初めてのリリーフは波乱のにおい
平成16年3月の終わり。
「日本リトルシニア選抜野球大会」は春休み期間に大阪で行われる。
48チームが僅か5日間の日程で試合をこなすのだ。それで1年生のもう一人のエースである胆沢がメンバーに抜擢された。胆沢も新人戦で結果を出して来たのだ。
中里さんと凪沢が先発、2年生のもう一人の投手である角川さんと胆沢が中継ぎ、俺がリリーフに回ることになるのだ。
関西のテレビ局が取材に来ていたが、関西の有力チームが目当てだったらしくこちらには目もくれないようだった。
「あいつら絶対に見返してやりましょう!」
胆沢が怒っている。いや《《関西》》地方局なんだから関東のチームに興味があるわけないでしょ。そこはむしろ関東のテレビ局が来てない方に怒れよ。その時、取材用の収音マイクが倒れてスタッフの頭を痛打していた。胆沢の癇癪が発動したのだ。……怖い。
それでも俺たちが圧倒的な優勝候補であることに変わりはないのだが、先輩たちはまるで意に介していないようなのだ。俺にはこの泰然自若さは真似できない。むしろこの気の小ささが俺に「先発に向いていない」と言われる所以なのかもしれない。
確かに魔法を使って身体を強化していることに後ろめたさはある。それはドーピングとどう違うのだろうか?でも魔法が禁止されていない以上使えるものは使うべきなのだ。
その時山鹿さんが俺の肩を叩く。
「頼むぞサワ。俺たちはお前が必要だ。お前は我を張るよりもまずチームの事を考えてくれる。お前は自分の評価が低そうだけど、今の通りトレーニングを怠らなければ高等部に上がる頃には俺たちを超えているはずだ。自信を持て。」
やべ、少し泣きそうになったわ。
俺たちはメイン会場での開幕戦。相手は九州代表の別府市だ。
先発は中里さん。5回を0封。胆沢が後を受け2回を0点で投げ切った。精神力はやはり半端ない。チームは6対0で勝利した。俺もタイムリーヒット一本を放つ。
2回戦は翌日。相手は関東(南)代表の大和市。
凪沢が先発。5回を0封し角川さんが後を受け失点なしで勝利。攻撃陣も7点を挙げ快勝。俺も初回に2ランを放つ。山鹿さんと勝負を避けようと相手バッテリーが勝負を焦ったせいだ。
3回戦は地元関西代表の松原市。かなりの強豪だ。お客さんも入って完全アウェイ。中里さんが先発、打たせて取る投球で相手の強打線をかわし1失点で5回を終える。ただ後を受けた胆沢の球が安定しない。最終回に四球連発と適時打を浴びて2失点。なお四球を出し一死満塁。あきらかに球が走っていない。
ここで俺が一塁から呼ばれた。一塁に先輩が入って俺に俺の投手用グラブを渡す。そして俺の一塁手用グラブを胆沢に渡してベンチに下げさせた。
俺が投球練習してるとバチーンという大きな音がする。胆沢がグラブを床にでも叩きつけたか。まあ今日は球が荒れ過ぎ。凪沢に差をつけられたと思ったのかも。こっちはバッターに集中というか山鹿先輩のグラブに球を投げ込むだけ。
俺は冬の間に直球系の変化球を習得したのだ。直球はボールの縫い目に垂直に指をかけて投げるいわゆる4シームという投げ方が標準になる。しかし、縫い目のどこに指をかけ、どの指に力を入れるかで微妙に変化するのだ。
普通は制御することが難しいのだが、「命中率アップ」の支援魔法で行先は外さない。握りを決めて無心で腕を強く振る。指の動きが魔法によって制御されるからだ。
最初のバッターに沈むように動くストレート。普通のストレート。そしてホップして見える高回転ストレート。三球で三振。
最後のバッターは高速パーム2球でファール2つを稼ぎ、最後は高回転ストレートで空振りの三振。
初めての救援を無難に終え、ベスト8を決めた。ただ、宿舎に戻ると一悶着あった。