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そこかしこに棲む  作者: 今井葉子
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3  給食室のそうちゃん

 3 給食室のそうちゃん



 水槽にお湯を溜めるとキャップ二杯の洗剤を入れる。スポンジを手に取ると、中に入ったコップを洗い出した。

 プラスチックのピンク色のコップを次々と洗っていく。次はおやつを入れた小皿だ。次はバット。ざる。ボオル。洗剤の入ったお湯の中に手を突っ込んで、汗が噴き出してくる。

 入園式から一ヶ月が過ぎた。しかしまだ登園の時にお母さんから離れたくない小さな子たちが泣き叫ぶ。宗次郎はカウンターの窓から園庭を眺めた。後追いする園児をしっかり抱きしめる保育士の先生は、子どもに代わって母親に手を振る。

「そうちゃん、できあがったから刻んでくれる? 赤ちゃんのクラスの子たちを、お願い」「はいっ」

 宗次郎は水槽から手を上げると手洗い場で石鹸をつけ、ていねいに水を流す。

 保育園の給食を作る宗次郎は現在十九歳。高校を卒業したばかりの新社会人だ。大学に入学する友人たちを尻目に自分は就職する道を選んだ。就職先は女性が活躍する給食の世界。同僚の中年女性の中で、黒一点で働く宗次郎は入社して早々、ちょっとしたアイドル扱いにあった。

 可愛がられていると言えば聞こえがいいかもしれないが、先輩方の扱いは手荒かった。少なくとも宗次郎にはそう感じられた。社会人としての初日はぐったりと疲れた。過酷な労働も加わって、宗次郎は夜、早くから休んでまた出勤する。

 まな板のうえに、主菜の豆腐ボールを包丁で刻む。ボール型の甘酢あんに絡まった豆腐の揚げ物は、あっという間にべたべたになり、また板の上を広がっていく。さらにこれをすり鉢の中に入れ、乳棒ですりつぶしていく。

「関先生、こんな感じでいいですか?」

 主任の先生にすり鉢の中をみせると、オッケーをもらった宗次郎はまな板をきれいに洗ったのだった。



 家に帰ってからさっそく台所に立つ宗次郎は、エプロンを手にした。最近、午後のおやつを任されている宗次郎は、明日のおやつを家で予習する。

「明日は、うどんかりんとうか」

 冷蔵庫に貼られた五月の献立表をみつつ、そのまま冷蔵庫から生うどんを取り出す。「あとは、粉糖、と」

 生うどんを一口大くらいの大きさに切っていく。フライパンにたっぷりの揚げ油を入れ、火を掛けると油がゆらゆらと波打ってくるのを見計らって、うどんを入れた。

 揚げ油が小さくぱちぱちと音をたてて、うどんがきつね色に揚がっていく。しばらくすくい網で軽くかき混ぜながらこんがり揚がると、バットにうどんをあげていく。

 火をとめ、かりかりになったうどんに粉糖をまぶしていく。かりんとうのできあがりだ。早速味見をする。

「ん。うまいな」

 ぽりぽりと音をたてて、噛み砕いていくとやさしい粉糖のあまみが口の中を広がっていく。口の中でかりんとうが四方八方散っていって、やがて飲み込まれていく。

「じゃあ、いつものように」

 かりんとうを小さな器に入れる。となりに麦茶をいれたグラスを置いた。それを宗次郎が座っていた席の隣に置いておく。

 さしずめ御供えと言った風のおやつは、こうしておくと、しばらくするとからっぽになっているのだった。

 異変に気づいたのは先週末だった。宗次郎が作ったおやつを姉のめぐみに取り分けて残して置いたものが、いつの間にかなくなっていることが最初だった。めぐみに上げようとしたごま団子は、あとかたもなく消えてしまったのだった。

 それ以来あらかじめ小鉢にいれてとっておくと、今度はその小鉢にいれたおやつがなくなっている。この不思議な出来事は毎日続いた。

 トイレから戻った宗次郎が台所に戻ると、やはりかりんとうは一つ残らずなくなって、テーブルのうえに空の器だけが残されていた。

「ごちそうさま」

 そんな声が天井のほうから聞こえたような気がして、宗次郎は仰向いた。特に驚きもしない宗次郎はからっぽになった器を洗い始める。揚げ油の処理をしながら、ふと思いついた。

 おやつだけじゃなくて、給食のお昼のメニューも作って、御供えしてみたらどうだろうか。

 そうしたら神様か妖精かだれか分からないけど、また自分の作った物を食べてくれるかも知れない。

 そう思って、袖を捲った。冷蔵庫の前に立って明日の献立を見る。

「シュウマイ……サラスパサラダに、豆腐のすまし汁、か……」

 冷蔵庫の野菜室を開ける。キャベツに人参、きゅうり。たまねぎに小松菜。野菜を一通り出すと、テーブルの上に広げた。

 続けて、豆腐にハム。チルドシュウマイ。シュウマイは父のお弁当用に母が買ってきたものだが、使ってもいいだろう。

 野菜を洗う。下処理の野菜くず用に新聞紙を広げると、人参の皮むきから取りかかる。 サラダの作り方はまだ教わっていなかった。洗い物の脇で盗み見た作り方で、なんとか作れるだろうか。

 保育園のサラダは一旦全て湯通しする。まな板で野菜を切りながら鍋に湯を沸かす。人参から茹でるといいだろう。宗次郎は切った人参を鍋の中に入れると、急いで他の野菜も切っていった。

 野菜と共にかつおだしをだしパックの中につめ、鍋に入れる。火を掛けると、サラダのために茹でていた野菜をざるに開けた。シンクに熱い湯が飛び散る。湯気が上がって視界が靄に包まれる。鍋はまた水を入れ、火に掛ける。サラスパを茹でるのだ。

 野菜を水で洗い、その水を切るとボオルを用意した。塩。こしょう、マヨネーズが出揃う。

 ボオルに茹でた野菜とサラスパ、千切りに切ったハム、調味料すべて入れると菜箸で混ぜ合わせた。

 味見をしてみる。

「結構、うまい。初めて作ったけど」

 自分に感動して、つい鼻歌が出てしまう。朝、出勤前に見ているテレビ番組のイメージソングを口ずさみながら、すまし汁を仕上げる。

「豆腐入れて、醤油と塩。で、一煮立ち」

 テーブルの上に出してあったチルドシュウマイの袋を破く。

「今のうちに、レンチンしておこう」

 シュウマイをトレイごとレンジに入れるとオートメニューでスタートさせる。

 炊飯器からごはんも盛り付けると、

「おっと、いいかな」

 すまし汁を火から下ろすと、お椀によそった。

 出揃ったメニューにため息が漏れる。緊張しながら食べてもらうのを待った。しばらく席を外して様子を見る。夕方の情報番組を流しながら、上の空でテレビをみつめ、待った。

 台所に戻ってみる。

 あ、と思った。

 お皿の上には、ない。

 食べ散らかしたような跡が残って、食べかすがあちこちに散らばっている。

 食べ方、汚いな。

 宗次郎は肩で息をする。

 誰が食べているんだろう。

 なんで皿の中が空っぽになるんだろう。

 改めて不思議に思いながら、皿を流しに下ろして洗い出す。

 そこへ。

「ただいまあ」

 母が買い物袋を下げて、台所へと入ってきた。

「いい匂い。もしかして宗次郎、作ったの? 夕飯?」

「おやつもあるよ」

「えらいっ。ママちゃん、作らなくてもいいのねー」

と宗次郎の頭をわしゃわしゃと撫でる。

「おいっ、さわんなよ……」

「ふふ。親孝行、親孝行」

「違うって。明日の給食を練習してただけ」

 恥ずかしさを隠すように家族分の茶碗を揃え始める。

 皿がからっぽになる不思議はこうしてうやむやになってしまうのだった。



「そうちゃん、最近手際よくなったんじゃない?」

 お昼休み、給食を食べながら向かい側に座る関先生が言った。

「そうよねえ。手先が器用になったなあって思うわよ」

 左隣に座るのは、左近先生。

「ほんとっすか。あざす」

「あざすって。ちゃんと『ありがとうございます』って言いなさいよ」

「すいませんっす」

「語尾に『す』ばっかりつけて。しりとりしたら、そうちゃんの次の人は毎回『す』の言葉よ」

「そうっすね」

 関先生は豪快に笑う。

 関先生と左近先生を代わる代わる見ながら給食を食べる宗次郎は、昨日作って食べたメニューと同じものを今日の給食でも食べる。

 最近、このルーティンに飽きてきている頃だった。

 関先生と左近先生は、宗次郎に話しかけるのもやめて、夢中になっているアイドルの話をする。二人はドルヲタ女子よろしく、今日もアイドルのグッズ購入のチェックに余念がない。

 欲しいどうしよう、買えばいいじゃない、買いなさいよ、あんたこそ、とあーだこーだと給食を食べながらスマホ片手に唾もまき散らしながら騒ぐ二人を見ると、去年まで教室にいた同級の女子たちとさほど変わらないな、と宗次郎は思う。初出勤こそ宗次郎をいじりちらした二人は、次の日からはアイドルの話題へと元通りだ。

「そういう話を家でもするんすか? 旦那さん、嫉妬とかしないんすか?」

 宗次郎が間を挟むも、

「そんなことないない」

と一蹴される。

 結局、ブランケットをポチったらしい。左近先生はこれでブランケットは三枚目になるそうだ。一枚はすでに休憩室で使っている。

 騒ぎ続ける二人の隙間で宗次郎は口を挟む。

「オレ、毎日、次の日の給食を前の晩の夕ご飯に作るんすけど……」

と言う言葉で、二人のアイドルの話は一旦中断となった。

「休憩時間にメモしてるみたいだし、そうちゃん、関心だわあ」

「それで最近、手際がいいのね」

 関先生はいつのまにかあぐらをかき始めている。

 正直、女性のそんな姿をあまり見たくなかった宗次郎は、目線をしたに向けないようにしながら、

「おやつも作ってるっす」

と付け加えた。

「じゃあ、今日のマカロニおこしも、そうちゃんに期待だな」

「まかせてほしいっす」

 宗次郎は給食も食べ終えて麦茶を一気に飲み干す。

「で、お二人に聞いてほしいことがあるんすけど……」

 宗次郎は二人を代わる代わる見ながら、

「給食を作って御供えすると、いつの間にか皿が空っぽになってるっす」

「は?」

「は?」

 二人の反応に、宗次郎は、

「こう、お皿によそるじゃないっすか。で、置いておくんす。それでしばらくするとよそってあったものがなくなっているんす。オレは妖精が食べちゃったんじゃないかと思っているっす」

「……そうちゃん、それはねずみ、だよ」

「きゃー」

 左近先生がいやだぁと、叫ぶ。

「幽霊かも……」

「ねえねえ、K保育園の給食室に幽霊が出るって知ってる?」

「知ってるー。きゃあ」

 それから市内の保育園の幽霊話に二人は盛り上がる。宗次郎は嘆息すると、二人をみやりながら、自分の空っぽになった皿を見つめた。

 オレのは、幽霊とかそんなんじゃないんだ……

 すっかり居住まいの崩れる二人を脇に宗次郎は正座をしたまま、空っぽの皿をずっと見つめていた。



 帰ってから、今日も自宅の台所で給食を作る。   

 明日の献立はポークシチューに味噌ドレサラダ、のりにオレンジ。

 ひとしきり作った後の洗い物がさげられると、最後にオレンジを切る。

 半分に切る。また半分。四分の一になったオレンジをまた半分。八分の一のオレンジ二つを小皿によそる。家族四人分と、御供え用にもうひとつのオレンジを手に取る。

 その時だった。

 家族用に切ったオレンジが跡形もなくなっている。

 あれ?

 お皿とオレンジの皮のみが四人分、テーブルの上に置かれている。

 と、手元を見ると。

 いま、切ったばかりのオレンジがなくなっている。

 まさか……

 味噌ドレサラダの入ったボオルも、ない。

 ボオルにへばりつく、汚らしく食い散らかしたような跡ばかりが残っている。

 コンロの上にあった鍋の蓋を開けた。

 シチューも、ない。

 宗次郎はがっくりと肩を落とした。

作った献立、すべて消えてしまった……

 すると背筋に悪寒が走る。

 身をすくめると腰が抜けて床にへたり込んでしまった。

 怖い……

 皮ばかりになってしまったオレンジを見上げて、手が震えていた。

 すると。

 ひらり、と何かが落ちてくる。

 拾うと、のりの入っていたセロファンだった。

 破られてのりばかりなくなっている。

 もう給食を作るのはやめよう。

 その時。

 がちゃ。

 台所のドアが開く。

「あれ? 宗次郎、どうした?」

 姉のめぐみだった。

「すんごい散らかってるー! ……宗次郎、なんでそんなところに座ってる?」

 姉に手を差し伸べられて手を取る宗次郎はようやく立ち上がると、

「ごめん。ごはん、なくなった」

と項垂れた。

「あんたが食べたの? 食い散らかして。お腹空いてる?」

「まさか。気づいたらなくなってたんだよ。オレは食ってない」

「なくなってた? 作ったご飯が?」

「見ての通りだよ」

 項垂れたまま、顔を上げられずにいると、

「今日はあたしが作るけど。あんた、疲れてるんじゃない? そこに座ってな」

 宗次郎が付けていたエプロンを姉は外すと自分に着ける。姉はそのままカウンターの前に立つ。

 スポンジに泡を付けて汚れた鍋を洗っていく。姉の手つきは粗っぽく、ガチャガチャと食器がぶつかる音が響く。

「割れちゃうよ……」

 宗次郎がつぶやくと、

「うるさいなあ。あんた程じゃないけど、あたしだって……」

「ねえ、なに作ってくれんの……?」

「待って。冷蔵庫見る」

 タオルで手を拭くと、冷蔵庫を開ける。

「そうだなー……肉じゃが、かなあ」

「……うまそう」

「あんたは見てな」

 ダイニングテーブルの椅子に腰を掛けたまま、姉の背中をぼんやり見つめる。時々叫び声をあげながら作っていく姉の手際は悪くて、正直普段だったら見ていられず宗次郎が代わっていただろう。でも今日はそんな気分になれなかった。料理の下手な姉が、今日は頼もしく思える。

 しばらくすると母も帰ってきた。母も台所に立つと、二人でせわしなく台所の中を行き交う。宗次郎は二人をぼんやり見ながらテレビから流れる音を流し聞いていた。

 できあがると三人で食卓を囲う。

 宗次郎はじゃがいもをつつくと、

「ねえちゃん、じゃがいもに火が通ってねえ。……しゃりしゃりしてる」

「まじか。味も薄いな」

「でもごはん、作ってもらうっていいな。こんなに安心できるんだな」

「そうだよ。宗次郎、毎日、おいしかったよ。ありがとう」

 母が笑う。

「園児さんたちもたくさん遊んで腹ぺこで給食食べるからおいしいんじゃない。宗次郎、いい仕事してるよ」

「明日は宗次郎が作れ」

 姉が言う。

「いや。オレはしばらくいいや。ねえちゃん。作ってくれよ。まじ、頼んだ」

「あたしはもういい。まじ勘弁。」

「作ってもらうのがいい。明日だけでいいから」

「明日だけだぞ」

 姉は味噌汁を啜る。

 作ってもらうのがいい。

 宗次郎も味噌汁を啜った。

 作ってもらえるってこんなに愛情感じるものなんだ。

 今まで給食を作って貰えて、妖精も感謝してるに違いない。

 きっとすごくおいしかったってことだ。

 宗次郎はそんなふうに思って、肉じゃがをつつく。

 でももう妖精に給食は作らない。

 家族と別によそったお皿。

 今日で封印だ。

「ごちそうさま」

 不意にそんな声が聞こえた気がして、宗次郎は天井を見上げた。

 しかしすぐに家族に向き合うと、姉に向かって行った。

「今日の肉じゃが、まじうまい」



 宗次郎は牛乳を人数分、かごに入れる。年長、年中、年少。何度も数えて、重いビン牛乳を持ち上げた。カウンターに出すと大きく息を吐く。

 園庭の桜はとうに散っていて、葉桜が風に舞う。今はお昼寝の時間。にぎやかな保育園も一時寝静まって、風のそよぐかすかな音も耳に届く。

 夕方、自宅の台所では宗次郎と姉の二人で夕飯を作ることになった。姉のヘタな包丁使いに喝をいれながら台所に立つ宗次郎は、もう給食を家で作ることはない。

 もちろん、給食どろぼうも現れることもなくなった。

 宗次郎は牛乳のケースを持ち上げてクラスの前を通っていく。

 小さな寝顔が教室に一同に並んでいる。

 オレが作ってあげるのは園児さんだけだから。

 妖精にそう言い訳すると、ふっと笑った。

 すると。

 年長の教室から目を擦りつつ男の子が出てくる。

 宗次郎に向かって、

「給食のおにいちゃん、」

「ん?」

 宗次郎は男の子に向かってしゃがむと、

「給食、ありがとう」

 にかっと笑う。

「うん。いっぱい食べてな」

 男の子は走って教室に戻っていく。

 宗次郎は園庭を仰向いた。

 太陽の光が高い所で保育園に降り注いでいる。

 

 

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