デートしたいが金もなし。
学校に戻ったのは火曜日。それこそ全日本のチームメイトの運命のドラフトの日だったのだ。学校では昼休みの校内放送で「凱旋式」をやってもらう。
「2週間も合法的に学校をさぼれたのが十分にご褒美なんですけどね。」
わが校の主将の伊波さんが恨めしそうに言う。羨ましいところはそこらしい。高校の日本代表は夏休みとかだしね。
まあまあ。この大会は地上波のテレビ中継があったわけでもなく、決勝戦も深夜に録画放送をやっていた程度。生徒の関心は思いのほか薄かった。そんなもんだと思いますよ。
「ところで、台湾でもベースボールは『野球』なの?」
ケントの迂闊な質問に伊波さんがにやりとする。あかーん、カメラ止めて!
「違いますよ。中国語では『棒球』なんです。黒光りするかたーいバット、そして二つのボール。それで戦うから棒球、まさに『男』のスポーツなんですよ。」
うん、ぎりぎりだったな。セーフですか?放送委員が首を横に振った。
「ケント理事長は白人ですから股間のバットはホワイトアッシュですかね。ちなみにぼくのバットはアオダモですよ。……それと女子のあそこのキャッチャーミットについてなんですが……。」
それ以上はらーめー!
「樹、あまり脇に逸れると怒られるから次に話を進めるよ。」
ケントがようやく話をぶったぎる。でも伊波先輩が登場するとなぜか高視聴率なので放送部もやめられないのだ。
帰宅後は夜のニュースでドラフト会議の結果が出るのを今か今かと待ってしまった。
すでに逆指名で決まっていた鷹崎さんをはじめ、福森さん、高屋さん、渡部さん、蝶野さん、大窪さんが指名を受けた。やっぱりすごい人たちだったんだなぁ。プロ野球選手と知り合いなんて俺って凄くない?家族の苦笑は気にならなかった。
翌日、ケントに理事長室に呼び出しを受ける。内容は俺がもらった全日本のユニフォームと銀メダルを展示用に貸して欲しいということだった。もちろん快諾する。夏の甲子園の優勝旗はかえってこなかったので、春の甲子園と神宮大会の優勝旗の次に並べるらしい。
そしてもう一つはアメリカ留学へのご招待だった。いや、さすがに春の甲子園は行きたいんですけど。
「もちろん甲子園には行ってもらうよ。さすがに君にでてもらえないとわが校が困るからね。その期間を除いた半年程度。6月前半くらいまでだね。」
今回は招待生ということで学費や生活費でかなり割引があるそうだ。まあ寒い日本でトレーニングするよりはいいか。結局、正月明けに再び渡米することになった。
「なんだ健、またアメリカに行くそうだな?」
山鹿先輩に声をかけられる。
「そうなんですよ。春の甲子園と夏の予選前には帰ってきますけど、春の関東大会は無理っぽいです。」
「そうか。まあ、人生長い目で見ればそれも悪くはないかもな。」
なんだよ、反対しないのか。引き止められると思っていろいろ悩んでいた俺は、あっさりと認められて拍子抜けしてしまった。
確かに戦力的には高校生が相手ならおいそれとは負けないだろう。でも全く当てにされないのもなんか寂しいよな。
山鹿先輩がアメリカ行きを反対しない理由はすぐに明らかになった。俺目当てのお客さんが増えたのだ。考えてみればアマ野球の日本代表で、世界大会で本塁打王という肩書は高校1年生にしてはチートが過ぎたのだ。
これまで注目度が高すぎて辟易していた先輩たちにとってはよかったのかもしれないが。急に注目を浴びて俺が勘違いをしてしまうことを危惧していたらしい。
なにせキューバのトスカロ議長が優勝したキューバ代表を迎えるレセプションの時に、俺のことを指して「あの少年は素晴らしい」と手放しで称賛したなんてニュースが外信を通して入ってきたときには驚きを通り越して恥ずかしかったくらいだ。
あと、もっと心配だったのは胆沢の精神状態の方だったのだが、どうやら最近彼女ができたらしく上機嫌なようでほっとした。まあ寮生は恋愛禁止だけど胆沢は寮生じゃないからな。一応、内密ということになってるんだけどもはや「公然の秘密」ってやつ。
人のうわさも75日。年が明ければきれいさっぱり忘れ去られるはずなんだが、楽しみにしていた亜美とのデートが予定すら立てられないのだ。
それを救済してくれたのが記者の由香さんだったのだ。野球雑誌の対談企画に俺と亜美を呼んでくれたのだ。交通費とデート代の足しになる程度の謝礼が出る、ということで東京デートになったのだ。ま、親からはくれぐれも二人きりにしないようにと由香さんに釘をさしていたらしく付き添いありなんですけどね。
12月中旬の日曜日、俺は電車でいそいそと東京へと向かった。