初戦の相手はトルネード(選手権1回戦)
いよいよ「リトルシニア全国選手権」本番の夏である。大会期間はわずか5日間。完全トーナメントで32チームが激突する。負ければそこで先輩たちの夏が終わるのだ。
開会式は神宮球場。西の甲子園球場に並ぶアマチュア野球の憧れの地である。この後行われる開幕戦3試合を除けばここに帰ってくるためにはベスト8に入らなければならないのだ。俺たちも1回戦のためにこの後すぐに川口市立球場へと移動する。
すでに川口市立球場スタンドには中等部の吹部とチア部が応援に来てくれていた。
観客席には中里さんの姿もあった。リハビリは順調で夏休み明けには高等部との練習に参加できるとのことだ。
初戦は関西代表の橿原市。奈良県のチームだ。
「すごいやん。チアやブラバンで応援とか甲子園みたいやな。」
割と関西の子は気さくに声をかけてくれる。
高等部の生徒の指導のもとで中等部だけで構成された応援団である。黄金世代が来年には甲子園に連れて行ってくれるはず、と士気も高い。逆にそれが俺たち野球部へのプレッシャーでもある。
「せやろ。負けづらいねん。」
伊波さんが応じた。
相手チームの投手は蒲生大介。中学生では珍しい「ムキマッチョ」タイプの投手だ。小学校が山奥の分校だったので野球ができず、砲丸投げで身体を鍛えていたという変わり種で、身体を極端にひねるトルネード投法の「使い手」である。
そして砲丸で鍛えた地肩もあり、球速はすでに140km/hを超えていた。
「あんな無茶な投げ方、怪我しないのかなぁ。」
住居さんが心配そうに言う。たしかに、「若い」うちにあのフォームは危なそうだ。
「体をひねるのは砲丸投げの応用らしいぞ。しかも身体の軸がしっかりしている。とにかく塁に出よう。あのフォームじゃ盗塁はしやすいはずだ。」
腕を組んだまま山鹿さんが言う。トルネードはリリースポイントが見えづらいため予測がしづらい。ただ、制球も難しいので四球狙いはありだろう。
「逆に俺は好きなんだけどな。」
出たよ伊波さんの「悪球打ち」。伊波さんは地元沖縄でリトル時代ヒットを打ち過ぎてまともにストライクを投げてもらえなくなったためストライクゾーンから外れた球を積極的に打ちにいくのだ。器用にウエストボールをヒットにするのでジュニアに言わせると「テニス選手」に転向した方がよさそうらしい。逆にくせ球に弱いのが山鹿さんだったりする。
こちらの最初の3回の攻撃は3人ずつで終わってしまう。俺も最初の打席は6球ほど投げさせ、情報の収集に徹した。一方、凪沢の方が安定せず3回までに2点を献上し、こちらが追う展開となっていた。
こちらが動いたのは4回、先頭打者の伊波さんがセンター前にクリーンヒット。そしてすかさず盗塁。能登間さんは送ると見せかけて四球をゲット。ベンチはダブルスチールを警戒しつつ、併殺シフトなのか遊撃手がやや二塁による。
てことは外角低めかな。多分そのつもりで投げてくるはず。ただきたのはやや真ん中よりの低め。思い切りふりぬく。打球は糸をひくように三遊間。伊波さんと能登間さんが生還。俺はバックホームの隙をついて3塁まで。
山鹿さん敬遠の後、住居さんが併殺打。その間に俺が本塁突入。逆転に成功した。
6回には二死一塁から伊波さんが2ラン本塁打。まさに悪球打ちの真骨頂だ。
6回から投げた角川さんが2回をぴしゃりと抑え、5対2で快勝した。
「やっぱ春の王者は伊達やないな。」
「次は甲子園で会おうぜ。」
互いに健闘を称えあう。
俺たちは応援席にも挨拶をするとベンチを引き揚げた。
「お疲れ様でーす。」
バスにはすでにマネージャーが待っていた。
「応援凄かったですね。吹部の応援とか初めて生で見ました。」
押川、そっちじゃなくて選手褒めろよー。
「山鹿先輩の応援曲ってなんて曲なんですか?」
山鹿さん、少しめんどくさそう。俺が替わって説明する。
「あー、あれは『サウスポー』だな。『ピンクレディー』っていう昭和のアイドルデュオの曲だよ。山鹿先輩が左打者だからじゃないの?」
でも俺の中の昭和の人は言いたい。あれは左の大打者を相手にした「左腕投手」の歌であると!
「応援曲は選べるんですか?」
「選べるらしいが俺はこだわりがないんでお任せにした。」
「へえ、選んだ人もいるんだ。」
押川、山鹿さんめんどくさそうだからそろそろ構うなよ。
「じゃあ先輩は?」
俺にふるな。
「あ、俺は選んだぜ。」
そこで伊波さんが口をはさんでくれた。ちなみにモンパチの「小さな恋のうた」だ。
「だって『島唄』でいいですか?って聞いてくるからさ。沖縄出身だとすぐ『島唄』にされそうになるよな?」
はい、沖縄あるあるはわかりません。俺関東人ですし。ねぇ明日の試合の話とかしようよ……。




