先輩たちが負けた日に。
今日は東京通運との初顔合わせと初練習。場所はさいたま市浦和区にあるチームの専用球場である。
すげえな。会社で球場持ってんのか。ただ駅からの便は悪い。Jリーグのさいたまレッズの本拠地のひとつ、駒場スタジアムの近くだ。
そこのクラブハウスで挨拶。補強選手は俺1人だけだった。
「沢村君。マジで15歳だって?デカいなぁ身長いくつ?」
身長は188cmです。本大会前に16歳になります。
「青学なのに甲子園はいかないの?」
そいつはやむに止まれぬ事情がありまして⋯⋯。体育会系特有のいじり癖。嫌いじゃないけどうざい。
「子供相手にそれくらいにしといてやんなよ。」
そこで声をかけてくれたのが大窪さんという外野手だった。
監督さんが説明してくれる。
「知ってのとおり、彼は甲子園に行く青学の子だ。多分今回の予選で、お前たちにとっていちばん印象深い選手だろ?一次予選で4本塁打打たれるわ、中軸は3三振とられるわ。試合に勝ったがこの高校生一人にプライドをズタボロにされたわけだ。基本的に指名打者で入ってもらってストッパーを担当してもらう予定だ。」
恐らく出場すれば「史上最年少」だろう。世間の耳目を集める「マスコット」として活用したいのかもしれないが俺としてはそこで終わるつもりはない。
背番号は33に決まった。助っ人は空いた番号から選ぶのでだいたい30番台になる。亜美は遊撃手なので2+4=6で24なのだろう。俺は3+3=6ということで。
「指名打者」ということは守備では使うつもりがないという意味だ。俺は主に打撃と投球の練習に参加した。補強選手はいわば「お客さん」なので俺の実力を見極めようとコーチたちが張り付いている。
東京地区の産業チームとの練習試合でも結果を出す。1番指名打者で起用された2試合で10打数7安打2本塁打。投げても2回無安打無失点。文句のつけようのないできだ。
最初は「高校生(笑)?」という反応だったが認めざるを得なかったようだ。
「こりゃ中軸で使ってもいいな。……使わざるを得ないな。」
そして、俺にとって衝撃の出来事が起こった。青学が3回戦で負けたのだ。相手は岩手県代表の作人館高校。2年生バッテリーの九郎坂源、熊野慶悟ベンジャミンとの対決で3対2で敗れてしまったのである。
「あれ、青学負けちゃったんだぁ。沢村君。ニュース見た?」
午前の練習が終わった時、食堂のテレビで流されていたニュースに唖然となる。
ニュースを見ると、最後は3年生のサヨナラエラーだった。中里先輩はマウンドで一瞬天を仰いで失望を露わにするも、振り返ってナインに深々と一礼した。
敗北した後の恒例行事である「甲子園の土」の採取をしなかったことに山鹿先輩が記者に淡々と答えていた。3年生が全員号泣しているのと対称的だった。「僕たちは土ではなく優勝旗を獲りに来てますから。また来ますよ。次はより万全な体制で挑みたいと思います。」
その「より万全」という言葉には俺へのメッセージも込められていると思う。彼なりの「おまえさえいれば」というメッセージだ。
俺はその言葉にいたたまれなくなり思わずトイレにこもって泣く。間違いなくサヨナラエラーをした三年生の先輩のために泣く素振りすら見せなかったのだろう。彼らが泣いていれば見ていた俺が冷めるはずなのに、彼らが心の中だけで泣いているからこそ俺が泣いてしまうのだ。
「なんでこんなところで?」
俺さえいれば、こんなことにならなかったはず。いや、いなかったとしてもこんなところでつまづくような人たちじゃないはずだ!
俺の中に山鹿世代に対する絶対的な「信仰」にも似た気持ちがあったことに俺は自分で驚いた。そうだ。彼らも人間だったんだ。
動揺した俺に亜美からメールが入った。俺は親にプリペイドの携帯を持たされていたのだ。最初、知らない人間からのメールに驚いたのだが、コーチの携帯を借りたらしい。だから「香織へ」になっていた。
亜美も選手権の途中だと言うのに。
「青学残念だったね。でも、自分を責めないでね。もし『自分がいなかったせい』なんていうのは全力を尽くした先輩たちをバカにすることになる。ここは先輩たちの分も含めて全国大会頑張ってね。私は応援してるよ。」
さすがは亜美だ。俺の心の動静を完全に読まれていた。
「ありがとう。亜美の言う通りだ。めちゃくちゃ動揺してそう思ってしまったところだった。上手く切り替えられるよう頑張る。亜美も選手権頑張って。」
昼休みの終わりには泣き止んでいたものの、大人に泣いていたことがわからないはずもなかった。午後の練習試合にはいつもより魔法をきっちりとかけ結果を落とさないようにしていたが試合の終わりクールを済ませた後に監督に呼び止められた。
「沢村君。今晩少しつきあってくれ。」




