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16.処刑と民衆

 カーン、カーン──


 遠くから聞こえる槌を打つ音で、ロズリーヌは目を覚ました。

 昨日は王宮に戻るなり、日が沈むと同時に眠ってしまった。余程、疲れていたのだろう。


「……なんの音かしら」


 どこか騒がしい気がする。ロズリーヌは眠気の残る体を起こし、ゆっくりと窓辺に歩み寄った。

 外を見下ろしても、庭園や中庭に変わった様子はない。ただ、城門の向こう。遠くで木槌を打つような、重く鈍い音だけが響いてくる。


 その時、タイミングを計ったかのように扉を叩く音が聞こえた。


「ロズリーヌ様、カリーネ、アイナ、ノーラでございます。お休みのところ失礼いたします」


 控えめな声とともに、扉がゆっくりと開かれた。


「お目覚めでいらっしゃいましたか」


 侍女たちは安堵の表情を浮かべながら、静かに部屋へと入ってきた。


「外が騒がしいようだけれど、何かあったの?」


 ロズリーヌが問いかけると、侍女たちは一瞬戸惑い、顔を見合わせる。

 その沈黙を破ったのは、背後から響いた低く落ち着いた声だった。


「これから暗殺者と、その一族の処刑が始まる」


 振り返ると、そこにはクラースが立っていた。


「陛下……」


 思わずロズリーヌは声を上げる。


「処刑……ですか?」


 その言葉を繰り返したロズリーヌの顔に、複雑な表情が浮かぶ。

 王妃暗殺未遂は確かに重罪だ。王族を狙う者に対しては、厳罰で臨むのが常。それは理解している。

 けれど、どうしても胸の内にはざらついた違和感が残った。


 ふとクラースを見ると、彼自身もどこか重いものを抱えたような面持ちをしていた。

 その姿からは、決して進んで命を奪いたいという意志は感じられなかった。


「暗殺者は金で雇われた素人だった。黒幕につながる手がかりも得られなかった。……だが、王族を狙った罪は重い。この国では、見せしめとして処刑が執行される決まりだ」


 クラースは静かに言い、視線をロズリーヌに向けた。


「狙われたのは君だ。だからこそ、処刑を見届けるかどうか、君の意思を聞きに来た」


 淡々と語られる言葉の奥に、クラースの葛藤が滲んでいた。


 「私も、処刑の場に連れて行ってください」


 ロズリーヌの静かな言葉に、クラースは一瞬だけ眉を寄せた。

 当然の反応だった。本来、人が処刑される場面を進んで見に行こうとする者などいない。奇特な性癖か、よほどの覚悟がなければ足を踏み入れられる場ではない。

 もしかすれば、命が奪われる瞬間を楽しむ趣向を持った人物だと誤解されたかもしれない。

 それでも、ロズリーヌはこの目で見届けるべきだと感じていた。


「……わかった」


 クラースは短く承諾した。


 ロズリーヌは急ぎ身支度を整え、クラースと共に処刑が行われる城門前の広場へと向かった。

 そこには、既に処刑の準備が整っていた。

 暗殺犯とその家族、五人の人間が縛られ、磔にされていた。

 男の妻、年老いた母親、そして幼い姉弟。弟は七、八歳ほどで、恐怖に耐えきれず泣き叫び、姉は気丈に振る舞っていたが、顔にははっきりと恐怖の色が浮かんでいた。

 妻は項垂れ、静かに涙を流しており、老婆は目を閉じて神に祈りを捧げている。

 そして、暗殺犯の男は、必死に役人へと訴えていた。


「子供たちだけでも……せめて子供たちだけでも見逃してくれ……!」


 広場に集まった民たちの表情も重く、どこか不安げな空気が漂っていた。


「この者たちは、王妃暗殺未遂という大罪を犯した。よって、一族もろとも火あぶりの刑に処す」


 役人の宣告が広場に響いた瞬間、気丈だった娘も声をあげて泣き出してしまった。


「陛下……彼らと少し、お話をしてもよろしいでしょうか」


 ロズリーヌは静かに問いかけた。

 クラースは少し驚いたようだったが、やがて頷いた。


「わかった。ただし、相手は君を殺そうとした男だ。俺も立ち会おう」


 ロズリーヌはその言葉に感謝の視線を向け、頷いた。

 処刑の場で、王妃が罪人と直接話す。異例の事態に、民衆はどよめき、縛られた者たちも目を見開いた。

 ロズリーヌはゆっくりと男の前に歩み出た。

 すると、それまで晴れていた空が突然曇り始め、暗雲が垂れこめる。


「……陛下、王妃様……お願いです。罰せられるべきは私だけです。妻も母も、子供たちも、私の計画など知りませんでした。どうか、この命一つで、家族の命をお赦しください……!」


 縛られた男が涙を滲ませ、懇願する。

 妻も叫ぶように声を上げた。


「どうか……どうか子供たちだけでも……!」


 クラースが静かに言葉を放つ。


「王族暗殺は、実行した者も、それに関わった一族も等しく処される。それが、この国の法だ」


 冷たい響きのある言葉だが、その表情には明らかな苦悩があった。


「あなたに問います」


 ロズリーヌの声は穏やかで、それでいて芯のある響きを持っていた。


「見つかれば一族すべてが処刑されると、あなたはわかっていたはずです。それでも、なぜあのようなことを?」


 男はしばらく口をつぐんだ。唇を噛み、震えながら答える。


「……水と……食料を……いただいたのです。私たちは、王都の人間ではありません。我が領には炊き出しもなく、井戸も枯れ、飢えと渇きに苦しんでいた。それでも、民に配られるのはほんのわずか……ほとんどは領主のもとに集められていました。どうしても、子供たちに食べ物と水を与えたかった……」


 ロズリーヌは眉を寄せた。

 国が管理する貯蔵庫は既に開放され、各地へと物資が分配されていた。

 とはいえ、国中が困窮している状況だ。他の領地も同じような苦しみを味わっている。

 それでも、ロズリーヌには彼の言葉に「現状、仕方ない」で済ませることは出来なかった。


 そのとき、空が低く唸るように鳴り始めた。

 遠雷に驚いた民たちが「神が怒っておられるのだ」とささやき合う。


「いただいた水と食料は、どうされたのですか?」


 ロズリーヌは静かに問いかける。


「か、家族で分け合いました……。それでも余ったので、近隣の者にも……」


 男は恐る恐る答えた。


「そうですか。それは良かったですね。それに、近隣の方にも分けられるだなんて、とても、お優しい方なのですね」


 ロズリーヌは微笑んだ。その微笑みは慈悲と哀しみに満ちていた。

 男は驚きに目を見開いた。王妃が、あろうことか、微笑みかけたのだ。


「陛下、この者の家族を解放していただけませんか?正確には、主犯であるこの男性一人のみを残し、他の家族の命は赦していただきたいのです。彼への処罰は、私に一任していただけないでしょうか」


 ロズリーヌの言葉に、その場の誰もが息を呑んだ。

 王妃が、自身の命を狙った罪人を庇おうとするなど、前代未聞。衝撃が広場全体に走る。


「それはできない。法で定められている」


 クラースは低く、しかし揺るぎない声で言った。


「法とは、個人の尊重、自由、平等といった基本的な価値観のもとに、正当な手続きを通して紛争を解決する仕組みのことですよね」


 ロズリーヌの問いかけに、クラースは目を細めて頷く。


「ああ。だからこそ、王族といえども法を無視するわけにはいかない」


 その言い分は正しい。だが、それでもロズリーヌは引かなかった。


「では、王族ではなく、民同士の間で殺人未遂が起きた場合は、どう裁かれるのですか?」

「……暴行や重傷害として扱われることが多いだろう。場合によっては賠償金の支払いが命じられることもある」

「ならば、今回もその例に倣うことはできませんか?この男性は、国の環境が生み出した存在です」


 ロズリーヌの声は静かだが、確かな意志が宿っていた。


「私の父が治める領地では、“情状酌量”という考えがあります。殺人が発生したとしても、悪意によるものか、正当防衛だったかで、罪の重さは変わるのです」


 彼女の言葉にクラースは黙した。

 処刑場に集まった民衆もまた、静かに耳を傾けている。


「現状を変えない限り、この者を処罰しても、第二、第三の彼らが現れるだけです。これは個人の罪であると同時に、国全体の課題でもあるのです」


 ロズリーヌの視線は、磔にされた家族ではなく、集まった民衆へと向けられた。


「私は、彼の行動を“環境に対する正当防衛”と受け取りました。今、オニキス全土が困窮しています。国を立て直すには、民衆の力が必要不可欠です」


 そして、彼女はもう一度、クラースの目をまっすぐに見据えた。


「民の力なくして、貴族の存在は成り立ちません。それが、父の教えであり、私の信念です。民を導き、暮らしやすい環境を整えることこそ、上に立つ者の責務ではありませんか?」


 その言葉は、王妃としての命令ではなく、一人の人間としての問いかけだった。

 ロズリーヌの言葉が地に響くように、空から一粒、また一粒と、雨が落ちてきた。

 やがて、それは止まることのない涙のように、静かに処刑場を濡らしていく。


「……っ」


 誰かが、すすり泣く音を漏らした。それが罪人たちの家族のものか、それとも広場に集った民のものかはわからない。

 次の瞬間、広場の片隅から、ぽつりと声があがった。


「王妃様……!」


 その声に呼応するように、あちこちから次々と声が重なる。


「王妃様!」

「王妃様、万歳!」

「ロズリーヌ様を!」

「王妃様を信じる!」


 雨音の中に、民衆の声が混じり合っていく。

 それはやがて、大きな波のような「王妃様」コールとなり、処刑場全体を包み込んだ。


 ロズリーヌは驚いたように、けれどどこか安心したように目を見開き、唇を引き結ぶ。


 クラースは黙ったまま、王妃の横顔を見つめた。

 雨の雫が、その頬を伝う。だが、それは雨のせいか、何か別の感情なのか、誰にもわからなかった。


「……まさか、こんな日が来るとはな」


 低く、かすれた声で、クラースが口を開いた。


「俺はずっと、ただ民に寄り添うだけではなく“芯を持って民を導く力”を持った王妃を探していた。誰に媚びるでもなく、法にも、情にも、正しさを見出せる者を……」


 クラースはゆっくりと視線をロズリーヌに戻す。


「……それが、君だったとはな。ロズリーヌ」


 ロズリーヌは一瞬、驚いたようにクラースを見た。だがすぐに、小さく笑みを浮かべて頭を下げる。


「恐れ多いお言葉です、陛下」


 その言葉を聞いて、クラースはようやく、わずかに微笑んだ。


「よかろう。主犯である男以外の家族は釈放する。そして男の処遇は、君に一任する。ただし、責任は君が負うことになる。王妃としてではなく、ひとりの“決断した者”として、な」

「……はい、覚悟しております」


 ロズリーヌは頷いた。その目には、迷いはなかった。

 民の歓声が再び湧き上がる。雨は降り続けていたが、それでも広場の空気は確かに、少しずつ、確かに──温かさを取り戻していった。

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