*一方その頃、王太子と聖女様は
「レイチェル?エミリー・クリフトン伯爵令嬢の誕生会に行かないのですか?」
王太子レオニスは執務の合間をぬって、恋人であり婚約者候補となったレイチェルの部屋を訪れた。自分は今日は皇帝陛下との晩餐会があり参加することはできない。レイチェルに自分の名代として参加して貰えれば恋人の格式も上がり、あの思い込みの激しいクリフトン伯爵令嬢も満足するだろう。
レディの支度には時間がかかるからと、レオニスは早い段階で恋人に声をかけたつもりだったがレイチェルはマナー講師の熱心な授業を受けている最中だった。王太子妃として相応しい振る舞いを身に付けようと彼女がとても意欲を示し、レオニスが手配した講師陣は皆レイチェルの勤勉さとおぼえ込みの良さを褒めた。お世辞を言わない「エチケット夫人」と陰で囁かれるミラノ夫人でさえレイチェルを褒め、「この方の師となれたことは私の生涯の誉れでございます」とレオニスに生真面目な顔で言ったほどだ。
そのレイチェル、友人であるエミリー・クリフトン伯爵令嬢の誕生会の招待状が届いたときとても嬉しそうにしていた。何を着て行こうかと悩む彼女は、既に彼女がとても好きになったらしい王宮のメイド達に相談していた。流行は王宮で作られる。メイド達はどうすればレディ・レイチェルの悩みに対して最高のアドバイスができるかと話し合ってくれたはずだ。
だがレイチェルは勉強会用のドレスに身を包んだまま、分厚い教科書を前にしている。
「レオ。ええ、わたくしが行ったらエミリーさんが恥をかいてしまいますもの」
「君の出自に対してなら、」
「だってわたくし、お友達のお誕生日会に着ていくに相応しいドレスは一着しか持っていませんの」
可愛らしい顔に不安の色を浮かべ、花弁がこぼれるようなため息をつくレイチェル。
「エミリーさんは、大事な大事なお友達ですもの。きちんとした格好をしていくべきでしょう?でもわたくし、あの白いドレス以上のドレスを持っていなくて。でもそのドレスはもう着てしまったし、エミリーさんもついこの前に見たドレスで行けば御自分が大切にされていないんじゃないかって、気にされるわ」
と言って、あの白いドレスより劣るドレスを着ていけば軽んじられていると思われるかもしれないとレイチェルは悲しんだ。そんなつもりはないけれど、あの白いドレスより素敵なドレスは持っていないから、結果的にそうなってしまいだろう。
はらはらと、友人のお祝いにもいけない自分の無力さにレイチェルは涙を流した。美しい人の辛い訴えに、レオニスは「なんだ、そんなことですか!」と笑顔で応じる。
確かにあの白いドレスは美しい。レオニスはあれがどんな職人の手によるものか、デザイナーは誰であるのか調べさせているところだった。もちろん表向きにはレイチェルが妖精たちから贈られたことになっているから、秘密裏に行う必要があるが、しかし、王太子の自分が動いているのだ。愛しい人の憂いはすぐに解決するだろうとレオニスは請け負った。
もちろん今夜の誕生会には間に合わないが、それならとレオニスはレイチェルを家族の晩餐会に誘った。自分の家族の集まりだし、ドレスの美しさより、母はレイチェルの心の美しさを褒めるだろう。エミリー、クリフトン伯爵令嬢は残念ながら、飾り立てた豪華さにしか価値を見いだせない女だから、レイチェルを苦しめるのだ。
「レオのご家族の晩餐会に?」
悲しみの表情から、レイチェルの顔に明るさが戻った。
「あぁ。母上と父上がいらっしゃる」
「まぁ!」
ぽうっと、レイチェルは頬を染めた。
「そんな、わたくし、そそうをしてしまわないかしら?不出来な娘だと失望されたら悲しいわ」
古今東西、恋人の同性の親に会うのは誰だって緊張するものだ。恥ずかしがり、涙目になるレイチェルだが、先程とは異なる涙であるとレオニスはわかっている。
「あぁどうか、恐れないでください。貴女こそは私が選んだ乙女なのですから。何を不安に思うのです?貴女は私の愛より強いものがあると?」
「もちろん、ないわ」
美しい乙女の絶対的な信頼はレオニスに男としての絶対的な自信を与えた。喜びにレオニスは自然と笑みが浮かび、レイチェルの額に口付けを落とす。
「母に貴女を紹介するのが楽しみです」
*
「正気ですか、王太子」
晩餐会の場に愛しい乙女を連れてきた息子に、皇帝クラウディアは冷酷な目を向けた。
金の髪に緑の瞳。レオニスと同じ色を持つ母の顔色はますます悪くなり、首元から下の骨がくっきりと浮いていた。明らかに何かしらの病が進行している母にレオニスは微笑む。
「もちろんです、皇帝陛下。彼女こそ私が愛する聖女です」
「お前の妻となるのはヴィクトリア・ラ・メイ伯爵令嬢です」
ぴしゃり、と皇帝は息子の言葉を遮った。しかしレオニスは王太子として、皇帝相手であっても伝えるべきことは伝えるという心がある。そのように育てられてきた。とくに、病で以前のような覇気がなくなった老いた女性相手にはどちらの考えが正気であるのか、レオニスは間違えたくはなかった。
「……クロヴィツ」
クラウディアは自身の斜め横に座る黒衣の男に声をかけた。宰相であり、クラウディアの夫であるクロヴィツは心得たように一度目を伏せる。懐から何か粉薬を取り出して皇帝陛下に差し出した。心労の多い皇帝のための特別な薬だった。服用してクラウディアはゆっくりと息を吐く。額を抑え、自身の考えをまとめるように目を伏せると、その瞳には先ほどにはなかった光が宿った。
「私はお前の妃となるのは赤い髪に青い瞳を持つ娘であるべきだと考えて、ヴィクトリアを選んだ。彼女はラ・メイ伯爵家の人間だが、古い家門である。我が姉の色を持つ者はお前に必要だとなぜわからない?」
「わかっています、母上。それは私の地位を盤石にするために必要だと母上が私を想ってくださったゆえのことだと理解しています。母と薔薇の大君に血の繋がりはなく、私はただ貴女の子というだけの男です。薔薇の玉座を継ぐために、私に寄り添う赤い薔薇がいると、そのように考えてくださったこと、わかっております」
クラウディアは息子が連れてきた娘が平民であろうとなんだろうと、そんなことはどうでもよかった。そもそも今は気高き玉座を温める己とて、元をたどれば奴隷の身。たまたま赤薔薇に救われ、共に戦場をかける中で、姉妹の契りを結んだだけの女だ。
だからこそ、息子には花が必要だった。民衆は未だに薔薇の大君への熱が冷めず、クラウディアはただ一時、玉座に居座るだけの代理人のような扱いだった。この椅子には赤い薔薇が必要で、そのためにはただ髪の色が赤く生まれただけの娘でも、息子には必要なのだ。
「しかし陛下。王太子殿下もただ真実の愛などという馬鹿げたものを貫こうとしているわけではないでしょう。そのご令嬢は聖女であるとか」
「……」
「はい、そうです。母上、父上。彼女は聖女なのです」
レオニスは改めてレイチェルを紹介した。
「聖女」
胡乱な目でクラウディアがレイチェルを見る。一瞬怯えたような瞳をしたレイチェルだったが、一度レオニスを見て、レオニスが彼女への親愛を見せるようにぎゅっと手を握ると、健気にも凛と背筋を伸ばし、意を決したように一歩前に進み出て、皇帝陛下に礼を尽くした。ミラノ夫人がここにいれば、目に涙を浮かべて絶賛しただろう完璧な淑女の礼だった。
それを見たクラウディアは驚いたように目を見開き、レオニスに視線をやった。
「……お前、この化け物を本気で聖女だと?」
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焼き大福が好きなのでトースターでいい感じに焼いて食べるのですが、今日はうっかり油断してとけました。あまりに無残。