19.ダウジャークイーンとの面会
次の日の朝、王宮に朝陽が差し込む頃、ロズリーヌは一日の務めに先駆けて、身支度を整えていた。
庭で土をいじっていた時の飾り気のない姿から一転、王妃としての威厳を漂わせる装いに変わっている。淡い青のドレスにはオニキス王家の紋章が細やかに刺繍され、王妃の称号に相応しい気品を帯びていた。
今日は、クラースの継母イザベラとの初めての面会が予定されていた。
イザベラは前国王の後妻であり、つまりはクラースにとって継母にあたる存在だ。だが、彼女は王の死後、まるで世間から姿を消すように公務も儀礼も一切の場から退いていた。
ゆえに、王都の者たちでさえ彼女の現在の様子を知る者は少なく、噂と影のような存在として囁かれているだけだった。
そんな彼女が、「話がある」として、久方ぶりに姿を現すという。
一応は王家の一員、形式上は。そのため、クラースとロズリーヌは礼儀をもって自ら足を運ぶことになった。
重く閉ざされた扉がゆっくりと開かれる。
奥から香り立つのは、白檀と毒花を混ぜたような芳香。王宮の北翼に住まう、クラースの継母にして、かつて他国より嫁いだ「ダウジャークイーン」の私室であった。
ロズリーヌが一歩足を踏み入れると、室内の空気が冷たく張り詰める。
「ようこそ、王妃殿下。お会いするのはこれが初めてですわね」
一呼吸置いて、イザベラは優雅に首を傾けるようにして続ける。
「そして……陛下。お顔を拝するのも久方ぶりです。お元気そうで、何よりですわ」
その声音は柔らかく、言葉にとげはない。だが、どこか遠くを眺めるような視線と、奥底の読めない微笑が、クラースとロズリーヌの背筋にひやりとした感覚を残した。
天蓋付きの椅子に優雅に座したその女──イザベラは、年齢を感じさせぬ美貌を保っていた。
漆黒の髪は艶を失わず、瞳は夜のように深く暗い。その肌は氷のように白く、王妃というよりは氷の女帝のような威厳を帯びている。
「わざわざ北翼までお越しいただいて。あなたがどんな方か、ずっと気になっておりましたの」
ロズリーヌは軽く会釈をし、クラースも形式的に頭を下げる。イザベラはゆったりと視線を流し、意図的に沈黙の間を作ったのち、まるで会話の続きを思い出したかのように言葉を紡いだ。
「さて、お二人の婚姻式について……近頃、サムエラ国より正式なご提案が届きましたのよ。ロズリーヌ妃の母国ですもの、盛大な祝福をもって挙式をお受けするのが、国際的にも礼を尽くす形でしょう?」
クラースは目を伏せる。
彼のもとにもサムエラ国王からの手紙が届いていた。王族同士の手紙としては異例なほど詳細に挙式の段取りが記されており、既に準備が進められていることを示していた。
本来なら、国内の安定が先。
だが、サムエラからの強い要請、そして今ここにいるイザベラが、まるでそれを当然のように語ってくることで、断りづらい雰囲気ができあがっていた。
「私も、花嫁の身内として同行する所存でしたの。サムエラ国の女王陛下とは、以前から深いご縁がございますし。でも、最近少し体調が優れなくて……直前でお力になれなかったら申し訳なくて、迷っておりますの」
微笑みを浮かべながら、イザベラは“同行する”と前置きしつつ、“直前に辞退するかもしれない”という伏線を滑らかに口にする。
あくまで優雅に、あくまで控えめに。しかしそれこそが、彼女の策略の核であった。
ロズリーヌは一拍置いて口を開いた。
「……ですが、王都の復興はまだ道半ばです。今は民の生活を第一に据えるべきではないかと、私は──」
控えめながらも凛とした声音だった。
しかし、それに対してイザベラは微笑みを崩さぬまま、やや首を傾けるようにして言った。
「まあ、それはもちろん大切なことですわ。けれど、外交の場では“好機”を逃さないこともまた重要ですのよ。それにこのご縁、もとはといえば、オニキス王国から求めたものでしたでしょう?
貴女を王妃として迎えることで、サムエラとの絆を深めること……それは、この国自身が望んだ道ですもの」
ロズリーヌは胸の奥にわだかまるものを感じながらも、言葉を飲み込んだ。
たしかに、クラースとの婚姻は、オニキス王国が求めた“国交強化”の一環だった。
彼女の存在そのものが、外交的象徴として選ばれたのだ。だからこそ今、サムエラ側から届いた挙式の申し出を、表立って拒絶することは難しい。
──国のために選ばれた立場。けれど今は、王妃として自分の言葉で国と民を思いたい。
その狭間で揺れながらも、ロズリーヌは目を伏せず、イザベラの視線を正面から受け止めた。
その静かなまなざしに、一瞬、イザベラの瞳がかすかに細められた。
「……頼もしい方ですこと。これからが楽しみですわ、王妃殿下」
氷のような微笑みが、最後にもう一度咲いた。
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面会を終えた帰り道、長い回廊を歩きながら、ロズリーヌは小さく息を吐き、問いかけた。
「……サムエラ国から、そんな話があったのですね」
その声音には困惑と、抑えきれない不信が滲んでいた。
サムエラ国──自分が生まれ育ったはずの場所。だが、あの国の王族や貴族たちは、雨女と呼ばれたロズリーヌを厄災のように扱った。
王族に嫁がせることで体よく“追放”したはずの娘を、今さら祝福し、挙式を取り仕切ろうとするのは、あまりに矛盾している。
「私をあの国から追い出したのは、彼らの方です。なのに、どうして今さら……祝福なんて」
その呟きに、クラースはしばし沈黙し、静かに答えた。
「俺も不審には思っている。イザベラ殿が、裏で何かを仕掛けているのかもしれない……だが、証拠もないし、サムエラ国からの申し出自体は形式に則った正式な儀礼だ。下手に断れば、国同士の関係にヒビが入る」
ロズリーヌは、ふと立ち止まり、窓の外に視線を向ける。
遠くに広がる王都の街並みが、初夏の陽にかすんでいた。
「分かっています。クラース様のお立場も、王としての面目も……この国の信頼も。私が、あの国にとって何であろうと……いまは、王妃ですから」
小さく笑みを浮かべるロズリーヌに、クラースはわずかに目を伏せた。
その横顔に宿る気丈さが、かえって胸に刺さる。
「挙式は、一月後になるそうだ。サムエラからは既に招待状が各国に向けて出されている」
「ええ……そうなる前に、こちらから断る手段はなかった、ということですね」
風が吹き抜け、ロズリーヌの淡いドレスの裾がふわりと揺れた。
その一歩先に広がるのは、華やかであるはずの婚姻式。だが、その舞台裏には、幾重にも絡む策略と、見えない火種が潜んでいた。