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10.試される覚悟と進む道

 ヴァルター邸を後にする一行。邸を出てすぐに、クラースは改めてロズリーヌに問うた。


「今から向かう場所はとてもこの世のものとは思えぬだろう。……それほどまでに、我が国は今、酷い有様なのだ」


 飢餓に苦しみ、数年前までは至る所で争いが起きていたが、今は皆争いを起こす程の力も気力もなくなっているのだと言う。


「この先は地獄絵図だ。豊かなサムエラ国では目にすることも、想像も出来ぬほどの光景が待っている。君は耐えられないかもしれない、それでもこの国の本当の姿を知らずに王妃という責務を負わせるのは違うと思った」


 クラースの誠実な瞳がロズリーヌを射抜く。ロズリーヌは彼の気迫に呑まれ、喉を鳴らした。この先どんな景色が待っているのかなど、想像したところでロズリーヌの想像を軽く超える状況が待っていることだけは分かった。

 気安く返答してならない──そのことだけは理解出来た。

 ロズリーヌは小さく息を吸い、覚悟を込めてクラースの瞳を見返す。


「……私は逃げません。目を背けずに、この国の現実を見ます」


 その決意を示すように、彼女はまっすぐに手を伸ばした。一瞬瞠目したあと、クラースは差し出された手を取った。 彼はしばしロズリーヌを見つめ、やがて静かに頷いた。


「では行こう。君に、この国のすべてを見せよう」


 二人は並んで歩き出す。その先に待つのは、悲嘆と絶望に覆われた国の現実。しかし、それを知ることが、新たな未来を築くための第一歩になるのだと信じて。


「ヴァルター伯の領地では一度も争いが起きなかった。その為、他の領土に比べ比較的まだ良い方だろう。それでも、現状は甘くない」


 一行は民達が暮らす町中へと来ていた。

 領民を一人みただけでロズリーヌは言葉を失った。人々が暮らす街に着く頃には目を逸らしたくなる光景に耐えられそうもなく、アイナに支えられながら歩いていた。

 死体がそこかしこに転がっている。骨しかないのでは無いかと思うような人々が力無く道端に横たわっている。

 外は土砂降り。王都では外に出て人々が喜ぶ姿を目にしたが、ヴァルター領の人々は喜ぶ元気すらもない様子だ。


「あ……め……」


 数人ほど覚束無い足取りで家の中から出てきた。

 外に横たわっていた人々も仰向けになって口を開けた。水溜まりが出来た場所には数人集まって、道の窪みに出来た水溜まりの水を啜っている。


「大丈夫ですか、ロズリーヌ様」


 よろけたロズリーヌをしっかりとアイナが支えた。

 目の前の光景が現実だと受け入れたくないと心が脳が拒否する。


──ダメよロズリーヌ。オニキス王国に嫁ぐと自ら決めたのでしょう!領民たちから慕われるお父様やお兄様のような王妃になると、覚悟して家を出たのでしょう!!


 ロズリーヌは胸の内で叱責して自身を奮い立たせる。

 くん、と服の裾を引かれ視線を南下させた。そこには、動かない赤子を抱いた少女が虚ろな目をして立っていた。

 ロズリーヌはしゃがんで少女と目線を合わせた。


「どうしたの?」

「妹が泣かないの」


 飢餓のせいで声が出ないのだろう。掠れたか細い声で少女が言って、赤子をロズリーヌの前に出した。

 ロズリーヌは恐る恐る赤子を覗き込んだ。

 その頬は痩せこけ、肌は土埃にまみれていた。しかし、何よりも異様だったのは──まったく動かないことだった。

 眠っているのか、それとも——

 ロズリーヌの喉がひゅっと鳴る。心臓が早鐘のように打ち始め、背中を冷たい汗が伝った。


「……少し見せてくれる?」


 震えを押し殺しながら、ロズリーヌはそっと手を伸ばした。少女はためらいもなく赤子を差し出す。

 その小さな体を腕に抱いた瞬間。


──軽い。あまりにも、軽すぎる。


 赤子はまるで人形のように微動だにせず、ロズリーヌが抱き上げても反応を示さなかった。


「妹……助かる?」


 少女の虚ろな瞳がロズリーヌを見上げる。

 答えなければならない。けれど、言葉が出てこなかった。彼女の妹はもう──


「そいつはもう死んでいる」


 隣で黙って様子を見ていたクラースが、静かに、しかしはっきりと告げた。


「妹はもう死んでいる」


 クラースはもう一度言うと、少女の顔がぴくりと動く。しかし、驚いた様子も、泣き出す様子もなかった。ただ、何かを噛み締めるように唇をぎゅっと結んだ。


「……そっか」


 それだけだった。

 涙も、叫びもない。ただ受け入れるだけの、そのあまりにも乾いた反応に、ロズリーヌの胸が締め付けられる。


「ごめんなさい……」


 それだけが、どうしても口をついて出た。

 少女は小さく首を振る。


「貴方が悪いんじゃない……みんな、そうなるの」


 それだけ言うと、少女はロズリーヌの腕からそっと赤子を引き取った。そして、ふらふらとした足取りで歩き去っていく。


「待って……!」


 ロズリーヌは思わず手を伸ばしかけた。しかし、その手をクラースがそっと押さえた。


「行かせてやれ」


 ロズリーヌは唇を噛み締める。何かしなければ。何かできることがあるはずなのに。


 ——なのに、自分は何もできない。


 それが、ただただ悔しかった。

 胸が苦しくて痛い。まるで、失恋した時に感じた痛みに近いがそれ以上に胸が苦しくて痛いのだ。

 自分が情けない。何不自由なく恵まれた環境でのうのうと暮らし、世界のどこかで明日生きることさえままならない人がいるなど考えたこともなかった。


 人々に疎まれ嫌われ辛く苦しい思いをした。自分は不幸だと思ったこともある。

 なんと浅く、愚かしく、恥ずかしいことだろうか。


 ロズリーヌは涙が止まらなかった。ロズリーヌは少女の元へと駆け出した。


「ロズリーヌ様。傘から出ると濡れてしまいます」


 傘持ちをしていたアイナが慌ててロズリーヌの後を追う。


「待って!」


 ロズリーヌの制止に少女は足を止めて振り返った。


「誓うわ。貴方の妹のような者を今度一人も出さなくていいように。オニキス王国の皆が何不自由なく明日を生きていける国にすると!!」


 ロズリーヌの瞳に、揺るぎない決意が灯った。

 追いついたアイナがロズリーヌの頭上に傘を差し出す。

 雨がしとしとと降り続く。傘の端から滴る雨粒が、地面に落ちるたびに静かに弾けた。

 少女はロズリーヌの言葉に、小さく瞬きをした。


「……ほんと?」


 その声はかすれていたが、確かに希望を探す響きを含んでいた。

 ロズリーヌは頷く。


「ええ、誓うわ。私は、オニキス王国の王妃になる。それならば、貴方たちが安心して生きられる国を作る責務がある。私は、それを果たしてみせる」


 少女はじっとロズリーヌを見つめると、小さく頷いた。


「……ありがとう」


 それは、ただの礼ではなかった。

 信じることを忘れかけた者が、もう一度信じてみようとする――そんな、かすかな希望の光だった。

 ロズリーヌの拳が、ぎゅっと強く握られる。

 その誓いを、決して裏切ることのないように、と。


「とんでもない娘を嫁に貰ったな。陛下」

「ああ。本当に…。とんでもなくいい女を妃に貰ったよ」


 少し離れた場所で、ランナルとクラースは、雨に打たれながらロズリーヌの姿を見守っていた。

 ランナルが肩をすくめながら呟くと、クラースは小さく笑う。


「陛下、今の言葉は彼女に直接伝えたほうがいいんじゃないか?」

「それは……まだ早いだろう」


 クラースは苦笑しながらも、誇らしげに目を細めた。

 雨音が静かに響く中、ロズリーヌは少女の手を優しく包み込み、そっと頷いた。

 誓いは、言葉だけで終わらせない。彼女は本当に、この国を変えようとしている。


──それを見届けることが、自分の役目なのかもしれない。


 クラースはそう思いながら、改めてロズリーヌを王妃に迎えたことを心の底から誇らしく思った。

 豊かな国サムエラ国から妃を貰い受けることは、政略結婚として妥当だとクラースも納得していた。ただ、サムエラ国との繋がりのために何がなんでも嫁いできた妃をオニキス王国に繋ぎ止め、国交を結ぶためだけの道具であればいいとすら思っていた。

 正直、サムエラ国で疎まれている娘が妃に宛てがわれたと知った時には、厄介払いのためにサムエラ国に下にみられ、舐められていると憤りを覚えたりもしたが、今では嫁いで来たのが彼女で良かったと心の底から思っている。


「なぁ。ランナル、俺はロズリーヌを失いたくない。だが、ヴァルター伯も言っていた。渦中の存在になるだろうと……その意味は俺も分かっている。俺はどうしたらいい」


 ランナルは腕を組み、深く息を吐く。


「さぁな。そういうことはグスタフに聞け。ただ、一つだけ言えることはお前が認めた奴なら俺も命をかけて王妃を守るだけだ」


 クラースはランナルの言葉を聞き、静かに目を閉じた。


「……すまない。頼む」


 王としての誇りがある以上、本来ならば家臣に頼る言葉を口にすることは少ない。

 だが、ロズリーヌを失いたくないという思いは、王である以前に一人の男としての本心だった。

 ランナルは鼻を鳴らし、肩を竦めた。


「礼なんていらねぇよ。まったく、とんでもない女を妃に迎えたな」


 その言葉には、呆れよりも敬意が込められていた。

 ロズリーヌという存在が、この国にとってどれほど大きな意味を持つのか、すでに彼は理解していた。


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