3.出立
出立の日。
ロズリーヌは約束通り、オニキス王国へ嫁ぐこととなった。
心残りがあるとすれば家族と離れるのが寂しいということくらいか。
「偶には手紙を書いて寄越してくれよ」
「ロズリーヌ、元気でね」
「お父様、承知致しましたわ。お母様もどうかお体に気を付けてお元気で」
エルフェ公爵は目尻を赤くし、公爵夫人は娘との別れに涙を流した。
お見送りに来た兄達と使用人達にも別れを告げ、邸の目の前に止まった馬車に乗り込む。
天気は相変わらずの雨だ。
他国へ嫁ぐというのに、お見送りは家族と使用人のみ。
ロズリーヌにとってはそれで良かった。家族以外に思い入れがある人や会いたい人なんていない。
寧ろ、他の人達と顔を合わせずにホッとしている。最後に好きな人達だけに見送られて行くのだから。
馬車が走り出す。雨のせいで家族の姿はすぐに見えなくなった。
ロズリーヌを護送する者たちはオニキス王国の兵だ。
オニキス王国までは片道十日間の距離だ。
時折、休憩を挟む。道がぬかるんで思うように進まないのだろう。
ロズリーヌは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「ひゃっほー雨だぁ」
「恵の雨だ。いつぶりか」
馬車の中にいると外から声が聞こえた。
そっと窓の飾り布をずらして外を見ると、オニキス兵達は雨で頭を洗ったり、口を開けて雨を飲んだりしている。
ロズリーヌは驚いた。雨というと憂鬱になったり陰鬱としてしまうため、サムエラ国の人達からは嫌われていた。
オニキス兵たちが喜ぶ姿を見て初めて雨女で良かったと少しだけ思えた。
休憩も終わり、再び馬車が動き出す。
オニキス王国に着くまでに通常十日の所が十二日かかってしまった。
立ち寄った先々で雨を運んで来てくれた集団と噂になり、歓迎されたりして遅くなってしまったのだ。
王宮に到着し、馬車の扉が開かれる。
「お待ちしておりました。ロズリーヌ・エルフェ嬢」
一人の紳士がロズリーヌへと手を差し出す。
ロズリーヌは家族以外の男性から初めてのエスコートにおずおずと手を重ねた。
「へぇ、あんたか。この雨連れてきたのは」
馬車から降りきったところで、王宮の方から一人の男性が悠然と歩いて来た。
燃えるような真っ赤な長い髪に紅い瞳。露出した上半身は筋肉質で一目で鍛えているのが分かる。
「陛下、あれほど中でお待ちいただくように申したではございませんか」
「この雨だ。中にいるなど勿体なかろう。それに、あんな話を聞いてこの俺が大人しく待てると思うのか」
陛下と呼ばれた男は悪戯が成功した子供のようにニヤリと笑った。
ロズリーヌの手を支えていた紳士はため息をこぼすだけでそれ以上何か言うことはなかった。
「はじめまして、ロズリーヌ嬢。俺はオニキス王国国王のクラースだ」
「お初にお目にかかります。サムエラ国から来ましたロズリーヌ・エルフェと申します」
本来ならばロズリーヌが先に挨拶しないといけないところ、国王らしからぬクラースの姿に驚いて反応が遅れてしまった。
「で、この雨を連れてきたのはロズリーヌ嬢と言うのは本当か?」
クラースの質問にロズリーヌは一瞬硬直する。
ロズリーヌがサムエラ国からオニキス王国に来るまでの間、雨が止むことはなかった。
護送していたオニキス兵から聞いたのだと悟ったロズリーヌは深々と頭を下げた。
「サムエラ国からオキニス王国に来るまでの十二日間雨が止むことはありませんでした。わたくしに天候を操作する力などございませんが、わたくしが非日常的なことをすると雨が降るのも事実。実質、わたくしが雨を呼んでしまったと思われても詮無いことでございます」
重ね合わせた手が小刻みに震える。
雨女が嫁ぎに来たら誰だって嫌だろう。下手をすると送り返されるかもしれない。ロズリーヌはそう思った。
そうすると、エルフェ公爵家の立場はない。他国に嫁がせた娘を送り返された、役立たずとして後ろ指をさされる可能性だってある。
のこのことサムエラ国に帰ることだけは許されなかった。
「事前にお伝えしていなかったことは誠に申し訳ございません。ご不快になられたのでしたら慎んでお詫び申し上げます。どんな罰も受け入れますので、国に帰ることだけはご勘弁ください」
一令嬢が一国の王に意見するなどおこがましいが、ロズリーヌにはこうするしかなかった。
国に返されること以外ならば処刑でもなんでも受け入れよう。
処刑になったところで、ロズリーヌは思い残すことは無かった。
このまま生きていても、迫害され嫌悪される。そんな人生ならばこの先いい事があるとも思えなかったからだ。
それならば潔くこの命散らした方がまだ良いのでは無いかと考えた。
「おい、聞いたか。グスタフよ」
クラースは目を輝かせてロズリーヌが馬車から降りる時に手を貸した男性を見た。
グスタフはロズリーヌの言葉に驚いて「信じられない」と小さく呟いた。
「国に帰す?そんな勿体ないことするわけないだろう!今日からロズリーヌ、君は俺の妻だ」
クラースは嬉しそうに言うとロズリーヌの腰を抱いて、ダンスでも踊るように右手の指を絡め取られた。
ロズリーヌの腰を抱いて持ち上げると笑い声を上げてその場で何度も回った。まるで、雨音が奏でる音楽にあわせて踊るようにクラースはステップを踏む。
唐突のことで目を回してしまったロズリーヌを見てグスタフ等側近が慌てて止めに入った。