはレイチェルに救われて、レイチェルの操り人形になる。文字通り。原作小説ではそれも見物の一つだったが、実際に相手はしたくない。死なないメゲないくじけない。ゾンビと化したエミリーの相手なんぞしたくない。なのでここで死んでいただきたいのだ。
ついでにドマ公爵とルシウスには私、カッサンドラ・ドマが復讐の才能のある悪女だと思っていただかないとまずい。
私はルシウスが私の首から手を放すのを待ち、げほげほと咳をして呼吸を整える。死なないからどれだけ首を絞められても問題ない。苦しいが!まぁ、それは今はどうでもいいとして。
私は牢に近づき、短剣を放り投げた。
「一人だけ出してあげるわ」
「ちょっと、カッサンドラ!」
勝手をするなとシルビアが怒るが、もうナイフは投げてしまった。すぐさまエミリーがそれを拾って牢の近くにいる私を何とか傷つけてやろうと腕を伸ばすが、届く距離にはいない。
「この!!この!!!!!このぉお!!!!私の正義の剣で死ねよぉお!!」
「その短剣はわたくしのだから正義の剣にはならないんじゃないかしら?」
「煩い煩い!!こっち来なさいよ!」
「行くわけないでしょう」
格子に顔をくっつけてもがくエミリー。しかし、その彼女をぐいっと、後ろから髪を掴んで引き寄せる者がいた。
「!?」
クリフトン元伯爵だ。
ぎりっと、強く唇を噛み、血が出るほど激高している元伯爵は感情のままに娘を殴りつけた。ぐ、ぐぬっ、ぎゃっ、と短い悲鳴を上げるエミリー。
元伯爵の怒りはまぁ、「正しい」だろう。
「ど、どう、じでよ!!!?ば、ばだし……だにもばるいごじでだい!」
「お前が誰に何をしたなどどうでもいい!なぜ、私や彼女まで巻き込まれなければならないんだ!」
納得がいかない。
自分で妄想した世直しのための犠牲であれば伯爵は納得できただろう。だが、たかだか地方伯爵の娘を、いじめた程度でなんだというのか。そんなことは女の世界であればよくあることで、それらを跳ねのけられず敗北者になった方が悪いだろうというのが世の常。だというのに、そんな「よくあること」「大したことではないこと」で、自分の幸せな生活が壊される。
これほど理不尽で納得がいかず、腹立たしいことはないと、クリフトン元伯爵は叫んだ。その怒りの矛先は娘に行くしかない。
もちろんこれは茶番だ。
私は怒り狂うクリフトン元伯爵の目が正気であること。声や拳や全身は燃えるように怒鳴っているけれど、その目は至極冷静に、自分が行う選択に対しての納得をしている。
選択肢として、一人だけこの牢から生きて出ることができる。
それが嘘であれなんであれ、もはやクリフトン元伯爵はその可能性にかけるしかなく、そして彼は自身がその生存者になることは望んでいない。
つまり娘か妻か。
どちらを生かすかと天秤にかけ、クリフトン元伯爵はためらうことなく、娘を殴り殺すことにした。
動かなくなった娘の頸動脈と手首を切り、クリフトン元伯爵は牢の隅にいる女性、彼の最愛の女性の方へ顔を向けた。
「安心しなさい、私は自分でちゃんと死ぬからね」
「あぁ……あなた……!」
元伯爵夫人は震えながら、動かなくなった娘の身体と、拳を真っ赤にした夫を交互に眺めた。
そしてフルフルと首をふる。クリフトン元伯爵はそんな愛しい人の姿に何とか慰めをしてやれないかと苦悩し、夫人の身体を抱きしめた。
「故郷の村へ帰りなさい」
「それは嫌」
さくっと、何か軽い音がした。
わぁお、と私とシルビアはお互い両手を合わせる。ハイタッチ。
「……?……??」
何が起きたのか、わけがわからないクリフトン元伯爵。さくっと、明確な殺意を持って自分の胸が刺されたことに理解が追い付いていない。
「ねぇ、ねぇ。シルビア。ねぇ、これで貴方を捨てた男はいないし、貴方をいじめたエミリーもいないわ。貴方は伯爵になったけれど、屋敷を管理する女主人はどうするの?女が伯爵の仕事をするのなら、女主人の仕事は誰がするの?ねぇ、シルビア。私は貴方のお母さんになれるでしょう?」
にこにこと、エミリーの母親が格子に近づき、シルビアに親しげに話しかける。
床に崩れ落ちたクリフトン元伯爵が彼女の名前を呼び、手を伸ばすのに一切振り返らず、エミリーの母親は「仲良くしましょう」とシルビアに甘い声を出した。
私は「エミリーの代わりに、彼女に娼館に行ってもらいましょう」とシルビアに提案し、蟲の死骸をみるような目でエミリーの母を見ていた彼女は「そうして頂戴」と、顔を歪めて承諾した。
日付が変わるまでに!!間に合った!!!!!!!!!!!!!