谷間世代と呼ばれて Take2
来年、平成20年に開催される北京五輪は野球にとって正式種目としては最後の五輪となる。だから日本のプロ野球界も全面的に協力するということになり、名だたる選手たちが一次候補の70人の名簿に名を連ねていた。
もっともこれまで全面協力してこなかったからこそ「最後の」五輪になってしまったわけで「今さら感」しかないと言うのが現実だ。もちろんプロ野球側だけに全て責任があるわけではない。書き入れ時の夏休みに高い給料を払っている選手をタダで貸せ、という五輪側の態度も虫が良いのも事実。もはや「商業五輪」と揶揄されアマチュアリズムとの整合性を失った五輪の限界なのかもしれない。
合計70名の候補の中にアマチュア選手は俺の他に大学生が一人選ばれただけ。俺もマスコミからコメントを求められたのだが「あくまで一次候補の一人なだけです」としか言いようがなかった。ただ正式に選出されると神宮大会は出られない。もっとも今の陣容で神宮まで行けるかどうかさえも微妙なのでなんとも言えないが。
選考の理由は昨年のインターコンチネンタルカップでの俺の活躍だそうだ。決勝リーグで先発を勝ち取ったことや、ベストメンバーのキューバやオランダ相手のプレーが評価されたそうだ。そして木製バットを使い続けたことも評価されていた。
そして、10月に行われる国体への出場も正式に決まった。これは夏の選手権のベスト8に入った学校を含む12校が例年選ばれる。ただ、開催時期が県大会や関東大会と被るため、3年生のみのチームで出場する予定だ。これが山鹿世代の高校野球での最後の舞台になる。
県大会もAシードとして2回戦からの登場だ。先発は凪沢。中里さんが離脱して以来の背番号1。それ以外はずっと10番だったから。
「凪沢、背中に0忘れてるぞ。」
俺がからかうと
「0はスコアボードに並べておいたぜ。」
おお!なんかウマイこと言ってる!
「いや、絶対言われると思って前から考えてたんだ。」
「でも試合前なら『0はこれからスコアボードに並ぶのさ』の方が良くね?」
胆沢は打撃力も買われて外野手も兼任なので7、同じく安武も9。内野手兼任の俺が3。投手陣は相変わらず盤石だ。
打線も俺は嫌だったが四番に。初回必ず打席が回ってこないのは嫌、と駄々をこねたが却下。
三番は二塁手小囃子、五番帯刀。帯刀は第二捕手なのだが打撃を買われ三塁兼任。安武が先発投手の時はバッテリーを組むことになる。安武は一番に。伊波さん並みにいやらしい打者になるだろう。そして恐らく俺が抜けた後はクリーンアップに上がってくるはずだ。
六番胆沢。二番は高等部というか中等部三年の秋から入ってきた一年中堅手三原。夏も予選はベンチ入りした逸材。実は東京のシニアでプレーしていたのだが俺に憧れて青学に進学しようと卒団後、中等部に転入してきたのだ。中高一貫校だからこそできる裏技でもある。先輩たちにではなく「俺に」憧れているところがポイント高いでしょ。
七番は遊撃手の古城。あまり物語に絡んでないのだが俺と同じ二年生で昨年の秋から正遊撃手だった。打撃は今一つだがそれをカバーして有り余るくらい守備が上手い。
八番は捕手の祐天寺。彼も打撃がというより守備の人で山鹿さんの直弟子とも言える存在。
うちのチームは強制ではないが二つ以上守備が出来るように推奨しているのだ。なので投手が変わるとオーダーがガラッと変わったりする。
2回戦、新チームの最初の試合。ベンチの真ん中に座っていた伊波さんがいない。祐天寺や投手を横に座らせて色々教えていた山鹿さんもいない。
「これからは俺たちが俺たちのチームを作っていくんだよ。」
凪沢は俺が立ち尽くしていた理由を見透かしたかのように言った。
「『チーム秀忠』だな。家康と家光に挟まれて地味で目立たんタイプか。」
「谷間世代」を揶揄されることに慣れているせいかすぐに自虐コメントが出る。
江戸幕府を開闢した父と幕府の権威を盤石にした三代家光に挟まれた秀忠にたとえたのだ。
「おい。秀忠は有能だぞ。世間の評価が低いだけだ。地味なのは否めないがな。」
監督が笑いながら話に割り込んできた。そう言えば社会科の教員免許持ってたんだっけ。
「お前たちが『秀忠』を目指してくれるのなら監督としてはこれほど喜ばしいことはないけどな。」
不安から始まった県大会だったが余裕の5回コールド勝ちで初戦を飾ることができた。