6.ダウジャー・クイーンの存在
「おはようございます。ロズリーヌ様」
「ん。フェリシー…もう少しだけ」
ロズリーヌは身動ぎして布団に顔を埋めた。
「あらあらあら。ロズリーヌ様は朝が弱くいらっしゃるのね。お可愛らしい」
「ふふっ、そうね。昨夜は心配でしたが、よくお休みできたようで安心しましたわ」
「!?」
複数人の声にロズリーヌは慌てて起き上がる。
──やってしまった。
オニキス王国に来て二日目。早々に醜態を晒してしまったことにロズリーヌの顔色は青くなる。
「おおおおはようございます。申し訳ございません」
一週間以上の移動疲れもあり、昨夜はぐっすりと眠れた。王宮のベッドは公爵家にいた頃と同じくらい柔らかで寝心地がよく、ここがオニキス王国であることを忘れていた。
フェリシーとは、ロズリーヌが小さい頃からお世話してくれて、唯一ロズリーヌが懐いた侍女だ。侍女をオニキス王国に連れてくることを許可されていたが、彼女はサムエラ国に家族があるためロズリーヌ自身がフェリシーに家族と共にいるように命じて連れて来なかった。
「カモミールティーをお持ちしましたわ」
「ゆっくりと起き上がって目を覚ましましょ」
「後ほど本日のご予定をお伝えさせて頂きますわ」
三人の淑女がロズリーヌを優しく起こし、紅茶を入れてくれた。
彼女たちは初日に入浴を手伝ってくれた三人だ。昨日のうちにロズリーヌ付きの侍女となることに決まった。
おっとりている雰囲気があるが1番しっかりしているカリーネ。明るく元気で武の心得もあるアイナ。三人の侍女の中で1番年下であり、ロズリーヌと同い年、好奇心旺盛なノーラ。
「本日のご予定をお伝えします」
カリーネとノーラに身支度を整えてもらいながらアイナが今日のスケジュールを述べていく。
この後すぐにクラースと朝食を取り、王宮内の案内と宮廷に務めるもの達への顔見せ。午後からは神殿へ行き神の加護を受ける儀式が執り行われる予定とのこと。その後、近くの宮殿に移動して中庭にて貴族たちとの懇談会が開かれる。さらに、夕刻には国王陛下主催の晩餐会が控えており、各国の要人たちが出席する。
「かなり詰め込まれていますね……」
予定を伝え終えたアイナが軽く眉を顰めた。
嫁いで早々のハードスケジュールだが、仕方ない。オニキス王国に来る前に国の内情などを公爵が事前に調べてくれていた。
現在のオニキス王国は安定しているとは言い難い。五年もの間雨が降らない環境は、国民に多大な影響を及ぼしていた。餓死者があとを経たず、他の領土から奪おうと争いはおき、賊が頻繁に出没するようになった。さらに、飢えた国民の不満は宮廷にも向けられており、王家への信頼が揺らいでいるのが現状だ。
「……オニキス王国がロズリーヌ様に期待するのも、無理はありませんね」
カリーネが小さく溜息をつきながら言葉を続ける。
「神の加護を受ける儀式が急がれるのも、王国が抱える不安定さを払拭するためでしょうね。あなたがこの地に嫁いだのは、ただの政略結婚ではなく、この国を救う希望と見なされているからですわ」
その言葉に胸が少し重くなった。嫁ぐ前から承知していたこととはいえ、実際にこうして現地に立ち、問題を直視する事で責任の重圧感に押しつぶされそうだ。
「ロズリーヌ様大丈夫ですか?」
ロズリーヌの顔色が悪くなったのを察してノーラが覗き込む。
「え、えぇ。大丈夫よ」
「まあまあまあ、私ったら不安にさせるようなことを言って申し訳ございません。サムエラ国との国交は無事結ばれたのですもの。政は殿方にお任せしてロズリーヌ様は少しずつオニキス王国に慣れていってくだされば問題ないですわ」
カリーネは慌ててロズリーヌを宥めるように微笑みながら言葉を続けた。その柔らかい声色と穏やかな笑顔は、確かに場の空気を少しだけ和らげる力を持っている。
「ですが、今夜の晩餐会にはクラース陛下の継母でもあり、王弟殿下の実母でもあるアデラ様がご参加されますのでお気をつけください」
険しい表情でアイナが言った。
アデラは前国王の二番目の王妃で、クラースの継母だ。前国王は病で先立たれたため、ダウジャー・クイーンと呼ばれる存在である。
ダウジャー・クイーンは王太后とは違い、前国王の未亡人として名誉的な地位を保持するが、実質的な影響力は小さくなることが多い。
その為、実の息子であるフィン王子を国王にするため宮廷内で密かに根回しをしているという噂が絶えない。アデラは表向きは穏やかで上品な未亡人として振る舞っているが、その背後で動いている計略は宮廷の誰もが薄々感づいていた。
「アデラ様は晩餐会でロズリーヌ様の一挙手一投足を細かく観察するでしょうね。それがフィン王子を推す彼女にとって、何かの隙を見つけるためであれば尚更ですわ」
ノーラが興奮した様子で言う。
「アデラ様のようなお方の前では、何よりも冷静であることが大切です。たとえ挑発されても感情を露わにしないでください。毅然とした態度を保つことが、王妃としての威厳を示す一番の方法ですわ」
アイナが冷静にアドバイスを付け加えた。
晩餐会はまだ先だというのに緊張してきた。窓から覗く景色もロズリーヌの心境を映したかのように厚い雲が覆い激しい雨が窓を打ち付けた。
「こらこらこら、二人ともロズリーヌ様を不安にさせて悪い子ね。ご安心を、ロズリーヌ様。私たちがしっかりとサポートいたしますわ」
カリーネは冗談めかした口調でアイナとノーラをたしなめるように言いながら、ロズリーヌに優しい微笑みを向けた。その温かな笑顔は、重く沈んでいたロズリーヌの胸に安心感を与えた。