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12.元婚約者、現る

 神殿の奥深く、厳かな雰囲気が漂う神聖なる礼拝堂。高くそびえる柱には神々の加護を象徴する紋様が刻まれ、天井から差し込む光が神秘的な輝きを放っていた。


 ロズリーヌは純白の儀礼衣を纏い、静かに中央へと歩を進める。その足取りは静かでありながら、心臓の鼓動は高鳴っていた。後方にはクラースをはじめとする王族、神官たち、そして国の重鎮たちが見守っている。


「妃殿下、こちらへ」


 教皇が促すと、ロズリーヌは跪き、差し出された聖杯を両手で受け取った。杯の中には聖なる泉の水が満ちており、揺れる水面が微かに煌めく。

 この泉は 干ばつの中でも一滴も枯れることなく湧き続けた。それこそが、神の加護がいまだにオニキス王国とともにある何よりの証拠であった。


「この水は、神々の祝福を受けしものにのみ、その力を与えん」


 教皇の声が堂内に響く。ロズリーヌはゆっくりと聖杯を口に運び、一滴ずつ喉を潤す。その瞬間、体の奥深くに熱が広がり、まるで神の力が自身へと流れ込むかのような感覚に包まれた。


「神の寵愛を受けし妃よ、いまこそその証を」


 神官たちが祈りを捧げると、突如として礼拝堂の水盤が波紋を生じさせ、淡い光が辺りを包み込んだ。その光はまるでロズリーヌに応えるかのように揺らめき、静かに彼女の周囲を巡る。


「……これは」


 驚きの声があがる。ロズリーヌの足元に、水の文様が浮かび上がっていた。それはまるで、女神が彼女を祝福するかのような神聖な刻印だった。

 オニキス王国で刻印が現れたのは、同じく神の寵愛を受けるクラース以来である。

 クラースの時は聖杯を口にすると黄金の光が彼の周囲に広がり、眩い輝きが堂内を満たし、足元に光の文様が浮かび上がったという。


「神のご加護は確かにここにある。ロズリーヌ妃殿下こそ、水の女神の祝福を受けし者なり!」


 教皇の言葉とともに、堂内に歓声が広がった。

 堂内の歓声は外で様子を伺っていた国民たちの耳にも届き、ロズリーヌの神殿での出来事は直ぐに人々に広がった。


「ロズリーヌ様、とっっても素敵でしたわ」


 控え室に戻るとノーラが興奮気味に声を上げた。


「ロズリーヌ様が水の女神の寵愛を受けられていることが知れ渡ったことで、干ばつを陛下のせいにしていた重鎮たちも、もう何も言えなくなりましたわね」

「ええ、神々のご加護がこの国にあると証明されたのですもの」


 アイナの言葉にカリーネが続き、侍女たちはロズリーヌに讃えるような眼差しを向けていた。

 しかし、ロズリーヌは彼女たちの言葉に微笑みながらも、心の奥底で複雑な想いを抱えていた。

 ヴァルター領で少女に話した誓いは、嘘偽りのない心からの本心であり、オニキス王国を豊かにしていきたいと思っている。


 なのに気付いてはならない心の奥に燻っている想いにロズリーヌは気付いてしまった。

 確かに、水の女神の寵愛を受けている証が示され、民衆や重鎮たちも納得した。しかし、それはロズリーヌ自身の力ではなく、神の加護によるものだった。

 水の女神の寵愛を受けていたことは嬉しいし、国民たちも喜んでくれたし、ロズリーヌを国母として受け入れてくれるだろうと確信できる。


──それでも、私自身を見て欲しいなんて過ぎた願いだわ。


 このまま“祝福を受けた妃”として崇められ続けることが、本当に国のためになるのか。


「ロズリーヌ」


 一抹の不安が胸を過ぎり思考に沈みかけたその時、低く落ち着いた声が耳に届いた。

 声がした方へ振り向くと、そこにはクラースが立っていた。


「今後、国民たちは水の女神の寵愛を受けた妃として君を見るだろう。おまけに君は雨女で過度な期待もされるだろう。だが、そんなものは関係ない」


 クラースの紅い瞳が真っ直ぐロズリーヌを見つめる。


「雨を降らせるも降らせないも君の意思に関係ない。天気をどうこうできるのは神の御業でしかない。だから慢心はしてくれるなよ」


 クラースの言葉は厳しくも、どこか優しさを含んでいた。


「陛下、その言いようはあんまりですわ」

「少しロズリーヌ様に厳しいと私も思います」

「そうです!慢心だなんて!」


 クラースの言葉にカリーネ、アイナ、ノーラの三人がロズリーヌを庇って非難の声を上げた。


「……慢心、ですか?」


 ロズリーヌは少し驚きながらも、その意図を探るように問い返した。


「そうだ。君が神の寵愛を受けたからといって、すべてがうまくいくわけじゃない」


 クラースは静かに続ける。


「期待を寄せる者もいれば、妬む者もいる。君の力を過信する者もいれば、それを利用しようとする者もいるだろう。神の加護があるからといって、決して自分を見失うな」


 ロズリーヌは、じっとクラースの言葉を噛み締める。

 先の厳しい言葉は、ロズリーヌを案じるが故の発言だったのだとわかる。


「だが、君は君でいい」


 その言葉に、ロズリーヌは息をのんだ。


「神の加護があろうとなかろうと、君がどう生き、どうこの国と向き合うか——それこそが重要なんだ。俺は、君自身の意志を尊重したい」


 クラースの言葉は、ロズリーヌの心の奥深くに響いて、先程まで抱いていた不安が消えていた。


 慢心するな。神の力に頼るのではなく、自分の意思で歩め——。

 そう言ってくれている気がした。


「……ありがとうございます、陛下」


 ロズリーヌは静かに微笑み、深く頭を下げた。

 

「この後は近くの王城で食事会が開かれる。国賓たちもロズリーヌに会うのを楽しみにしているだろう」


 ロズリーヌたちは着替えて近くの王城へと向かった。

 本来、庭園での立食パーティーの予定だったがあいにくの雨により、王城内で開かれることとなった。

 立食パーティーが開かれる王城の広間。

 豪奢なシャンデリアが煌めき、格式高い衣装に身を包んだ貴族や国賓たちが談笑する中、クラースとロズリーヌがゆっくりと会場に姿を現した。


「まあ…」

「なんと素敵な」


 二人が姿を現したことで会場がザワつく。

 クラースは深紅のロイヤルミリタリー風ジャケットを纏い、王としての威厳を存分に漂わせていた。

 金糸で施された精緻な刺繍が立ち襟や袖口を彩り、肩には王族の証である金の肩章が輝いている。縦に並んだ金ボタンがジャケットの輪郭を引き締め、鍛え上げられた体躯をより際立たせていた。

 燃えるような紅い瞳が辺りを見渡すだけで、その場の空気が引き締まる。

 一方のロズリーヌは、彼の隣でしなやかに歩を進めていた。黒髪をまとめた髪飾りには繊細な水色の宝石がちりばめられ、彼女の水色の瞳をより際立たせている。ドレスは夜空のように深い紺色を基調とし、裾に向かって徐々に淡い水色へと変わるグラデーションが美しかった。

 波紋を思わせる銀の刺繍が施され、歩くたびにまるで水面が揺れるように輝く。クラースの深紅の装いと対をなすように、静謐で気品ある雰囲気を纏っていた。

 二人が並び立つ姿は、まるで陽と陰、炎と水が調和したかのような美しさを放っていた。

 彼らの関係が良好であることを象徴するように、それぞれの衣装には互いを引き立てる意匠が取り入れられている。ロズリーヌのドレスの胸元と袖口にはクラースのジャケットと同じ金糸の装飾が施され、クラースの襟元には水色の細やかな刺繍が添えられていた。


「陛下、妃殿下……なんとお美しい」


 貴族の一人が感嘆の声を漏らすと、周囲の人々もまた同じ思いを抱いたように、恭しく頭を下げた。


「夫婦揃ってお披露目をする場だからな。私の妃が誰であるか、はっきり示しておく必要があるだろう?」


 クラースが茶目っ気たっぷりにさらりと言葉を投げかけると、ロズリーヌは苦笑しながらも微かに頬を染めた。その様子に、会場の空気が一層和らぐ。


「これはこれは陛下。見せ付けて下さいますな」


 低く渋い声が割って入り、クラースが振り向くと、一人の壮年の男性がゆったりと歩み寄ってきた。端正な顔立ちに整えられた髭、威厳に満ちた佇まい。

 エルステッド公爵──彼の姿を見た瞬間、ロズリーヌの耳元で控えていたカリーネが小さく囁いた。


「エルステッド公爵です。娘のヴィオラ・エルステッド様は、かつて陛下の婚約者でした」


 ロズリーヌは思わずカリーネを見やる。だが、彼女は何事もなかったように微笑みを浮かべ、再び沈黙した。


「エルステッド公、お久しぶりです」


 クラースが穏やかに応じると、公爵は目を細め、静かに微笑んだ。


「我が娘、ヴィオラと婚約を解消した時は、どうしてやろうかと思いましたが……」


 一瞬、周囲の空気が張り詰める。ロズリーヌは驚きつつも、じっとエルステッド公を見つめた。


「しかし、今こうしてお二人を拝見すると、なるほど、なるほど……陛下はようやくご自身に相応しい伴侶を見つけられたようですな」


 静寂を破るように、公爵はからりと笑った。その声音には、もはや過去の確執を引きずる様子はなく、むしろ納得したような響きがあった。


「……光栄です」


 ロズリーヌが一礼すると、公爵は頷き、再び微笑む。


「とはいえ、我が娘が未だに未練を抱いているかどうかは、また別の話ですがな」

「お父様、その辺りでよろしいでしょう?」


 公爵の言葉を遮るように、澄んだ声が響いた。

 振り向くと、そこには美しい淡い藤色の髪の女性が立っていた。


 ヴィオラ・エルステッド。


 公爵家の令嬢であり、かつてクラースの婚約者だった女性。

 優雅なラベンダー色のドレスに身を包み、淡い藤色の髪が滑らかに揺れる。その首元には、鮮やかな赤の宝石をあしらったネックレスが輝いていた。


「お久しぶりです、陛下」

「ヴィオラ嬢」


 クラースが短く応じると、ヴィオラはロズリーヌの方へ視線を移した。


「初めまして、王妃殿下」


 彼女は優雅に一礼する。その仕草には一片の乱れもなく、完璧な貴族令嬢の振る舞いだった。


「初めまして、ヴィオラ嬢」


 ロズリーヌもまた、同じように礼を返す。だが、相手の視線が自分を値踏みするように静かに動くのを、敏感に感じ取っていた。


「とてもお綺麗な方ですね。……なるほど、陛下が選ばれるのも無理はありませんわね」


 穏やかな言葉とは裏腹に、その声の奥底には、どこか冷えた響きが混じっていた。


「ありがとう」


 ロズリーヌは微笑みながら応じた。だが、その一瞬後、ヴィオラがふっと微笑を深める。


「私のことは、どうかお気になさらず」


 彼女はそう言い残し、優雅に踵を返した。

 そのとき、ロズリーヌの目が赤の宝石にふと留まる。

 クラースの燃えるような瞳や髪と同じ赤。

 踊るように揺れるその宝石は、まるで彼女の未練を映し出すかのように、艶やかに煌めいているようだった。

 ロズリーヌは静かに息をのみ、隣のクラースを見やる。

 ロズリーヌの視線に気づいた彼は表情を変えず、ただロズリーヌの手をそっと握りしめた。その温もりに、ロズリーヌはかすかに安堵しながらも、遠ざかるヴィオラの背中から目を離せなかった。

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