ラフとガッツと裏表。
俺は自分のバットに「遭遇率アップ魔法」をかける。本来は経験値を稼ぐために冒険者が敵と遭遇率を高める魔法だ。まあ、バットにとっての敵はボールだからな。
サッカーの場合は「ボールは友達」なのであてはまらないのか。しかし、普通友達を蹴飛ばすかい?さらに命中率魔法もかける。
この二つの魔法の違い。それは大神が「狙っていない」からだ。ひたすらミットをめがけて無心で投げる人間に「命中率アップ」は効きづらいのだ。
2球見送り、2球ファールの5球目。やっと遭遇!打球は左中間へ。外野がバックホームを選んだため、俺は2塁へ。3塁2塁。ここで伊波さん。得意の「悪球打ち」でいきなり先制タイムリー。2点を先制した。
土佐塾は2回、4番の犬養大和さんが2塁打で出塁。犠打に近い進塁打で三塁に進むと6番打者が深めの中飛。中里さんのために中堅手に入っている住居さんがバックホーム。猛然と突っ込んでくる大和さん。ホームベース上でブロックし送球を待つ山鹿さん。捕球と同時にタッチするもタックルされて後ろへ倒される。判定はセーフ。クロスプレーだったが軍配は大和さんに上がる。これで2対1。山鹿さんは柔道経験もありしっかり受け身も取れていて無事だった。
(この荒っぽい本塁上のプレーが禁止されたいわゆる衝突ルールは7年後に導入されたので当時は問題なし。作者註)
さらには3回には併殺崩しのために二塁を守る能登間さん目掛けてスライディング。ただ能登間さんは華麗とも言える体捌きでひらりと避けタッチすると一塁の俺に矢のような送球。なんなく併殺を成立させてしまう。
(この荒っぽいスライディングが守備妨害とルールで明文化されたのは10年後で当時は問題無し。作者註)
かつてはこれがガッツあふれるプレーとか闘志溢れるプレーなどと褒めそやされる時代があったのだ。まあ、俺の前世の話だけど。
2対1のまま試合は推移していく。あの強打の土佐塾を7回まで1点に抑えた胆沢は大したものである。一方、大神を得意とする1から3番とはまともに勝負しない作戦で常に走者を背負わせながら抑えていく相手バッテリーも素晴らしい。
「別にラフプレーなんかしなくても十分強いのに。」
「十分強いじゃダメなんだろ。勝つことに意味がある。1点差が全てを物語っているんだ。」
山鹿さんの言うことも理解できるが。
7回には4巡目の攻撃。ここで大神がこれまで隠していた牙を露にする。フォークボールだ。もともと身体の開きが遅いフォームなので手元が見えづらいのだが、余計に見えづらい。しかも落差が大きい。
「しかしあのフォームだと制球が良いはずなのだけどな。」
流石の能登間さんも初見では攻略出来ず首を傾げた。
俺もエンカウント魔法が発動したものの一撃魔法が発動せず左飛に終わる。ただ、次も投げてくればもう少し高い確率で打てるはず。
そして、伊波さん。大神のフォークを完全に捉えてスタンドに放り込む。
「ど真ん中の直球以外は全部得意」と公言そのままの通りの本塁打。再び2点差に。胆沢への力強い援護射撃に。
ところが最終回についに胆沢が土佐塾打線に捕まる。9番から上位にかけての打順。先頭打者に粘られて四球で塁に出られると1番にヒットを打たれ、さらに二番は送りバント。3番の太知にヒッティングからのセーフティスクイズを決められ1死3塁1塁。
俺が一塁から呼ばれる。もしかして神宮大会では初登板では?胆沢は不満そうだったが4番の大和さんは抑えられるかどうか、その判断が利くくらいは成長し⋯⋯。
「しくじったらグーパンな。」
そう吐き捨てると俺のファーストミットを引ったくって一塁へと行く。俺は伝令が持って来た両投用のグラブを受け取る。
走者に足やられろ、俺はつぶやいてから投球練習。そして打席に迎えるのは4番犬養大和さん。山鹿世代では最強打者の一人。
「恐れるな。そして、侮るな。」
異世界にいた頃、魔物討伐に初めて出かける時にケントが教えてくれた教訓だ。
これまで何度となくつぶやいてきた。
人を喰らう魔物に比べれば命まで取られるわけじゃない。でも、プロでの将来が嘱望される「逸材」と呼ばれる選手でもある。社会人プレーヤーとも対戦してきたが、彼らにはない幼さと、彼らにもないオーラがある。
第一球はど真ん中に4SG。いつものバックスピンを見慣れている選手だと予想外の遅さだろう。145km/hだがもっと遅く見えたはず。
インハイに外した4SB。しかしファールに捌かれる。アウトローも捌かれる。ファールで粘ること5球。だんだん適応されて来た。
山鹿さんが要求したのは落ちる球。アウトローの後だからインハイから落とす。