初めての国際大会へ
台湾島にある台中市。そこが今回の大会の開催都市である。ちなみに夏に亜美たちが行った女子野球のワールドカップは台北市で開催された。
俺は滑り込みでメンバー入りしたことになっているが、じつはケントが強く推していたため、枠を開けておいたというのが実情らしい。うーん、この影の実力者め。
成田空港で見覚えのある面々を見つける。都市対抗野球でお世話になった東京通運の人たちだ。エース投手の増田さん。4番の大窪さん、そして捕手の鈴村さんだ。チームでも絡むことが多かったメンバーなので素直に再会を喜んだ。
「おー健ちゃん、来たか。」
「待ってたぜ。」
ここにいる、ってことは全日本選手権の予選、落ちたんですね?
「しょうがないだろ?健ちゃんいなかったし。待ってったんだけどな。」
俺は補強選手なんだから関係ないでしょうが。
「おー、健ちゃん来たねぇ。」
都市対抗の準々決勝で当たった渡部さんもいる。お久しぶりです。というか光菱無双川崎も予選で落ちたんかい。つーかいつのまのか社会人の人たちは俺を「健ちゃん」呼びで統一してんのね。
「神奈川は激戦区だぞ。頭一つ抜けた良い選手が育ったら、さっさとプロにもっていかれるしな。」
ただ、なんとなくみんなの雰囲気がぎこちない気もする。
じつはこの大会後すぐにドラフト会議があるのだ。この年はまだ高校と大学・社会人が分けてドラフトをしていて、逆指名(正確には希望入団枠)なんてものもあった時代だ。
「希望枠で決まってる人ってこのメンバーの中にいるんですか?」
俺の発言は迂闊だったらしい。シーっとみな口の前で一刺し指を立てた。メンバーで唯一決まっていたのが日本自動車のエース鷹崎さんだけだったのだ。あとは「候補」。もちろん大学3年生の人もいるし、社会人も入社から3年間は指名資格がないのでみんながみんなというわけではない。
でも大学4年生やプロ挑戦資格を得た社会人選手たちはドラフトが気になって仕方がないだろう。
「お、あれが噂の健ちゃんじゃね?」
向こうから代表のスーツを着た選手たちが来る。顔だちが若いので大学生だろう。
「青淵学館の沢村健です。よろしくお願いします。」
俺が頭を下げると自己紹介してくれた。今回大学生は5人。内訳は投手二人、捕手一人、外野手二人だ。割と俺に当たりが柔らかかったのは、おそらく俺が「内野手」で呼ばれていたためで、彼らとポジションがかぶっていないからだろう。
「あ、迷子になって甲子園行かずに東京ドーム行っちゃった健ちゃんね。」
「はい。クーラーが効いてて良かったです。」
一通りいじられる。まあ野球部ももれなく先輩後輩の厳しい縦社会だから別に苦にはならない。
だって代表に呼ばれた俺を伊波さんが羨ましがって「インターチ●コメンタル杯」って連呼してたのに比べたらマシなのだ。「チ●コメンタル」ってどんなメンタルだよ。
台湾は飛行機で4時間弱。思ったよりかかる。時差は1時間ほどだ。アマ代表なので見送りは家族くらいだったのに、空港では出迎えというか見物の台湾人のお客さんが結構いて驚いた。日本よりずっと多い。
俺は事前練習も練習試合にも参加してないのだが、初戦は代打で、結果が出れば指名打者という方針だった。
ちなみにこの大会は8カ国が参加していて、総当たりのリーグ戦が行われた後、順位決定戦が行われるという方式だ。結構なハードスケジュールである。
俺は空き番だった背番号から9番を貰った。開催地の台湾では、というか中華文化圏で9は「久」に通じることからラッキーナンバーだったこともある。
「本当は『急に呼ばれた』からだろ?」
大学生ながらスタメン起用が決まってる蝶野さんが俺をからかう。
「誰が上手いことを言えと。⋯⋯蝶野先輩、そっちの方が面白いんでそのネタ貰ってもいいですか?」
「ただではやれんな。」
蝶野さんは大学の東都リーグの首位打者だ。起用は1番中堅手らしい。
プロアマ混成だった前回と違いマスコミからも国民からも関心が薄いので気楽でありがたい。
初日の試合は午後2時(日本時間は午後3時)から。相手はオーストラリア。開会式が午後6時半からなので大会気分になる前からいきなり試合。11月だというのに汗ばむような陽気だ。
台湾の野球場の試合進行はいわゆる「ウグイス嬢」ではなく「MC」が放送してくれる。こちらがビジター側になるので先攻だ。スタメンではない俺はベンチで寝てられると思ったら試合を見ながら勉強をさせられることになった。
試合はなかなかの好ゲーム。3対3で延長に入る。
「健ちゃん、行ってみようか?」
杉木監督が俺を呼んだ。