知恵の蜘蛛が抱く謎2(サラディン10才)
知恵の蜘蛛が抱く謎2(サラディン10歳)
ファーマムール王国の玉座にて、サラディンは兄に代わって国璽を押していた。
国璽は大きく、どっしりとしていて、重い。
国務大臣が手を添えて、正しい位置まで導いてくれなければ、印章はゆがんだものになってしまう。
父王は、病床について長い。
サラディンが六歳の頃、兄ルシフィン・ラジアンドにアストレーデが開示された。兄は九歳で正式に立太子礼を行い、皇太子としてシェードラ公爵の家名を受け継いだ。
活動的でひっきりなしに動いているサラディンとは対照的に、この兄は物静かであった。無口、というより、人と言葉を交わすことがやや苦手な性質で、弟のユルジサンドがまだこの宮廷にいた頃は、弟が長兄と世間との通訳を務めていた。それゆえに、発達遅滞があるのではと噂されたが、現実に知能および身体能力に特に異常はなく、ただ、外遊びよりも静かな遊びが好きだったため、運動能力は同年代の子供よりやや劣っていた。しかしそれは、少しばかり運動に熱心になれば、すぐに回復できる程度のものにすぎなかった。
現在、兄は十三歳であったが、相変わらす人前に出る事を好まず、押印の係をサラディンに任せた。兄は、国務大臣からの主たる案件の奏上を受け、王太后よりそれぞれの案件について病床の父王の意向を聞き、裁可したものに王印を押す。
そして、それがサラディンの下に回ってくると、各大臣居並ぶ場所で国璽を押す。
国が、子供の手によって決済される光景は不思議なものだった。
そして、その国事行為を司るのが、まぎれもない十歳の子供なのである。
「兄上、いま、よろしいですか」
熱心に、コンピュータの前でなにやら入力していた兄は顔を上げた。
「いいよ。
あのね、今、物理演算ソフトでね、機動艦隊の重力シミュレーションやってたんだ」
「俺、この前、帝国の高速攻撃艦のデータ、拾いましたよ」
「それ欲しい。
このブラウザから落とせる?」
サラディンは兄の脇に座り、キーボードにアドレスを入力する。
「ユーリからメール来ないんですけど、兄上には来ましたか」
「来たよ。
今、学術図書院付きの研究生で、ノーダヴィダ大公の下で頑張ってるらしいね」
不満そうな表情になったサラディンの肩に、ルシフィンは軽く手を置いた。
「サラとは、近すぎるんだよ、きっと気持ちが。
近すぎてね、きっと、何も言わないでも伝わるものと思っちゃうんだよ」
サラディンは、探していたダウンロードサイトにたどり着き、エンターキーを押した。
「あのね、兄さん」
「ん」
「俺、まだゴメンを云ってないんだ。
ユーリが出ていく前の日、寝ているときベッドの上で、ユーリが俺んとこに転がってきたから、俺、ガンガンに蹴ったんだよ。
だけど、ユーリ、俺に眠りながらパンチして、全然起きなくて」
「それで」
「侍女に頼んで、ユーリ転がしてもらって、俺も自分の場所で寝たけどさ」
「うん」
「俺、ユーリなんていらないって思ったんだ」
「今はどう?」
「……聞かないでよ」
サラディンは、すっと椅子を立った。
「ユーリは覚えてないよ。
あいつ、馬鹿だから」
「じゃ、どうして俺にメールくれないんですか」
「サラがもし、右足なら、左足にメール出すかい?
おまえたちは、そういうものなんだと思う。
それで、サラのほうからメールはしたのかな」
サラディンは答えない。
「通じてるじゃないか」
ルシフィンは、キーボードの上に指を踊らせながら云った。
「サラ、読み込めたよ。
すごいね。細かく作ってあるよ。
このキーで前進だね。
砲門回転は……」
サラディンは、再び兄の横に座った。
「多分、ユーリも、サラからのメール、待ってると思うよ」