7.刺客に狙われた朝食
着替えを終えて朝食のため食堂へと向かった。
カリーネが先導し、アイナとノーラが後からついてくる。
渡り廊下に差し掛かると庭園だったと思われる光景が外に広がった。
「ここには本来薔薇の花が咲いてそれはもう美しい庭園だったのですよ」
ロズリーヌの視線に気付いたカリーネが昔を懐かしむように言った。
「干ばつで今は草木も枯れて見る影もなく寂しい風景ですが……」
過去どれほど綺麗に咲き誇った薔薇の庭園だったとしても、今ロズリーヌたちの目の前にある庭園は葉も花もつくことの無いやせ細った枝が寂しげにあるだけだった。
庭に降り注ぐ雨が更に哀愁を漂わせた。
「ですが、ロズリーヌ様のお陰で二日も雨が降りましたわ!これからも雨が降り注げば再び花も咲きますわよ!」
ノーラは明るい声で言った。彼女の明るさは周りに伝染する。
そうね。とカリーネとアイナは笑顔で頷いた。
「危ない!」
アイナはロズリーヌを庇うように覆いかぶさった。
「ロズリーヌ様、お怪我はございませんか!?」
カリーネとノーラが身を案じて駆け寄った。渡り廊下のロズリーヌが立っていた場所に一本の矢が刺さっていた。
建物の死角から渡り廊下に向かって矢が放たれたのだ。
「わたくしは大丈夫ですが、アイナが!」
「ロズリーヌ様落ち着いてください。衣服を掠めただけですわ」
自分を庇って怪我をしたのではないかと取り乱すロズリーヌに、アイナは安心させるように笑って応えた。彼女の無事を確認してほう、と安堵の息を漏らした。
「何事ですか!」
騒ぎを聞き付け兵士が集まって来た。
「王妃様を狙った刺客です。周囲を確認してください」
カリーネが即座に声を上げると兵たちは雨にも関わらず渡り廊下から外に出て建物の周囲を捜索し始めた。
「一度部屋へ戻りましょう」
アイナの提案にロズリーヌは首を振った。
本当は物凄く怖い。命を狙われるなんてことは初めてで体の震えも止まらない。しかし、ここで部屋へ戻ってしまえば相手の思うつぼであることはロズリーヌでもわかった。
「いいえ、食堂へ向かいましょう。ここで戻れば相手の思うつぼだわ。わたくしはこの国の王妃です。朝食の席に着きます」
「しかし、敵は王宮内に既に潜り込んでいます。敵が何人いるのかもわかりませんし危険ですわ」
「だからこそ今引き下がるのは賢明な判断ではないわ。わたくしがここで引き下がれば敵には『守られるだけの存在』という印象を与えてしまうもの」
王妃とは危険と隣り合わせだ。サムエラ国の先代王妃の中でも、暗殺され若くして命を落とした者が数名いる。
余所者のロズリーヌがいきなり王妃となり、納得がいかぬものがいるのも想定内である。
だからと言ってここで怯えて隠れてしまえばそれこそ「王妃の器無し」と判断される可能性がある。暗殺を目論む相手に最も効くのは、怯えず屈しない心構えだ。
アイナはロズリーヌの眼差しに決意を見て取った。数秒の沈黙の後、静かに頷く。
「承知致しました。部屋へ戻るよりも食堂の方が近いですし私の傍から離れないでくださいね」
アイナはロズリーヌの隣にぴったりと寄り添い、周囲を鋭く警戒する。
カリーネとノーラも緊張した面持ちで後ろに続き、四人は渡り廊下を進んでいく。兵たちが周囲の捜索を進める中、彼女たちは足早に食堂を目指した。
その時──
「ロズリーヌ!!」
前方から駆けてくる集団があった。食堂まであと少しというところで、クラース、グスタフ、ランナルの三人と出会した。
兵の一人がクラースたちに報告に向かったのだろう。報告を受けたクラースは、真っ先にロズリーヌの名を呼んだ。
「話は衛兵から聞いた!無事か!」
「はい。アイナが攻撃から護って下さったお陰で傷一つございませんわ」
安堵の色を滲ませるクラースの表情が、次第に険しさへと変わる。
「そうか、よかった……。だが、我が国に来て早々、こんな目に遭わせてしまい、すまない」
そして、クラースはアイナへと視線を向け、深く頷いた。
「アイナ。よくロズリーヌを護ってくれた」
アイナは一瞬驚いたように目を瞬かせた後、すぐに表情を引き締め、恭しく一礼する。
「恐れ多いお言葉です。王妃様をお護りするのは、私の役目ですので」
襲撃を仕掛けた者の狙いは何なのか。単なる威嚇か、それとも本気の排除か。
そして何より、王宮内に敵が入り込んでいるという事実。
グスタフが険しい表情で呟く。
「……敵が王宮内にいるのは間違いない。しかし、今回の襲撃の目的はまだはっきりしません。威嚇なのか、それとも本気で王妃様を……」
その言葉にロズリーヌは静かに息を吐き、毅然と言った。
「どちらにせよ、わたくしの取るべき行動は変わりませんわ」
ランナルが眉をひそめる。
「王妃様、今は安全な場所へ——」
「いいえ」ロズリーヌは迷いなく言葉を重ねた。
「わたくしはこの国の王妃です。王妃が朝の席につかないことこそ、国に不安を与えます」
クラースはロズリーヌを見つめた後、小さく息を吐いた。
「……君は、すごいな」
そう言って、彼は軽く微笑むと、兵へと指示を出す。
「王妃を食堂までお連れする。周囲の警戒を強めろ」
一行は警戒を強めつつ、食堂へと向かった。
朝食は質素なものだった。堅パンに根菜の薄いスープ。堅パンは長期保存が効くため、味付けは塩のみといったほとんど水のようなスープに浸して食べる。
「サムエラ国とは天と地の差の食事だろう」
クラースが自嘲気味に呟いた。
ロズリーヌは手元のスープを見つめた後、ゆっくりとスプーンを手に取った。
「いいえ。これは、この国の今の現実……そして、陛下と民の努力の証ですわ」
彼女の言葉に、クラースが僅かに目を見開く。
「干ばつの影響で作物が減り、余剰を作る余裕がない。それでもこうして食事が用意されるということは、民の口に入る分も考えながら、国全体で耐え忍んでいるということですわね」
そう言って、ロズリーヌは堅パンをスープに浸し、静かに口へと運ぶ。
「これは決して、恥じるべきことではありませんわ」
クラースはしばし沈黙した後、目を伏せて苦笑した。
「本当に君は強いな……いや、賢いと言うべきか」
ロズリーヌは柔らかく微笑んだ。
「わたくしは、この国の王妃ですもの。この国の苦しみを共にするのは、当然のことですわ」
ロズリーヌの穏やかな言葉が響いた瞬間——静かだった食堂に、小さな嗚咽が漏れた。
「……ロズリーヌ様……っ」
侍女たちは手で口を覆いながら、堪えきれずに涙を零す。側に控えていた兵たちの頬も、わずかに濡れていた。
彼らはずっと耐えてきた。飢えに、疲れに、そして国の行く末への不安に。
だが今、目の前の王妃はそのすべてを受け止めるかのように、毅然として言ったのだ。「これは恥じるべきことではない」と。
「……嫁いで来たのが、この国の王妃になるのが君で本当に良かった」
クラースがそう呟いたのは、彼の本心だった。
干ばつに苦しむ国にとって、王妃という存在はただの飾りではいられない。民の不満を和らげ、支えとなり、ときに希望となる者でなければならない。
だが、異国から来たロズリーヌに、それを求めるのは酷なことだと、どこかで思っていた。
しかし彼女は、何一つ愚痴をこぼすことなく、この国の現実を真正面から受け入れた。