5.雨女と晴れ男
ロズリーヌたちは陛下が待つ謁見の間へと向かった。
使用人たちとは扉の外で別れ、彼女等に見送られて謁見の間へと足を踏み入れた。
謁見の間には、玉座にクラースが座り、中央の道を開けて左右に臣下が並ぶ。
ロズリーヌの登場に、しんと静まり返った空間が耳に痛い。
やはり、使用人たちはああ言ってくれたが、着飾った姿はおかしかっただろうかと心配になってくる。
──わたくしなんかが着飾ったところで
と、俯き卑下していると
「ほう。これは化けたな」
クラースは驚きの声を上げた。その声に漸く臣下達もハッとして意識を戻す。
ロズリーヌの姿に見惚れていたのだ。
黒い髪に青い瞳。憂いを帯びた表情が神秘的に見えた。
「ロズリーヌよ、こちらへ」
「はい」
出会った当初はロズリーヌ嬢と呼んでいたが、今からは夫婦になるのだ。
陛下が妻に敬称を付けて呼ぶのもおかしい。
ロズリーヌは呼ばれて、クラースの元へと歩みを進めた。
「皆の者よく聞け。彼女は近々正式に婚姻式を上げ、オニキス王国の国母となるロズリーヌだ」
クラースは立ち上がり、ロズリーヌの腰を抱いて臣下たちの方へ向き直ると声を上げて言った。
臣下たちは即座に敬意を示し跪いた。
代わる代わる臣下たちがロズリーヌとクラースに挨拶をする。
「いやー、こんなにお美しい妃を娶られて陛下がお羨ましい限りですな」
「い、いえ。そんな……」
挨拶に来る人来る人ずっとこの調子で、ロズリーヌは苦笑を浮かべる。
クラースはと言うと、自慢気にそうだろうとふんぞり返っていた。
一通りの挨拶と面会を終えて臣下たちは部屋を後にした。
部屋にはロズリーヌとクラース、そしてクラースの側近のみが残った。
「あー、疲れた。グスタフもういいよな」
「はい、お疲れ様でした」
クラースは言うと、玉座にどっかりと座り深く沈む。
先程まで威厳に満ちた態度とは打って代わり、王宮に来た時と同じ雰囲気をしていた。
グスタフがクラースの問いに答えると、クラースは徐に上半身の服を脱ぎ捨てた。
──なっ、何故服を脱ぐのですか
まだロズリーヌが居るというのに上半身を露わにするクラースに驚き、ドギマギとしながら目を逸らす。
男性の裸を見るのはこれで二度目だ。
一度目もこの男だった。一日に二度も異性の裸を見ることになるとは思ってもいなかった。
──彼はもしや変態なのでしょうか
などと失礼なことを考えていると、グスタフが脱ぎ捨てられた衣服を回収し、別の側近が柔らかい素材で出来た上着をクラースに羽織らせた。
「あー、やっぱり肌を覆う服は俺には性にあわん」
「国王になられたのですから少しは慣れてください」
グスタフが嘆息を漏らした。
クラースとグスタフの関係性から二人はとても親しい間柄なのだと分かる。
「はっはっは、そりゃー無理だろ。陛下はこんまいころから裸ん坊だからな」
「ランナル、俺を変態みたいに言うな」
「事実でしょう」
「ヘルゲ、お前まで」
どうやら、親しいのはグスタフだけではなく、他の側近たちも同様みたいだ。
「驚かせたでしょう。申し訳ございませんね」
呆然としているとグスタフがロズリーヌの傍に来て言う。
「いえ、そんな。皆さん仲がいいのですね」
楽しそうに言い合いをしているクラースたちがロズリーヌには眩しかった。
ロズリーヌには望んでも手に入らないもの。
ずっと羨んで来たものだった。
「陛下が小さいころからの付き合いですからね」
幼馴染というものかとロズリーヌは思った。
ロズリーヌには友もいなければ幼馴染もいない。
羨望の眼差しで光景を見つめているとクラースと目が合った。
「来い」
そう言って手を引かれる。
「ロズリーヌ、こいつらは俺が最も信頼している側近たちだ。何かあればこいつらに頼るといい」
クラースは側近を紹介し、側近たちにロズリーヌを紹介した。
王の決定を補佐するため、政治や外交に関する助言を行うグスタフ。クラースやグスタフよりも年上で最年長と思われる、近衛兵のランナル。宗教的医師のヘルゲ。秘密業務に就いているヨン。サムエラ国とオニキス王国が国交を結ぶに至った立役者である外交官のイクセル。
「ほお、これが噂の」
「陛下が王妃に据えるとまで言ったときは頭がおかしくなったのかと思いましたが」
「アメフラシの乙女と晴れ男か。似合いだな」
「ふむ。クラースには勿体ないな」
側近たちはロズリーヌに顔を寄せて上から下までじっくりと見る。
ロズリーヌは側近たちの食いつきように軽く身を引いた。
「顔ちけーよお前ら」
クラースは側近たちにデコピンを食らわせた。
「何だよ嫉妬してんのか?」
「男のジェラシーはみっともないですよ」
暴君、横暴王と側近たちは野次を飛ばした。
クラースは徐々に額に青筋を浮かべ苛立たしげにピクピクと右眉が上がる。
「おーし、上等だてめーら。文句がある奴はかかって来い」
クラースは羽織の袖を捲りあげて立ち上がった。
まるで、学生のように騒ぐクラースと側近たちに唖然としているとグスタフが呆れた溜息を零した。
「本当に……申し訳ございません」
恥ずかしそうに顔を赤らめて謝罪するグスタフに首を振った。
「き、気にしないでください」
グスタフの気苦労が伺える。
ロズリーヌは側近が発したある言葉が気になり、グスタフに問いかけてみることにした。
「あの、先程側近の方が晴れ男と仰っておられましたが……」
「ああ、実は陛下は一部の者たちに晴れ男と呼ばれているのですよ」
どういうことだとロズリーヌは首を傾げた。
今朝、王宮に着いた時には雨が降っていた。
グスタフは窓の外を指さす。
「貴女は自分で雨を連れて来たと、非日常的な事がある度に雨が降るのだと言っておられた」
「はい、確かにそう言いましたわ」
「今朝、貴女が連れて来てくださった雨が午後にはもう止んでいる」
窓の外を見ると、雨雲は消え空は晴れ渡っていた。
いつもであれば、このような非日常的な日は一日中雨が降っているはずなのに、雨雲は見る影も無くなっていた。
「この晴れが俺のせいだと俺自身認めてはないけどな」
クラースは身体を動かし温まったのか僅かに汗をかいていた。
腕を回し首を鳴らしながらロズリーヌたちの元へと戻ってきた。
彼の背後に目を向けると死屍累々な光景と化していた。
グスタフとランナル以外の三人はゾンビのように床に転がっていた。
「何言ってやがんだ。陛下が即位してから五年、降水率ゼロじゃねーか」
クラースやグスタフよりも少し年上の容貌をした、大男のランナルが言った。
「ぐっ……」
クラースは事実に返す言葉もなく、苦虫を噛み潰したような顔をした。
使用人の女性たちも同じことを言っていた。
まさか、自分と真逆の存在がいると思ってもいなかったロズリーヌは目を丸くしてクラースを見た。
「まあ、一万歩譲って俺が晴れ男だとしよう。だが、ロズリーヌが来てくれたことで五年間一度も雨が降らなかったオニキス王国に雨が降った」
クラースはロズリーヌの目の前に立った。
「悪いが、君の過去は全て調べさせてもらった」
クラースの発言に心臓が跳ねた。
ドクドクと早くなる心臓音に対して血の気が引いていく。
ロズリーヌがサムエラ国で疎まれていたこと、雨女やフラ令嬢と呼ばれていたこと全て知られたのだとわかった。
「こんな事を言うのは不躾で失礼だが……良かった。」
予想外の言葉に俯きかけた動きが止まる。
「君が、サムエラ国で運命の人と出会わなかったから君はここにいる」
片手を取られ、遠慮がちに顔を上げると、安堵した表情があった。
「サムエラ国では雨のせいで君は随分と苦労しただろう。だが、我が国にとっては恵みの雨だ。ロズリーヌがオニキス王国に来てすぐに雨を降らせてくれた。我々にとって命の水だ。ありがとう」
言って、クラースはロズリーヌの手の甲に口付けた。
側近たちは、屍と化していた者たちでさえも片膝を着いて頭を垂れていた。
「そ、そんな。わたくしは何もしていませんわ」
「君はそう思っても俺たちはそう思わない。好きな人と添い遂げさせることは出来ないが、君が望むことはできる限り叶えよう」
クラースの真剣な眼差しがロズリーヌの瞳を捉えて離さない。
「どうか、これから先俺の妻としてそばに居てくれ」
クラースは片膝を着いて、紳士的な態度で再び手の甲に口付けを落とす。
彼等が望んでいるのはロズリーヌ自身ではなく、雨を呼ぶフラ令嬢であるロズリーヌだと理解している。
だが、まるで夢にまで見たプロポーズされているような状況にロズリーヌの胸が鳴る。
「はい……」
ロズリーヌが返事をすると、胸の高鳴りに共鳴するように晴れ渡っていたはずの空に雨雲が覆い、激しい雨を降らせた。
クラースもまた心臓が飛び出しそうな程に緊張に高鳴っていた胸をホッと撫で下ろした。
ロズリーヌがオニキス王国に来るまでの間雨を降らせ続けたと聞いて、にわかに信じられなかった。
ロズリーヌとの縁談が決まってから彼女の事は部下に調べさせ事前に状況も知っていた。
雨に降られ、想い人にも振られ、フラ令嬢と蔑まれる女が一体どんなものなのか。
サムエラ国は体良くロズリーヌを追い出したのだとわかっていた。
国から見捨てられた令嬢だと分かっていながら、それでも受け入れたのは彼女に非日常的なことがある度、雨を降らせると知ったから。
雨が降るのであればどんな醜女でもいいとさえ思っていた。
どんな魔女が来るのかと待ち侘びていると、二日遅れでロズリーヌが王宮に着いたと連絡が入った。
クラースはどんな奴か見てやろうと正面玄関へと向かった。
遠目からみたロズリーヌは髪を伸ばしまるでお化けのようだと思った。
噂通りの陰鬱な奴だとーー。
その時、長い前髪の隙間から青い瞳が覗いた。
憂いを帯び、悲しげで儚く、不安と絶望。クラースが何度も見てきた表情だ。
ロズリーヌは国民たちと同じ表情をしていた。
生きる希望を失った者の瞳。
その瞳をみた瞬間いてもたってもいられずロズリーヌの前に姿を現した。
──恵まれた環境にありながら、その環境が彼女を殺したのか。
サムエラ国は水不足もなければ不作にもならない。
乾燥地帯もなければ雨乞いをする必要もない。
雨が降るのが当たり前の者たちにとって、それも農作物を育てたことが無い者は特に雨を毛嫌いしただろう。
国民たちと同じ絶望した目をするロズリーヌを笑顔にしたいとクラースは思った。
国民たちを救うため、国民たちに笑顔を取り戻すため仕方なく結んだ縁談のはずだった。
「ロズリーヌ、君は雨女と呼ばれる事は不本意だろうが雨女と晴れ男がいる国。凄いと思わないか」
クラースは、立ち上がり目を輝かせて言う。
「君が雨を降らせるのなら俺が太陽を呼ぼう。雨を降らせる度に悲しまずとも良い。気にやまなくていい!」
ロズリーヌは初めてかけられた言葉に瞠目する。
雨が降ってもいいのだと、ありのままのロズリーヌでいていいのだと。雨が振る度自分を責め、自己嫌悪し、気に止まなくてもいいのだと。
初めて受け入れて貰えた気がした。
泣くのをぐっと堪える。酷く不細工な表情をしているだろう。
しかし、王妃として迎えられた今、人前で泣くのははばかられた。
クラースはそんなロズリーヌの心境を知ってか知らずか、爽やかで太陽のように明るい笑みを向けた。
「ロズリーヌの心に降る雨も、いつか俺が止めよう。晴れ男である俺が何度でも君の雨を止めよう」
ロズリーヌはクラースの言葉にこらえることが出来ず、涙腺が決壊した。
しとどに濡らす頬を伝う涙をクラースは優しく拭う。
人に何度も傷付けられてきた悲しきフラ令嬢と、人々の心を晴らし笑顔にしたい晴れ男の恋物語は始まったばかり───