コールドゲーム、ホットゲーム。
「そう言えばお前の『南ちゃん』は来てんの?」
試合前、ベンチから彩栄の応援スタンドの方を見ながら伊波さんが尋ねた。
「南ちゃん」て昭和のアニメですがな。よう知ってますな。平成元年生まれのくせに。そう俺の顔に書いてあったらしく、
「知っとるでそれくらい。再放送観てたわ。」
さいですか。
「彼女は『南ちゃん』じゃないでしょう。自力でワールドカップすら行ってますから。男に甲子園に連れてってー、なんて言いませんよ。ここから見えないとは思いますが女子部のピンクのユニですよ。」
あれ、前もこんなセリフ言わなかったか?
伊波さん、片手で庇を作って探す。
「お、いたいた。あれ、男と一緒におるぞ!」
「だからここからは見えんというとろうがい!」
「焦っとる焦っとる。」
俺が亜美と「友達以上恋人未満」な関係を続けてるのは安武たちを通じて先輩たちにとうの昔に筒抜けなのだ。むかつくんで少し反撃する。
「確か伊波さんも遠恋ですよね?なんか彼女と上手くいくコツがあるんですか?」
「そりゃ肉体関係やろ。」
俺は飲んでた水を口から噴き出しそうになった。
「地元は田舎だからな。娯楽がそれしかないねん。滅多に会えんから会った時にお互い溜まりに溜まった劣情をぶつけあうんじゃ。」
田舎あるある来たー!
「いやいや沖縄なら大自然があるじゃないですか?そこで健全に楽しむとか?」
「せやな。自然の中ですると開放的で気持ちいいぜ。俺の彼女、顔は75点だけど身体は120点やから。」
この人の場合、話半分に聞いておけば良いのだが。
「で、健。彼女の母校をフルボッコして嫌われんか?」
「ええ、やってしまって構わないそうですよ。」
「そうか。じゃそうすっか。で、お前の彼女、身体は何点や?」
前世は100点やったぞ。だから……、って乗せられてたまるかい。
試合前に整列して礼。これは日本のアマチュア野球では必ず行われる。規則で定められてはいないが高校野球が「教育」の一環である以上は自然なことだ。ただ今回、彩栄ナインはわざとなのかワンテンポ礼を遅らせてきた。
山鹿さんが若干イラッとした顔をする。たとえ演出でもこういうのは嫌いなタイプなのだ。
「山鹿、気にすんな。」
伊波さんは山鹿さんのケツをグラブで軽く叩くと守備位置へと向かった。
先発は凪沢。決勝は中里さんが投げるので前後入れ替わったのだ。今思えば4回戦に安武を投げさせればちょうどよかったのかもしれない。
彼らの作戦は「強く振る」というものだろう。確かにグラウンダーになったボールの方がイレギュラーになりやすい。金属バットなら当たれば飛ぶので間違いではない。
走者は出たものの、一回を無失点で抑えこちらの攻撃。あちらは「事実上の決勝戦」としてエースを登板させてきた。練習試合で何度か対戦しているので見知った顔だ。
最初の打席俺は四球を選ぶ。二死一塁。4番山鹿さんに厳しい内角攻め。ものともしない山鹿さんがスタンドに放り込む。2点先制。さすがに同じコースに投げたらダメでしょ。
「ナイスバッティング!」
みんなに迎えられるとすぐに防具をつけ始める。そして自嘲気味に言った。
「いや、あれは金属バットだから本塁打なだけだ。木製なら完全に外野フライだな。ナイスバッティングではなく、ナイススイングなだけだ。」
山鹿さんら先輩たちは金属バットを使ったプレーがもうすぐで終わることを視野に入れ始めている。もちろん、練習は普段から木製を使っている。金属なら強く振ればいいのだがここから先はボールを捉えることに意識を移していかなければならないのだ。
その時だった。
「そう言えば、亜美のカレは木製なんだよね?」
「だからまだカレじゃないって⋯⋯。」
「うわぁ、今『まだ』とか言ったよぉ。」
ん?なんか亜美の声が脳内で響いた気がする。気のせいだろうか。
その声はすぐに消えた。
試合が進むに連れ、俺たちは得点を重ねて行く。そして、何度か亜美の声が脳内で聞こえる、という現象が何度か起こったのだ。近くにいるからだろうか。「心の声」とかではなくて実際の音声みたいだ。
8点差リードで迎えた6回二死三塁。投手は二年生の黒澤に代わっていた。シニア時代、俺が試合をすっぽかした例の投手。4番の山鹿さんにまで回したくないのだろう。俺にはどんどんストライクを投げてくる。シニア時代に勝ったという自負が彼を奮い立たせているのか。次はご自慢のスライダーかな。
集中した頭の中にまた音声が流れてくる。それは俺の集中を邪魔するでなく風景として流れて行く感じだ。
「黒澤くん、亜美カレだけは抑えたいよねぇ。」
「どうかなぁ。だいぶ力んでるねぇ。アイツはそこは容赦なくたたくと思うよ。」
甘いスライダーだった。遠慮もなにも関係なくバットが出る。再び右翼スタンドへのサヨナラ2ラン。これでコールドの規定がない決勝戦に至る全ての試合でコールド勝ちしたことになる。