下克上は「頑張らない」。
あ、「頑張ろう」はまずかったか⋯⋯。ちょうどここ2、3年あたり職場での「うつ」が社会問題化して無闇に「頑張ろう」というのは人を追い込み傷つける言葉として槍玉に上がるようになっていたのだ。俺みたいな中身が昭和生まれの人間にとって「頑張れ」というワードだけでパワーが出るという時代ではなくなって来ているのだ。胆沢が凄む。
「俺なりに頑張ってんだけど。お前の見ているところでも見ていないところでもな。」
うわ怖っ。ただ前世と違うのは俺と胆沢の背の高さがそれほど変わらないこと。見下ろされるよりは迫力はないな。俺は胆沢に状態異常魔法の魅了をかけてみる。うーん。やっぱりヤツの体内に息づく「魔王の欠片」に拒絶される。
「すまん胆沢。悪い癖が出てしまった。言葉足らずでな。⋯⋯今まで俺たちが重ねてきた全力を相手にも見せつけてやろうぜ。」
ふん、と鼻を鳴らすと胆沢は投球練習に戻る。
「もう主将気取りか。」
あぁ、明らかに気分を害しているわ。
「OK。次行くぞ。」
伊波さんに促され今度は守備練習をしているグラウンドに向かった。胆沢は主将候補にはならないんですか?俺が聞くと伊波さんは苦笑した。
「本人はその気は満々みたいだな。しかも実際、二年の中での評判はお前より上だ。正選手以外はみんな胆沢推しだな。何しろコミュ力高いのよ。まぁ人間性に裏表がなければあいつでも十分だけどな。」
そうか。ちゃんと見ている人は見てくれているんだな。正直ホッとした。前世ではヤツの上辺の良さの影から繰り出される陰湿な攻撃にずっと悩まされて来たからだ。
俺もその偽善性が許せなくて何かと衝突してしまったのも俺が万年補欠だった要因の一部だった。完全に胆沢のかぶった猫にたぶらかされた大人たちにとって俺は胆沢に嫉妬するいやな子供にしか見えなかったからだ。そう、コミュニケーション能力で勝てない相手に立ち向かうのは危険なのだ。
だから今回はずっと大人の対応を取り、やつのわがままに振り回される人たちをフォローすることにしていたのだ。
今日は主に一年生が守備練習である。関東の外から来ていない限りは大抵リトルの最後の夏に挑む者が多い。伊波さんはグラブの構えなど細かく指導している。普段アクロバティックな守備が好きなくせに。
次の週末は土曜日が準決勝、勝てば日曜日が決勝。ちょうど梅雨の中休みと重なり、スケジュール通りの試合。対戦相手も全国が決まっているだけあって、やや緊張感を欠いた試合となる。相手は桐生市。胆沢と三年左腕の岩波さんの継投で8対2で勝利する。
決勝は東京の強豪の一つ東京青山。プロ野球の東京スイフトが主催する名門チームだ。
「凪沢、今日はよろしくな。」
相手チームのユニフォームを着た選手がこちらに挨拶に来る。
「大門さん?」
凪沢の姿勢がいきなり良くなる。知り合いか。
「中里は残念やったな。見舞いに行ったけど元気そうやった。」
彼は大門響介、おそらく山鹿さん世代では全国ナンバー1の右腕投手だ。すでに150km近い直球を投げる。まあリトルシニアは本投間がフル規格ではないこともあるが。
「リトルが一緒だったんです。」
凪沢も中里さんもリトルの名門中の名門「東京三鷹リトル」の出身だ。思い出した。そういえばやたら球の速い投手がいたよな。
「選抜はせっかく同じブロックだったのに当たる前にウチが負けてしまったからな。だから今回はリベンジさせてもらうぞ。」
いや、それ復讐戦とは言わないです。のツッコミは飲み込む。中学生だからしょうがないか⋯⋯。
「だいたい住居だって俺が先に誘ったのに中里の方に行っちゃった挙句控え捕手じゃん。俺、受けてくれる捕手がいなくて結構困ったんだけど。」
「すまん。親父の会社の都合でな⋯⋯。」
住居さんも苦笑する。なにかと接点が多いというか案外リトルシニアは「世間が狭い」のだ。大門さんが俺ににじり寄る。壁が俺の背中にあったら「壁ドン」されてるレベル。
「君、沢村君だろう?投球フォームがめちゃ美しいってうちのコーチが絶賛してるんだぜ。俺さ、実は来年横浜学院高に進学決まってるんだ。どう?高校で俺と一緒に甲子園行かないか?」
え、俺今スカウトされてる?
「ダメだ。こいつは俺たちのだ。お前はなにかと手が速いんだよ。」
山鹿さんがたまらず割って入る。
「いいじゃねぇかケチ。な、埼玉代表より神奈川代表の方がカッコいいだろ?」
え?神奈川代表。なにそのカッコいい響き!
「はい⋯⋯。」
「はいじゃねぇ。」
思わず埼玉県人の劣等感が出そうになって伊波さんに頭をはたかれた。
緊迫感がない⋯⋯。しかし試合に入ると皆一気に戦闘モードにスイッチが入る。




