ロープ
「言うことを聞かないと、肥溜めに落とすよ。身体が腐って死ぬか。ウジ虫に身体中を食い荒らされて、死ぬか。どっちも嫌だろう」
ウジ虫に、身体中を食い荒らされるのが、効いたみたいだ。
少女は泣きながら、弱弱しくコクンとうなづいた。
可哀そうだとは思うけど、文字通り僕も必死なんだ、諦めてくれ。
少女を慎重に、肥溜めに空いた穴の方へ降ろす。
しばらくすると、何とか身体を穴に入れられたようだ。
穴に入った少女が、俺の指示通りロープを上に放り上げてくる。
が、失敗しやがった。
ロープの先が肥溜めに落ちてしまった。
「何やっているんだ」と僕はいらだつ。
この能無しがとイライラする。
誰かに見つかったらと思うと、平常心ではいられないんだ。
少女に当たるのを、自制できないんだ。
少女は3回放り上げて、やっと成功させた。
少女は肩で、ハアハアと荒い息をしているようだ。
ケホケホと咳きもしている。
ロープの先が肥溜めに落ちて、ついた匂いがとても臭いけど、あまり気にならない。
それより、少し先に進んだことが、とても嬉しい。
見つかることが、何より恐ろしいんだ。
ジリジリとする焦燥感が、少し和らいだ気がする。
次に、スコップと食べ物をロープで結んで少女へ渡した。
これは、簡単だから一発で上手くいった。
ははっ、良い調子だぞ。
ロープを近くの廃材に通して、スルスルと引っ張りロープを二重にしたら、僕も穴へと降りていく。
思い付きでくすねたロープだけど、本当に役に立った。
長いロープがあって良かった。
自分の思い付きが誇らしいぞ。
身体を捻って、何とか穴に入った。
通したロープを片方だけたぐり寄せて、スルスルと回収する。
はぁ、ここまでは上手くいったな。
穴の中の少女は、大人しくじっとしている。
もう、病気が進行して、満足に動けないのかも知れないな。
僕は少女を強引に引きずって、壁の前まで来た。
壁を見て声には出さないが、少女はかなり驚いているようだ。
目を見開いて、スベスベの壁を何度も触っている。
少女にも、これが何なのか、分からないのだろう。
「このガラスみたいな所を触ってくれ。触り続けておいてくれよ」
言ったとおり、少女がガラスみたいな所を触ると、壁が四角く開いた。
少女は「えっ」って思わず声を上げて、また驚いている。
そりゃそうだろう。
誰でも、驚くよな。
「吃驚しただろう」
少女は、何とも言えない顔で、コクンとうなづいた。
俺は唾を一回呑み込んでから、壁の中へ入ろうとした。
この先に何があるのか分からないから、正直怖いと感じる。
でも、行くしかない。
僕には、どこにも行く所がないんだ。
選択肢は一つだけなんだ。
少女は、壁の中へ入ろうとしている僕を見て、「あっ」と言ったと思う。
心配そうに俺を見ている。
「心配するなよ。君を置いてきぼりにはしないよ」
少女は、またコクンとうなづいた。
こんなとことで、一人で死ぬのは嫌なんだろう。
臭いしな。
壁の中は、大きめの部屋のような感じだ。
ざっと見渡して、二十畳を超えている。
家のリビングより、かなり広いと思う。
部屋の壁も床も天井も白い。
足の裏の感触はツルツルしているけど、滑るわけじゃない。
不思議に照明がついている。
白くて明るい。
部屋の中は、ガランとしていて、何も無い。
何も無いのか。
部屋の中を歩き回ると、ツルンとした半分のボールみたいな物があった。
ヘルメットにも見えるが、深さが浅すぎるし、固定するヒモもついていない。
それから何か円筒形の大きな筒みたいのがあった。
長さが、2mはある。
あったのは、この二つだけだ。
大きな筒は、持ち手も突起も無くて、どこかが開くような感じでは無い。
それどころか、全面がツルツルでどこにも線が無い。
この大きな筒みたいな物と半分のボールみたいな物が、何なのか僕には想像もつかない。
半分のボールと大きな筒の材質は、金属でもプラスチックでも無い感じだ。
未知の材質なのか、僕の知識が貧しいだけのなのか。
どっちにしても、この部屋は少し期待外れだ。
だけど、安全で臭くないことが良い点だな。
パッと見はないけど、次はこの部屋に別の出口があるかだな。
病気の少女を部屋に入れて、探してみよう。
僕は試しに、半分のボールを横にして、壁が開くとろころに置いてみた。
横の方が長かったからだ。
「ガラスみたいな所から、手を離してくれ」
少女は、恐る恐る手を離したようだ。
壁の四角く開いた部分は、半分のボールだけ閉まらなかった。
よし、想定どおりだな。
少女を手招くと、少女が壁の隙間を這い出てきた。
小柄で痩せているから、どこもつかえなかったな。
僕も他人のことは言えないけど、少女のボロ服の下は、信じられないほどガリガリなんだろうな。
部屋に入った少女は、中を不思議そうに見渡している。
まあ、誰でもここは不思議だよな。
はぁー、それにしても疲れた。
身体も痛いし、死ぬ一歩手前だったんだ、もう動きたくない。
だけど不思議とお腹は減るんだな。
自分だけ食べるのはアレだから、少女にも酸っぱいパンを一切れと、臭い肉を千切って渡してあげた。
俺も千切ったのを、口へほうり込んだ。
少女は何回も噛んでから、パンと肉を飲み込んでいた。
少し笑っているようにも見えるな。
少女は「ごちそうさま」としわがれた声で、僕へ礼を言った。
ケホケホと咳きこみながらだ。
死にかけているけど、礼儀正しいんだな。
「どういたしまして。働いてくれたからね。それより疲れたよ。今日はもう寝よう」
少女は僕から、離れた所へ移動して床に寝転がっている。
警戒はしているんだな。
だけど感染症にかかっている女を、どうにかしようとは全く思わない。
でも破れかぶれになって、先を考えずにされると思ったのか。
はぁ、そんな元気は僕にはない。
今はただ、身体を休めたいんだ。
鞭で打たれた身体が、今になってとても痛くなってきたんだ。
僕も床へ寝転がった。
固い床だけど、鎖で繋がれて無いだけ、まだましだ。
少女は地面と、どちらがましなんだろうと考えているうちに、僕は眠ったらしい。