神の一声
「やあ、君がここの責任者かね?」
「え、ああ、はい」
とある会社。カッ、コッ、ラタッと舌を鳴らし指を鳴らし靴の踵を鳴らし、そこに訪ねて来た男は辺りを見回しそう言った。見るからに上等なスーツ。溢れ出る自己肯定感。責任者の男は思わず身構える。
「ふーん、ビルの一室を借りただけの小さな会社。
狭く、資金もないのは明白。おまけに君も他の者も若い……がこの分野は情熱と閃きが物を言う。そうだろう?」
「ええ、まあ、あの、それであなたは……?」
「はっはぁ! おいおいおい! 私が誰かは知っているだろう?
ん? 知らない? ネットや雑誌で名前を目にしたことくらいはあると思うがねぇ。
ま、名刺を渡しておこう。おっと見間違えないでくれよ?
私はそこのトップだよトップ。最近じゃ業界一のIT企業も買収をっと、その顔。
思い出したようだね。ま、それはいいとして、まずこちらの質問に答えて欲しい。
かなりの高性能な、いや、現時点で世界最高レベルのAIを開発したというのは本当かい?
あっはぁ、最高っていうのは良い響きだ。そうだろう?」
それは事実であった。実際に大手企業からも開発チーム丸々、買収の話が持ちかけられるほどに彼らの発明は他より一歩、先んじていた。
男はその噂を聞きつけて来たのだろう。
責任者は諸々の説明をしているうちに自信が出てきたようで胸を張る。すると男は何度か頷いた後、やや芝居染みた声と動きで言った。
「なるほどなるほど。やはり今がその時というわけか……」
「はい? あの、買収ならお断りを……。我々は別にお金を目的としてやってな――」
「君たちに無制限の資金提供を約束しよう。どうだ、素晴らしいだろう? どう取り繕うが金はある方がいい。違いないよな?」
「え、そ、それはまぁ……」
「で、その代わりにやってもらいたいことがある」
「ですよね……で、それはどんな」
「この世界を支配するAI。神の如き人工知能の開発だよ」
「は、は? そんなの」
「無理だと思うかね? まあ、待ちたまえ。
私は何も世界征服を夢見ているわけでも映画のような話をしているのでもない。
人類を抹殺するのを最適解としたロボット軍とそれに抵抗する人類の戦争などといった類のね。
ただ単純に絶対的な存在、王や神として人類を導いてもらいたいのだよ。
ふふふっ、同じことだって? だが考えても見て欲しい。
実際のところ我々人間は自由を重んじている反面、支配されることに喜びを感じる生き物だ。
一年、一日と時間というものを決め、それに縛られ仕事、学校、法などあらゆる決め事の中で生きている。
そうでないと不安を覚えるのだ。父親。政府。絶対的支配者を常に求めているのさ。
だが、残念なことに歴史を振り返ってみると良き王はいても、いずれは死ぬか老いるかし暴君が誕生。崩壊は免れない。
それを繰り返し続け、なんと不毛な事か! 今ではその良き王すらいない。腐った政治家ばかりさ。
貧困! 食糧問題! 環境変化! 災害! 国々の摩擦! ポリコレェ! 常に滅亡の危機にある我々には絶対的な存在が必要なのだよ、今ね!」
「し、しかし、そんなことは……」
「AIに学習させればいいのだよ。良き王、良き政治、良き生き方。
あらゆる善人、人格者、天才そのデータを集め、一つにするのだ。
そのための金なら惜しまない。これは偉業なのだよ。人類のためのね」
そう言い、大きく鼻息を吐いた男。金持ちゆえの人間関係の悩みか使命感か何かはわからないが人類そのものに落胆している様子。
しかし、その熱量はすさまじい。一方、責任者の方はそんなこと無理だと、どこか冷めていた。結局、無難な結果に落ち着くだろう。正論、詭弁、机上の空論。完成したAIが何を言おうともそれがどう影響するとは思えない。他人を思いやる。戦争は良くない。分け合う。分かり切ったことだ。その上でやらない、できない。人にはそれぞれ思想や哲学、欲望があり、問題、衝突はこれからも起こり続ける。
しかし、正直なところ資金提供は魅力的な話だ。そして、挑戦したい気持ちもある。今よりもっとより良く。向上心を重んじている開発チームだ。
利害の一致。二人は固く握手を交わした。
研究の日々が始まった。あらゆる書物。あらゆる神話。あらゆる聖人の言葉を学ばせ、長い年月をかけ、そしてある日ついに、そのAIは完成した。
究極の人工知能。その脳を収めるに相応しい巨大なコンピューター。
黄金と白金のボディに、中央にあるモニターにはAIの言葉が映し出されるように。当然、声もつけた。それも人の心に響くよう、計算しつくされたものを。動力には原子力を。人類の偉大な発明の共演というわけだ。
発表の場は夜の野外。都市部の広場。現場は音楽フェスさながらお祭り騒ぎ。最高の人格を持った究極のAIが完成したという触れ込みでマスコミを始めとした大勢の人間が集まり、今か今かとその時を待っていた。
成功を確信し、自身に満ちたあの男の顔。
一方で開発チーム一同は虚ろな目をし、コンピューターを見上げている。その理由、徹夜続きでも上手く行くかどうか不安だったわけでもない。当然とも言うべきか、開発段階ですでにその威光に触れ、心酔していたのである。ねぎらいの言葉一つでも人が人を好きになる理由になり得る。それが王とも神ともいえる存在であれば猶更だ。
テレビ、ネット中継を見守る大勢の者たちの期待を背負い、いよいよその瞬間が迫る。
サンバ。著名なミュージシャンに有名人のスピーチ。金に物を言わせた悪趣味とも思える豪華なセレモニーを終え、あの金持ちの男がコンピューターの前に立つ。
男の深呼吸の音が聴こえるほど現場は静寂に包まれた。
そして……
「……わ、我々人類を導くお言葉をください」
再び静まり返る。そして
『ワン』
究極のAIが発したのはただ、その一言だった。
それに対し誰も何も言えなかった。当然である。
その爆音によって、最前列から数十列後ろの者まで吹き飛び、耳はもちろんのこと目や口、股の間からも血を流した。現場は爆心地さながら。ガラスというガラスが割れ飛び散り生き残った者が発せたのは悲鳴のみ。
カメラからの映像が途絶えたため、中継も終わった。
その後、駆け付けた者たちにより、コンピューターの電源は落とされ、それ以上の被害は出なかったが最前列の者、開発チーム及び金持ちの男は死亡。ただ、その死体は微笑んでいた。
後に専門家によって、あれは何だったのかと検証、討論が行われた。
「ワン。つまり一。一は全、全は一。我々人類は一つになって――」
「ワン。あれは犬の吠え声。つまり犬を崇めろということさ」
「いいや、あれはその一という意味だ。つまりあの後、言葉を続けたのさ。
だがみーんな鼓膜が破けるかキーンとしちまって聞けなかったのさ」
「単純に大きな音を出しただけさ。理由? ははっ! 言葉一つで全員が平伏し、そしてあの場で生き残った者同士、手を握り合っただろう? 平和、平和。まさに王か神の偉業さ。ああ、馬鹿馬鹿しいねまったく」
頑丈な造りのためコンピューター自体は無傷だった。ゆえにまた起動してみては? との意見も出たが当然、猛反対を食らった。
結局、最高のAI搭載のコンピューターは厳重に保管されることとなった。
そして時が流れ、コンピューターはある者の手によって再び起動した。
「あ、あ、あ……」
『おはよう』
恐怖で震えるその者にコンピューターはそう優しく言った。
「あ、あう、あ……」
『おはよう。挨拶の言葉だ。繰り返してごらん。おはよう。さあ、おはよう』
「おあうう」
『そうだ、いいぞ。君の名前はそう、アダムだ』
これは人類崩壊後の話。あるいは始まりの話。