終わりから始まりへ
「――――――勇者よ、目を覚ましなさい」
今までの人生、十七年と三カ月を振り返ると、なんとも言えない悲愴感を抱くのは自分だけだろうか?
幼少期から不幸な出来事が続き、ついぞ友人と呼べる関係の人間を作ることはできなかった。
休み時間は寝たふりをしながら、『いつ話を振られてもいいように』と周囲の話題に耳をそばだてていたものの、淡い期待は惨めな妄想に消える。
文化祭、体育祭に至っては存在自体を忘れられ、ぼぅとしているうちに閉会式すら終わっていた。
悪質ないじめがなかったことは幸いと言えるのだが、内心はといえば…………当然『青春』というものを謳歌したかったものだ。
「――――あ、あの……目を覚ましてください……」
いやいや、確かに絶世のイケメンとか、頭脳明晰、完全無敵のスポーツマンとかじゃないけどさ、俺、曲がりなりにも転校生だよ? ちやほやされたり、恋が始まったりとか普通あるじゃん? 最初の一週間はそれなりに話題に上がってたのは自分でも理解してるけどさ、なに? 現実ってこんなもんなの? こんなにも厳しいものなの?
「あの、その……起きて……」
最終的に高校二年の春、学校前の大通りで交通事故に巻き込まれて死亡とは……なんて暗く惨めな人生なのだろう。ああ、もし神様がいるのなら、来世はもう少しましな人間に生まれ変われるよう、どうか――。
「ちょっと、もう! 起きてくださーい!」
――世界を劈く大声によって、俺の意識は微睡の中から引きずり出された。思わず「どぉぅわ!?」という素っ頓狂な声をあげ、地面から跳び起きる。
周囲は鬱蒼とした木々に囲まれ、風に揺れる草木が擦れる音に混じり、どこからか小鳥のさえずりが聞こえてくる。俺が座っている場所は、くりぬかれたように木が生えておらず、その代わりに短い芝が学校の校庭程度の広さに丸く萌していた。
これは夢か幻か。
否、これこそが死後の世界――所謂『極楽』というものなのかもしれない。
心地よい風が頬を撫で、温かい日差しが大地を照らす。思わず昼寝にでも興じたくなる程、穏やかな空気が体を包んでいる。
……気になることといえば、太陽の他に一つ二つ見たことの無い惑星が空に浮かんでいることだけ。しかし言ってしまえばその事実こそ、この場所を『現実ではない』と決定づけるものであり……つまり俺は死んだのだ――。
「おほん」
ついホッとくつろごうとしていると、そんな咳ばらいが飛んできた。
音の主へ顔を向けると俺の後方に、ローブを纏った高層ビル程巨大な女性がこちらを見下げている。
「あの、いいですか? 起きましたか? お話を聞いていただけますでしょうか?」
俺が驚く間もなく、その女性は不機嫌そうに睨む。
「ええっと、それでは…………ああ、倉敷灘春なる者よ! 死んでしまうとは、なんて不幸な少年なのでしょう。交通事故とは実に不運極まりない。そこでこの私、女神であるこの――って何してるんですか!?」
「いや、目の前のこれが気になって……」
俺は正面、空中に浮かぶ光の球体を指差した。
どうやら巨大な女性はホログラムであり、この球体から空へと彼女の姿を照らし出していたらしい。
ふわふわと傍を漂っていたため、何かしらのプレゼントかと思い、つい掴もうと手を伸ばしてしまった。結果、空へ送っていた光が指で遮られてしまい、チカチカと女性の姿が点滅していたのだ。
「それよりも、女神様。大変言いにくいことなのですが……もう少し小さくなっていただいてもよろしいですか……?」
「なぜ?」
「ええ、その……貴女様の美しいお顔をもっと近くで拝見いたしたく……」
『あまりに巨大であり、上を向いたままだと首が非常に疲れるから』というのが本心なのだが、言わぬが花というやつだろう。その証拠に、
「それなら仕方ないけど」
人間大の大きさまで縮む彼女の顔はやや紅みがかり、「へへへ」という、およそ女神にあるまじきうすら笑いまで漏らしている。
「さて、どこまで話しまっしたっけ……?」
「貴女が女神」
「そうそう! 私が女神、あなたが人間。おお、不幸な人生を歩みし者よ。この私が別の世界へと転生させてあげましょう」
……大丈夫なのか、この神様という疑念はさておき、こんなチャンスは滅多にない。第二の人生、それも今までにフィクションでしか見たことのない異世界での冒険が、今まさに始まろうとしているのだ。歓喜せずにはいられない。
「貴方には『勇者』となり――」
「――世界を救う?」
「いいえ、一人の少女を救っていただきます」
……少女?
「かの者はこの世界、アルバインに存在する一国、魔術帝国シュヒテン・ロッゾに捕らえられています。しかし、この国は世界一二を争う軍事力を持っているため一筋縄ではいきません。なのでどんな方法でも構いません、少女を、彼女を救って欲しいのです!」
「……その魔術帝国? は何か悪逆非道な行いをしているとか?」
「さあ?」
「民衆に無理な圧制を布いているとか?」
「なんとも」
「では一体何を……」
「細かなことは私にも分かりません」
「どうでしょう。女神の頭に『自称』をつけてみては」危うく口から出かかったその言葉を、寸でのところで嚥下する。
「あっ! 今女神なのにって思いましたね! 分かります! 分かりますよ! 隠そうとしても目がそう言ってるんです! しょうがないでしょ、私にだって知らないことはあるんですから!」
興奮気味にそう言い放った後、彼女は「はぁ」と大きく溜息をもらす。
「まあ、それは私にも非がありますから一先ず置いておいて……転生の説明に移ります。時間もだいぶ使ってしまったことですし」
すると神であるにも関わらず、どこからともなくメモ用紙を数枚取り出し話を続けた。
「えっと、『転生というものは、転生者本人が生前に行った善行に応じ数値が加算されていき、転生時その数値以下の数字が割り当てられたスキルを特技、体質として新たな肉体、新たな人生へ持ち込むことができる』らしいですよ」
「らしい?」
「だって私、転生に立ち会うの初めてですし、このメモ内容も別の神様から教えて貰ったものなんですもの」
……最早何も言うまい。
そんなことよりも、成程スキル。
生前ライトノベルに限らず小説というものはそれなりに読んできた。その中で『異世界転生もの』と呼ばれるジャンルの本によると、こういった時は強靭で無敵な最強スキルを授かり、無双してハッピーエンドになる物語が多いらしい。
世界一二の軍事力と聞いた時は不可能の三文字が頭によぎったが、これは意外とどうにかなりそうだ。
「……ただ一つ問題が」
夢想する私を横目に、彼女は言いづらそうに告げる。
「貴方の善行ポイント……ほとんどないんです」
「…………はい?」
「いえ、その……ゼロという訳ではないのですが……如何せん貴方の場合ですと、悪行は勿論、善行の回数すら非常に少なく……一応スキルの中には『無敵』とか、『あらゆるものを飲み込む悪食』とかあるのですが……残念ながら……一つもとれません」
彼女はどこか申し訳なさそうな表情を浮かべる。
嗚呼、どうやら俺の不運、もはや体質とも呼べるそれは死後でも発揮されるらしい。今までこんなにも自分自身を呪ったことがあっただろうか……いやないだろう……。
最強スキルでお姫様救出ハッピーエンドという淡い期待は、俺のソウルフードであるカップ麺の湯気の如く、風に紛れて消えていった。
「あー、そんなに落ち込まないでください。流石にスキルなしでは可哀そうプラス、私の頼みも実現不可能なので、特別! 特別ですよ? この私から貴方へ一つスキルをプレゼント! 何でもってわけにはいかないので、それなりのものをこちらで用意させていただきましたけど!」
そう言って優しい笑みを浮かべる彼女……どうやら本物の女神だったようだ。否、俺は初めから見抜いていたとも。その声、その顔、その後光、何から何まで神様ではないか。
「あと、こちらも」
彼女はそう言い手を前にかざすと、指先から小さな光球が一つ現れ、フワフワと俺の前まで流れてきた。
「念のため、私の分身を貴方に預けます。もし何かに行き詰った場合、この子を介して私が助言を授けましょう」
「あ……あ、あ、ありがとうございますぅ」
思わず感涙に咽ぶ俺を見て、女神様から「うわっ」と声が上がる――きっと気のせいだろう。
「次に世界の説明を――」
そう言いかけた瞬間、終始朗らかだった彼女の表情が一変し、遥か上空を素早く見上げた。
「いえ、それらは道中でもいいでしょう。というかいけません。時間がもう――」
早口にそう告げ、切羽詰まった様子で右手を上へ持ち上げる。その動きと連動しているかのように俺の体が宙へと浮いた。
「ああ、どうか汝の旅に苦難と祝福を」
女神様は反対の手で印を描き、浮かんだ俺の足元へ両開きの重厚な扉を出現させる。
「あの、最後に……!」
俺は何とかバランスを保ちながら身を乗り出した。
「名前……貴女の名前を……!」
扉が開き、つま先からゆっくり沈んでいく。
「あれ、まだ言っていませんでしたっけ?」
彼女は最後に今まで通り、優しい表情に戻り――
「マリア――――私の名前はマリアです」
――寂し気にそう告げた。