4.入浴
「とても綺麗な黒髪ですわね」
ロズリーヌは今、湯浴みをしていた。湯浴みといっても、干ばつで水が不足しているため浴槽に湯張りはされておらず、温めた水に布を濡らして拭いてくれている。
馬車を降りて直ぐの歓迎となったので雨に濡れてしまい湯殿を借りる流れとなった。
使用人が髪を洗浄しながら言った。
「あ、ありがとうございます……」
黒髪を褒められたのは初めてだった。
いつも、この黒髪のせいもあって、暗いとか陰鬱だと陰口を叩かれてきた。
ロズリーヌは戸惑っていた。オニキス王国の人達はすごく良くしてくれる。
だけど、ロズリーヌが雨女だと知ったらまた孤立するのでは無いかと思うと心を開くことが出来なかった。
「それにしても、驚いたのではございません?」
体の垢を落としている使用人が問う。
ロズリーヌはオニキス王国に来てからというもの、まだ数刻しかたっていないのに驚きの連続だ。
何に対しての問いかけか分からず口ごもっていると、使用人は続けた。
「陛下のお人柄にはさぞかし驚いたことでしょう」
「……はい」
使用人はクスクスと笑って言う。
確かに驚いた。国王というくらいだから少しばかり歳をとった人物を想像していた。
それが、実際に会ってみるとロズリーヌと十も変わらないくらいの差でしかない。
サムエラ国の国王は厳かで真面目な人なのだが、オニキス王国の国王は正反対のように思えた。
「私たちも陛下が急にロズリーヌ様を担いで来られた時は驚きましたわ」
「も、申し訳ございません」
「あら、ロズリーヌ様が謝ることではありませんわ。悪いのは陛下ですもの」
「そうですわ。それに淑女をあのような抱え方でお運びするなんて」
使用人の女たちは口々にクラースの先程の行動を非難する。
目を回したロズリーヌはクラースの肩に担がれて浴室に放り込まれた。
風邪を引かないように温めてやってくれと使用人たちに頼んで。
「でも、陛下はとても御優しい方ですね」
クラースに悪気はなかったし、悪意もなかった。
浴室に連れて来た時にはロズリーヌの心配までしていた。
ロズリーヌがそう漏らすと使用人達は目を丸くしてにんまりと笑った。
「まあまあまあまあ」
「陛下ったらやりますわね」
「あの性格ですからどうなることかと思いましたが」
何か物凄い勘違いをされている気がするが、国王の妻として嫁いできたロズリーヌには何も言うことは出来なかった。
「あ、あの。皆さんは陛下と親しいんですね」
ロズリーヌはいたたまれなくなって話題を変えた。
クラースが使用人たちと話していた時のことを思い出していた。
使用人たちは肩に担がれたロズリーヌを見て短い悲鳴を上げ、クラースを非難していたのだ。
一使用人が陛下に対してそのような口を聞くなどサムエラ国では有り得ない。
「だって、あんな性格ですものねー」
「グスタフ様のように紳士でしっかりとした方でしたらまた違ったと思いますが」
「「ねぇ~」」
最後は顔を見合せて使用人たちは同調した。
酷い言われようだ。だが、どこか彼女たちの口調には愛情があった。
「そ、そうですか……」
オニキス王国の人達は気さくで仲がいいのだなと思っていると、
「ロズリーヌ様。私たちに敬語を使うのは辞めてくださいまし」
「ロズリーヌ様は今後王妃となり、私たちはその身の回りのお世話をさせていただく、一使用人に過ぎませんわ」
何だか距離を置かれた気がした。
王妃と使用人として線引きをされたような。年頃の女性と久し振りに話せて自分でも知らないうちに舞い上がっていたのだと知る。
偏見のない目で、企みも打算もなく話すことが出来たのが嬉しかったから。
「わかったわ………」
彼女たちと対等にはなれない。
初めからわかっていたこと。独りは慣れている。
なんてことはないはずーーいつも通りのことだ。サムエラ国で過ごしていたように変わらず独りが続くだけだと言い聞かせた。
「ですが……」
使用人は続けた。
「ロズリーヌ様さえよろしければ私たちの事は友達のようになんでも話してくださいね」
「私たちロズリーヌ様がオニキス王国を気に入ってくださるように頑張りますわ」
「陛下に嫌なことされたらすぐに報告してくださいね。愚痴ならいつでも聞きますわ。勿論他言は致しませんわ」
彼女たちは言って笑った。
打算や贔屓にしてもらおうとして言っていないのだとわかった。
確信は無い。何故かそんな気がしたのだ。
だけどまた、ジョナタンの時のように裏切られるかもしれない。
ロズリーヌは人間不信に陥ってしまい、使用人たちが嘘をついているとも思えないと分かっていながら全面的には信用することは出来なかった。
それでも、人間独りでは生きていけない。また騙されたっていい。
彼女たちと仲良くなれたらいいなと頷いた。
「あら?あらあらあら」
「ロズリーヌ様どうされましたか」
「私たち不躾なことを言ってしまいましたか」
使用人たちはロズリーヌを見てあたふたと慌てた。
ロズリーヌの目には自然と涙が溢れていたのだ。
「ご、ごめんなさい。違うの。嬉しくて……」
家族以外の人は信用出来ない。そう思っていながらも優しくされた事が嬉しかった。
楽しそうに話す彼女たちを見て、ロズリーヌも楽しくなった。
楽しい、そんな感情を抱いたのは十歳前後以来のことだ。
「ごめんなさい」
いきなり泣くなんて引かれただろうか。
自分でも驚いた。泣くつもりなんてなかった。自然と目から涙が零れてしまったのだ。
使用人たちはロズリーヌが泣く姿を見て、自国を離れ心細かったのだと思った。
家族と離れ、友と離れ。独りで知らない土地に嫁いできて不安がないわけがない。
「ロズリーヌ様!私たちの前では何も我慢しなでくださいまし」
「ロズリーヌ様が少しでも寂しくないように務めますわ」
「不満や不安なことでもなんでも仰ってくださいね」
彼女たちはロズリーヌの健気な姿に胸打たれた。
もし、自分が全く知らない土地で初めて顔を合わせた人と夫婦になり、突如一国の王妃として生きることになったらロズリーヌのように覚悟出来るだろうか。
少しでも、ロズリーヌの不安要素を取り除き、過ごしやすい環境を作っていきたいと彼女たちは思った。
「それに、私たちロズリーヌ様が来てくださってとても嬉しいのです」
「嬉しい?」
政略結婚だから誰が相手であろうと変わらない気がするのだが、使用人たちは穏健とした声音で続けた。
「我が国で雨が降ったのは五年振りなのです」
「ロズリーヌ様は雨を連れて来てくださいましたわ」
「私たちにとって、ロズリーヌ様は救世主なのです」
世界中で乾燥地帯が増えて深刻化していることは知っていたが、五年間一度も雨が降らなかったとは思いもしなかった。
「あまり長湯してると陛下に怒られてしまいますわね」
使用人の一人がそう言って浴室から出た。
「あら、ロズリーヌ様とても綺麗な御目をされていますわね」
「まあっ、本当だわ。それに、御顔立ちも整っていて肌も羽二重肌でお美しい」
「前髪が御顔を隠されていて勿体無いですわね。よろしければ少し髪をお切りしてもよろしいですか?」
ロズリーヌは戸惑った。
自分の存在を隠す為に目立たないようにする為に何年も髪を切らず前髪を伸ばして来た。
──公爵家の娘として、そして一人の人間として、自分にできることを果たしたい。何よりも変わりたい。
ロズリーヌは決意した。いつまでも変わらなければサムエラ国にいた時と環境は何も変わらないのだと。
オニキス王国の人達は皆、ロズリーヌが来たことに喜んでくれている。
ロズリーヌは未だ自分に自信がないし、人間不信のままだが、それでも変わりたいと思った。
「あの……お願いします。それも少しではなく……」
ロズリーヌは、軽く化粧を施され衣装に手を通す。
「まあっ、なんとお美しい」
「これは陛下もイチコロですわね」
「そ、そんな。皆の腕が良かったからよ。わたくし自身変わりすぎて自分じゃないみたいだわ」
「何を仰っているのですか。私たちは少し飾りを足しただけですわ。素材が良いからとても楽しかったですわ」
使用人たちはロズリーヌが着飾った姿を見てキャイキャイと騒いでいる。
姿見の前でロズリーヌ自身驚いていた。これが自分なのかと。
長かった前後の髪はバッサリと切った。
──首元がスースーする。
露わになった首を摩った。後ろ髪まで切ると言った時には使用人たちから止められた。
綺麗な髪だから、髪を結ったりしたいからと泣きつかれては、本当はショートにするつもりだったのだが、腰まであった髪を肩甲骨辺りまで切った。
使用人たちは髪を結い上げ簪で頭部を飾った。
前髪は眉あたりまで短くして変な感じだ。
常に視界が開けていて、俯いても前髪が顔を隠してくれない為不安が胸を過ぎる。
「ロズリーヌ様、俯いてはいけませんわ」
「せっかくの美しい御顔が見えませんもの」
「とてもお綺麗ですわ。自信を持ってくださいまし」
使用人たちはロズリーヌが俯いて顔が強ばっている様子に気付き、肩に手を置いた。
励ますように、諭すように。ロズリーヌに自信を持たせるように。
「陛下がお待ちですわ、そろそろ参りましょう」