→100本:忘れられない記憶
「ふむ、どういうことだろうかな……」
エリック・ドマは髭をなでつけ、小首を傾げた。手元の鈴で操れるように息子に調整させた死体人形の様子がどうもおかしい。まだ魂が肉体に定着しておらず、このようにころころと感情豊かに表情を変えることなどないはずだ。万が一、息子が自分の知らないうちに死霊遣いとしての才能を開花させていたのだとしても、それならば鈴で操れないわけがない。
どういうわけかと悩む時間、その間にルシウス・コルヴィナスがぐいっと、死体人形の髪を掴む。もちろんドマの屋敷に運ぶ間にルシウスの剣は取り上げているが、刃物などなくても少女の細い首を折るなど容易い男だろう。
「ヴィクトリア様の死後を辱める盗人が……!」
怒りに満ちた瞳で死体人形を見つめ、口元を強く引き結ぶ。
さて自我があるらしい妙な死体人形の反応は、とエリックが観劇でもする気持ちで眺めると、赤い髪に青い瞳の美しいドマの死体人形は、先ほどまでの混乱や動揺など瞬時に消し去ったような、冷静な表情でルシウスを見つめ返した。
「私は貴方の報復の役に立つわ」
「……」
「貴方はただの凶器。この先、ヴィクトリア・ラ・メイを不幸にした人たちを貴方は間違いなく追い詰めて死なせることはできるけれど、彼らは誰一人、自分の身に起きることは悲劇であり、被害者で、どうしようもない不幸だったのだという感情のまま死んでいくだけよ。貴方は彼らにヴィクトリア・ラ・メイへしたことを後悔させることも、自分の不幸が彼女に自分たちがしたことへの報いだとは理解しない。彼らにとって、ヴィクトリア・ラ・メイはもう舞台から降りた、彼らの人生において今後興味のない端役なんだもの」
「貴様……ッ!!」
ルシウスの顔に、堂々と屈辱を投げつける女への怒りが沸き上がった。先ほどまでは名付け子への憐憫と憤怒からだが、これは純粋に、自分自身への侮辱と受け取ったのだろう。
エリックは感心した。
まさにこれこそ、自分がルシウスに囁きたかった悪魔の甘言だ。
剣で斬れば人は死ぬと思っている男は、確かに救国の英雄であり、偉大なる将軍に上り詰めた男だが、今回は相手は侵略してくる蛮族でも、他国の軍隊や魔物でもない。国内の、軍隊を差し向けてドンパチして解決する単純な相手ではなく、貴族同士の戦い方が必要だった。そのノウハウはこの男にはない。
あのまま劇場でアルフレッド・ヴァリニ子爵令息を死なせていたところで、何者かが劇場を襲撃し惨状を引き起こした怪事件と、そのように扱われるだけだ。得体の知れない殺人鬼が街を恐怖に陥れる、くらいのことはしたかもしれないが、そんな程度は家庭教師に鞭うたれる未就学の童だって考え付くおそまつなものだ。
「私を使ってください。ルシウス・コルヴィナス。私は御覧の通り、ヴィクトリア・ラ・メイにとても良く似た、けれど死んでいない動く人形です。貴方が劇場で私を見て記憶を呼び起こされたように、私が彼らの前に姿を現すことで、ヴィクトリア・ラ・メイを貶めた連中は必ず、何かしらの反応をするでしょう」
「……だからヴィクトリア様の死体を辱め続けることを許せと?」
「そもそも骨以外は殆どヴィクトリア様の物じゃないじゃない」
「まぁ、それはそうだな。うむ。息子は一度ヴィクトリア・ラ・メイ伯爵令嬢の肉を全て溶かして骨の上に肉をこねてその形にしたわけだ。多少の修復程度じゃごまかしきれない損傷だったから仕方がない」
「……それで私がお前たちへの怒りをおさめると思うのか?」
エリックが死体人形へのフォローというか、助け船のような台詞を吐くと、ルシウス・コルヴィナスはエリックの存在も敵として認識することを忘れていないぞ、という意思表示をしてきた。
「庭師である君よ、しかし、宮廷を離れて久しい君に、次の復讐相手のめぼしがついているのかね。あのアルフレッド子爵令息は所詮ただのガキ。行った悪事は精々帳簿の改ざん程度だ。さかのぼってその前の、伯爵令嬢を娼館に売り飛ばした者がいる。そのアテはあるのかね」
「……情報収集のツテならある」
「私ならすでにその愚か者が誰かを知っているし、その者にどんな復讐をすることが効果的か君に助言をしてやれるのだが?」
「……お前の助けは必要ない」
「でも、あなた。ルシウス、あなたがやるとただ殺されるという恐怖を感じさせて死なせるだけじゃない。それってどうなの。ざまぁ要素もなく、ただ殺すだけ。それでいいの?」
ぼそっと、死体人形が呟く。
これに関してはエリック・ドマも同感だった。いったいどんな人格を持ったのか知らないが、ドマの人形らしい良い性格をしているようじゃあないかと感心する。
とにもかくにもルシウス・コルヴィナスの復讐にはセンスがない。先ほど死体人形が言った通りだ。悔い改めさせるノウハウもなく、破滅させるには政治的手腕や悪事についてあまりにも素人だ。確かに軍人であったから、居場所を探りあて防衛を突破し殲滅する能力は間違いないのだが、そんな程度で、あの連中を終わらせていいのかとエリック・ドマは「嫌だね!」と拒否している。
目を閉じると今でも思い浮かぶのは、とにかく善良さだけが取り柄で、にこにこといつも微笑み、似合わない口髭を蓄えた小柄な男。ラ・メイ伯爵。学園時代から変わった同級生だった。学園内は身分の差などないという建前を本気で信じて、公爵であり、評判の悪い家門のエリックを恐れることも毛嫌いすることも、差別することもなくにこにこと、『やぁ、エリック』と挨拶をしてくる男だった。エリック・ドマに取り巻きは多く、媚びへつらう人間は後を絶たないが、ラ・メイはそんな連中とは違い、馬鹿正直にエリックと友情を交わせるのだと信じていた。
ドマと付き合いがあるなど、ラ・メイにとって不名誉にしかならないことをエリックは忠告し、彼が話しかけてきても無視し、公式の場では殆ど目も合わせなかった。それなのに、もう何年もまともに会話すらしようとしないエリックに対し、ラ・メイは親しい友人にするように手紙を書き、贈り物を送り、エリックが悪の貴族などではなく、自分と同じ人間であるように扱った。全く持って見当違いも甚だしい、勘違いの憐れな男だ。エリック・ドマはラ・メイが想像もできないような酷いことを平気で行うし、ラ・メイを友人だと思った事など一度もない。だというのに、エリックが手紙の返事を書けば、そのさらに返事で、文面からもわかるほど大喜びしているような勘違い男だった。
その善良でただただやさしい人物が、殺された。
「ルシウス・コルヴィナス。無論、勿論。全てが終わったあかつきには、我々も君によって殺されて構わない」
「……」
「そうすべきシナリオもきちんと用意しよう。私の死により、完璧に完全に、君の復讐劇は完成する。私が黒幕になってもいいし、私が物事の引き金になっても良い。ただ、君がセンスのない報復を淡々と行うのではなく、私の描く復讐を、どうか君の手で進めてくれないか」
予定とは少々異なるが、ドマはルシウスに依頼をした。
「勝手に切り売りされる私の生死……!」
何か死体人形が喚いているが、所有権はドマにある。
「……」
ルシウスが黙った。提案に対してメリットを感じている様子は一切ない。ただ、ルシウスは死体人形を気にかけた。動いている、生前のヴィクトリアを思い出させる人形を「殺す」ことが自分にはできないのだと、そう葛藤していることがエリックにはわかった。殺せるのならとうにしているだろう。あまりにもヴィクトリアを大切にしているルシウスにとって、偽物だとわかっていても、ヴィクトリアの身体を傷つけ、その瞳にやどる生気の火を吹き消すことはできない。
「……私にどんな道化を演じろと?」
暫くして、ルシウス・コルヴィナスはそう口を開いた。
ジョン・ウィックを観てたんですが、1の終わりでピットブルという大変好戦的なわんわんを連れて帰る選択をしている辺り、殺意の高い男だなと思いました。