一勝の重さと一敗の残酷さと
俺は監督とエースの増田さん、そして外野手の大窪さんに連れられて町なかの居酒屋へ行く。居酒屋なんて大阪で安武のお母さんの実家のやつに連れていかれて以来だ。チェーン店とはいえ、個室のある落ち着いた感じの店だった。
「青学、残念だったな。」
「はい。」
俺を中1の夏のシニアの選手権大会で抜擢してくれたのが今の3年生だったのだ。だから馴染みも恩もある。
「人生は長い。誰もが全戦全勝のまま一生過ごすことはできないよ。」
「そうですね。」
完全トーナメントだからこそ4000の参加校で一度も負けないのは、たった一つの高校だけなのだ。
「でも人生はトーナメント制じゃないからな。敗者復活戦が必ず存在する。もちろん、頂点を極めることは難しいだろうが、そんな風景を拝めるのは極一部の『選ばれた人間』だけだよ。」
「そうですね。ローマの剣闘士と違って、試合に負けたら人生が終わるというわけではないですからね。」
「へえ、難しい話を知ってるもんだね。」
名門産業クラブチームだからこそ、部員には甲子園経験者もたくさんいるし、優勝を経験したものもいる。だからといって全員がプロ野球のドラフト候補というわけでもない。甲子園経験者でもプロに入った仲間を見送る存在だっただろう。甲子園も遠いがプロの道は本来はさらに遠いのだ。
「よく、『努力は必ず報われる』っていうけどね。それは自分が望んだすべてのものを得られるという意味じゃない。甲子園は努力だけでは行けない。運がないと行けないんだ。それはもうキミも十分わかっているとは思うけどね。」
思わず俺は苦笑する。そう、レギュラークラスの実力を持ちながら謹慎のためにチャンスを逃した俺。そこにずっと黙っていた大窪さんが初めて口を開いた。
「甲子園に行ったってプロになれるわけじゃないぞ。」
「そうだな。大窪は春の甲子園の優勝投手だもんな。
すごい球放ってたよな。」
へえ、この人元投手だったんだ。しかも中里先輩と同じ優勝投手。
「夏はベスト8だったけどな。ドラフトにはかからなかったよ。結局、大学で肩を壊して野手になったけどな。」
監督さんが話を戻す。
「要はプロになれなかったとしても、『ちゃんとした人間』を作り上げるという点で努力が報われないことは絶対にないってことだよ。
甲子園なんて先輩たちの人生の通過点に過ぎない。なにしろ春と夏、あと2回はいけるチャンスは残っているんだ。だからキミはここでめいっぱい学びなさい。それが野球部に復帰した時に先輩たちの力になるだろうから。」
「はい。頑張ります。」
きっとこれが大人の世界なんだろう。
ただ、今回の失策は主将の垣内さんのものだった。遊撃手としては「名手」の部類に入るのに。一つ考えられるのは胆沢の持つ「魔王の欠片」のせいだろう。今回、凪沢はベンチ入りしたが胆沢は予選の20人には入ったものの本大会の18人には入れなかった。
三塁コーチを担当する3年生の先輩に押し出される形になったのだ。その先輩は打撃も守備も胆沢には劣るが誰よりも練習にひたむきで、判断が的確で大きな声が出せる先輩だった。そう、まるで前世の俺とよく似た存在。
俺がそれを知ったのは例によって胆沢の親父さんが息子がベンチから外されたことで監督に延々と抗議したことが地元のリトルの父母会で話題になったからだ。
その恨みが発動したのかもしれない。もちろん、ボールが転がれば何がおこるかわからないのが高校野球の世界だ。すべての元凶をヤツに求めるのも酷なことだが。
考えてみればプロ野球は勝「敗」数で決めるリーグ戦。その最高峰の日本シリーズでさえ3回負けられる。社会人野球も予選には敗者復活戦がある。そしてなぜか日本の高校野球だけが一度負けたらすべてが終わる残酷な世界。観ている側はそこにドラマ性を見出して歓喜と興奮と感動を覚えるのだろうが、当事者にとってはシャレにならない現実なのだ。
「いずれにしても、早く大人になって酒でも飲めば気が楽になれればいいな、健ちゃん。」
増田さんたちによると、俺が泣いたことのに気づいてやっと俺が普通の「子ども」だと思いいたったそうだ。そしてそれが彼らの中にあった心の障壁を少し溶かしたといえるかもしれない。ただ俺の涙腺が弱いのは「子ども」だからではなく、中の人が年を取ったせいなのだが。
甲子園の決勝は北海道の道元大苫小牧と西東京の早生田実業が延長15回まで1対1で譲らず37年ぶりの引き分け再試合となり、4対3で早生田実業が優勝する。その優勝投手こそが「ハンカチ王子」こと西東雄輝選手であった。そして、そこからマスコミの悪い癖であるなんにでも「王子」をつけたがるという悪ノリキャンペーンが始まったのだ。
まさか、俺もそれに巻き込まれることになるとは……。




