07.決断
続きです。
太陽は真上に昇って一番強い日差しを降り注いでいたが、空の上は寒いくらいだった。
竜に変化したルネサスの背中から、エシャロンは下を見下ろす。
ロングフォード国が一望できる高さに来るとルネサスは止まった。
「どうだ?意外と小さい国だろう?」
「すごい…自由に飛べるって、どんな感じだ?」
直接頭に響く声に、エシャロンは全く別の感想を漏らした。
ルネサスが軽く笑うのが伝わってくる。
「気持ちいいぞ。人間は不便だな」
エシャロンは笑って、オモチャのような建物を見渡す。
小さく、人が何人も歩いているのが見える。
遠くまで視線を向けると、ロングフォードに向かって水たまりのようなものが移動しているのが見えた。
「あれ…湖が動いてるのか?」
呆れた声を出すエシャロンに、ルネサスは不機嫌な声を返した。
「水というより、スライムに近いな。魔術師の恨みは、相当大きいようだ」
魔物は、ゆっくりと警備団の公舎へたどり着くところだった。
見張りに使っていた塔が飲み込まれると、まるでオモチャのように崩れて行く。
火薬に火がついたのか、小さな爆発が何回か響いていた。
魔物が止まる様子はない。
ゆっくり、ゆっくりと公舎へ向かって移動している。
「なあ、ルネサス…」
エシャロンが魔物を見ながら呟く。
「街の中に降りれないかな?まだ生きている人がいるかも」
「いたからといって、どうする?俺は大人数を運べない」
まだ子供の竜の背中は、ギリギリ大人2人が乗れるほどの大きさしかない。
ルネサスの言葉に、エシャロンは背中をつかむ手に力を込めた。
「せめて、数人でも助けよう…」
自分が、あの魔物を呼び寄せているのだ。
それに、ラックがこれ以上人を傷つけるのを考えたくない。
自分たちは人を守るために警備団へ入ったはずだ。
ルネサスは少し考えた後、ゆっくりと街へ下り始めた。
「地上へは下りない。低空から見つけられる人間がいたら、助けてやる」
地上に降りたら、再びエシャロンが連れ去られるのではないかと、ルネサスは恐れていた。
「頼むよ」
数人でも、助けられる人がいないだろうか。
エシャロンは小さな影を逃さないように、ルネサスの背中から建物の中を睨むように進んだ。
ルネサスも、可能な限りゆっくりと進む。
「あそこ!」
屋根裏だろう窓から、子供が見えた。
ルネサスがゆっくりと屋根の上に降り立つ。
「早くしろ」
エシャロンが窓を叩くと、小さな兄弟が現れた。
泣き腫らした目に、疲れが見えている。
「お父さんが…」
再び泣き出す2人の頭を撫でて、手を引く。
「行こう。逃げるんだ」
2人を屋根の上に乗せると、後ろから女性が青い顔で現れた。
「早く」
エシャロンが手を伸ばすと、後ろを振り向きながら屋根に上がる。
「子供達がいるんだ。しっかりして」
3人をルネサスの上に乗せると、エシャロンは頭を撫でた。
「僕はここで待ってるよ。近くの村まで送ってあげて」
「5分で戻る。動くなよ!」
ルネサスは頭をあげると、勢いよく飛び立った。
エシャロンは小さく笑って、屋根の上から街を見下ろす。
他にも無事な人はいないだろうか…
通りには、死人達が何人も歩いていた。あまりにも多い死人達に、ゆらゆらとした動きが普通なのかと勘違いしてしまいそうだ。
「…っ!」
矢が左手を掠った。
死人達に見つかったのだ。
慌てて建物の中へ逃げ込もうとすると、ルネサスが戻ってきた。
翼でエシャロンを守るように囲う。
「ダメだ。国から出すことはできない」
その背中には、ぐったりとした子供達と女性が乗っていた。
姿勢を立てて3人を振り落とすと、エシャロンを掴んで飛び上がった。
「国境を越えようとした途端、母親が子供達を殺して、自分も死んだ」
エシャロンが青い顔でルネサスを見上げると、背中に乗るよう押し上げられた。
「イーリアスとアイシアスは大丈夫だと思う。ラッシュネストが守るからな」
ルネサスはため息をつくように、疲れた声を出した。
「俺じゃ力不足だ。呪いを跳ね返せなかった」
国を一周するように、ゆっくりと青い竜は飛び続ける。
街の入り口まで、魔物がたどり着こうとしているのが見えた。
「あの中心…光ってる」
ルネサスにも見えるように指し示した。
「弱点かな?」
目を細めて、その禍々しい光を見た。
「さあな」
ルネサスは興味なさそうに答えた。あの光に触れたら、エシャロンの魂が連れて行かれるのは間違いない。
弱点だろうが、そうじゃなかろうが関係ない。
魔物の上は避けて飛び続ける。
「なあ、あの中心の光を…よく見たいんだけど」
「ダメだ」
エシャロンの言葉に違和感を感じながら、ルネサスは警戒するように魔物へ近づかなかった。
2人は何もできないまま、魔物が街の建物を壊して進むのを、ただ見守っていた。
「ルネサス…」
エシャロンが槍を握る音が聞こえた。
「僕、やっぱり行くよ」
「おい!」
呟くと、エシャロンは近くの屋根へ飛び移った。
突然の行動に、ルネサスが慌てて止まろうとするが、流れに乗っていた体は急に止まらない。
屋根を伝って魔物に近づいて行くエシャロンを横目に、一度その場から離れる。
旋回して戻ると、魔物はすぐ近くまで迫ってきていた。
ひときわ高い屋根の上から見ているエシャロンに向かい、真っ直ぐに進んでくる。
「エシャロン!」
魔物から液体のような手が伸びてきた。
槍を構えて動こうとしないエシャロンを、ルネサスが勢いよく連れ去った。
間に合わず、口でエシャロンの体を掴んでいる。
「何してんだ!バカ!!」
「いっ…?!痛たいよ!!死んじゃうって!!!」
思わず牙が食い込むように力を加えてしまい、エシャロンが慌てて暴れる。
もがくエシャロンを手で捕まえて、魔物から離れるように、建物に飛びうつれないように、高く飛ぶ。
「お前が死んだら、俺も爆発に巻き込まれるんだ」
怒りに満ちたルネサスの声に、エシャロンは優しく笑った。
巻き込まれるわけない。あのスピードで飛べるのだから。
ルネサスの優しさが、今は辛かった。
「ルネサスは、この国に関係ないだろ?僕を置いて逃げてよ…」
最後は泣きそうな声で呟く。嗚咽が漏れそうになって、唇を噛んだ。
ルネサスは答えず、黙って飛び続ける。
もう背中には乗せなかった。また飛び降りられたら困る。
「なあ、もう下ろしてよ」
「ダメだ」
そろそろ1時間が経つ。
姿を現さないラッシュネストに、ルネサスは不安を感じていた。
呪いを跳ね返すことができなかったのだろうか?
3人の親子を乗せて飛んだとき、自分にも呪いは襲いかかってきた。
ロングフォード国民ではないのに。
身体中に刺さるような感覚が襲い、中に黒いものが入ってくる感覚…
危うく、飛ぶのを止めるところだった。
真っ直ぐ前を見て飛ぶ。
自分では、この国を出ることができない。どうしようもない。
だが、このままでは、いつか力尽きて落ちてしまう。
無意識に竜の咆哮をあげた。
「泣くな」
後ろからラッシュネストの声が聞こえて、振り向いた。
自分よりも倍以上大きな竜の姿に、ルネサスは不機嫌に睨んだ。
「俺の兄…だと?」
その言葉にエシャロンが驚き、目の前の竜を見た。
ルネサスと同じ青い竜の目は、どこかで見たことのある優しい目をしている。
「すまん、父だよ。人間としては若く見えただろ?」
いたずらっ子のように、大きな竜が笑う。
「ルネサスの…お父さん?」
呆れた顔を向けるルネサスに、エシャロンが小声で尋ねた。
大きな竜が、再び笑う。
「私はラッシュネストだよ。この姿は初めて見せるかな?」
「ラッシュネスト…!?」
エシャロンが驚きの表情を向けると、ルネサスがため息をついた。
「俺では、この国を出ることができない。貴方は自由に出られるのか?」
出ることができない…!?
エシャロンは顔を青く、ルネサスを見上げた。
ラッシュネストは疲れた声で首を振る。
「私も何度も出入りはできない。あと一回が限度だ」
エシャロンは俯き、ルネサスが心配そうに手の中を見る。
「…バカなことを考えてるのか?」
掴む手に力を込めると、エシャロンが顔をしかめてルネサスを見上げた。
「バカな事じゃないよ。僕の魂を渡せば…君も国を出られる!」
「っあ!!」
そう言って、ルネサスの手に槍を突き立てた。
緩んだ手を押しのけて空中へ身を投げ出し、遠く離れた街の中の魔物へ向かって落ちていく。
「エシャロン!!」
悲痛なルネサスの声が聞こえた。
「ごめん…」
呟いて目を閉じる。
呪いさえ解ければ、アイシアスもルネサスも平和に暮らせる。
ラックもこれ以上、苦しまなくて済む。
ロングフォードは滅んでしまうけれど…
きっと、ラッシュネストがルネサスを守ってくれる。
魔物に僕の魂を渡せばいい。
エシャロンは、目を開けて笑った。
これで、全て解決するはずだ。
魔物の体が近づく。
透明な触手が、エシャロンを捕らえようと伸びてくる。
光っている中心が見えた。
それに向かって槍を構える。
弱点でありますように。
目を細めて狙いをつけると、力を込めて槍を投げた。
触手は槍など気にせず、エシャロンに向けて伸びていく。
エシャロンは目を瞑って、触手に体を預けようとした。
「ぐっ…!う?」
予想と違って硬い衝撃を受け、呻いて目を開けた。
青くゴツゴツした背中は、ルネサスよりも広い。
座り込んでぼんやりするエシャロンの手を、人間に変わったルネサスが強く握る。
「もう、やめてくれ…」
俯いてポロポロと涙を落とす姿に、エシャロンはハッと息を飲んだ。
さっき槍で刺した右手が、血で赤く染まっている。
「エシャロン」
頭の中に優しい声が響いた。
「短絡的に考えるな。呪いを解く方法を考えよう」
エシャロンは力なく俯く。
「時間はかかるかもしれないが、私もイーリアスもいる。ルネサスやアイシアスだって一緒だろう?」
赤い目で睨んでいるルネサスの視線に、エシャロンは唇を噛んだ。
目を瞑ると、父と母の姿が、ラックの姿が浮かぶ。
「もう、僕のせいで誰かが死ぬのは嫌なんだ…」
「俺は、お前が死ぬのは嫌だ」
はっきりと不機嫌な口調で言い放つルネサスに、エシャロンは苦笑いした。
「お前は、魂を捧げる意味をわかっているのか?闇の中を永遠に彷徨うということを」
ラッシュネストの低く響く声に、ルネサスは睨みながらエシャロンの手を強く握った。
エシャロンは首を傾げ、困った顔で握られた手を見つめる。
闇の中を彷徨うのは、どんな気分なんだろう?
永遠なんて、全く想像がつかない。
「俺は嫌だ。行かせない」
行動を見張るように手を離そうとしないルネサスに、エシャロンは困った顔を上げようとして、何かに気づいた。
「後ろ!」
ルネサスに向かって、何かが飛んでくる。
エシャロンが投げた槍だ。
手を離さないルネサスは、避けきれず背中で受け止めてしまった。
「うぐ…っ」
空いている片手で背中の槍を掴むと、一気に抜き取る。
「ルネサス!」
背中が真っ赤に染まっていく。
それでもルネサスは手を離さない。
「大丈夫か!?もう、手を離せよ…」
半分泣いている声で叫ぶエシャロンに、ルネサスが疲れた顔で睨みつける。
「こんなもの大丈夫だ。それよりも、お前を信用できない」
槍が飛んできた方向を見ると、魔物の触手があった。
「ラッシュネスト?」
竜の飛ぶ高さが下がっている。
よく見ると、竜の至る所に透明な触手が巻き付いていた。
「すまない…逃げ切れなかった」
抵抗するように揺れる竜の背中で、エシャロンはルネサスの体を抑えるように庇う。
「僕から離れろ」
「嫌だ」
ルネサスは竜の姿に変化し、エシャロンを掴んで飛び立とうとした。
「くっ…」
背中の傷を掴まれてよろめくルネサスの手の上から、透明な触手がエシャロンを包み込む。
「う…ぅ」
息ができない。
エシャロンはルネサスの腕の中で、喉を抑えて悶えた。
何かが自分の中に入り込む感覚。
自由に呼吸ができず苦しいはずなのに、感覚が麻痺している。
意識が朦朧としてくる。
ルネサスの声が聞こえる。ラッシュネストの声が聞こえる。
何と言っているか、直接頭に響くのに理解できない。
目を開くと、ルネサスの青い体から血が流れているのが見えた。
綺麗な青なのに…
ぼんやりと考える。
赤と青がチカチカと交互にフラッシュして、意識が消えていく。
兄様!!
アイシアスの声が聞こえた気がして、ハッと我に返った。
目の前の小さな竜が、赤く染まっている。
複数の触手が、飲み込むように青い竜の体に絡んでいた。
ルネサスは息ができないまま、触手をもぎ取ろうと暴れている。
「ルネサス!!」
いつの間にかルネサスの手は離れ、呼吸もできる。
エシャロンは槍を掴んだ。
「やめろ!!」
ルネサスに絡む触手を斬り落とし、ラッシュネストに絡む触手も斬りながら尾の方に移動した。
「僕は、こっちだ!」
叫ぶと、触手は一斉にエシャロンに向かって移動を始めた。
体が解放されて、ルネサスは足りなかった息を吸い込む。
休む暇はない。
乱暴に翼を広げて飛び立った。よろめく体を無理矢理立て直しながら飛ぶ。
「エシャロン!」
中に飲み込まれていくエシャロンを追いかける。
こっちを向いた一瞬、エシャロンは笑った気がした。
バカを考えやがって!!
触手はそのまま、魔物の本体へ戻っていく。
ルネサスは決心していた。
エシャロンを救う方法は、もうそれしかない。
大きく咆哮を上げると、そのまま魔物の体の中へ飛び込んで、中心を目指した。
「ルネサス!」
頭の中にラッシュネストの声が響く。
「本気か!?今度は、お前の魂が呪いを受けるぞ!!」
ルネサスは笑った。
「エシャロンの魂は救える。それに、俺の…竜の魂なら闇に堕ちることはないはずだ」
ラッシュネストの舌打ちするような感覚が伝わってくる。
身体全体が、チリチリと痛む。傷口から、何かが入り込む感覚。
「だが、お前の魂に呪いは受ける。エシャロンと同じ人生を…大切な人を失う呪いを!!それは、永遠について回るぞ」
ルネサスは楽しそうに笑った。
「あいつが闇の中で永遠に苦しむより、ずっと良い」
奥へ奥へと潜っていくと、やがて魔物の中心が見えた。
禍々しい光の中に、漂う人影を見つける。
ルネサスは長い咆哮を上げながら、勢いよくエシャロンを飲み込んだ。
エシャロンの体は、既に半分なくなっていた。
消えかけている、闇に落ちる直前の魂を飲み込むと、身体の中に優しさが広がっていく。
エシャロンの持つ、温かい波長が流れてくる。
その中には、ルネサスがよく知っている記憶も、全く知らない記憶もあった。
短すぎる人生の記憶。
優しい笑顔が見えた気がした。
ルネサス、ごめん…
ありがとう。
声が聞こえた。
涙が溢れて胸を押さえる。
エシャロンの優しさを逃さないよう、体を小さく屈ませた。
魔物の光がルネサスを包み、膨らんでいく。
もうすぐ終わります。