ウロボロスの守る罪4
ラヴィロアは、翌日、修道学院に入った。
ザエルは、その養育を一手に任された。彼は本来、典礼院の司祭であり、こういった場合の仕事は、本来は学院か、養育院が担当するべきである。
典礼司祭の彼が任じられたのは、五年ほど前まで養育院に属していた事と、ベィデノン侯爵夫人直々の依頼があったからである。
侯爵夫人は、普段の屈託の無い孫に戻すには、遊び仲間の中に放り出すのが一番良いと考えた。そして、暮らしになれぬうちは、少しでも面識のある相手のほうが好ましいだろうという上からの判断もある。
高級貴族の子弟には一般市民の子らと遊ばせる事自体、あまり宜しくない事だが、修道学院といえば、貴族の子弟も平等に学ぶ場である。相続と継承の件が落ち着くまで、修道会で必要な事を学ばせることは、むしろ有意義であろうと、総教主もそれに快く応じた。
ラヴィロアの住居には、騎士団でも、学院の領でもなく、総教主棟に隣接する学院にある館が与えられた。本来は外部より教授を招いた際の宿舎であるが、そこなら学院の幼児棟に最も近い。実際の世話には、ついてきた執事二人が担当する。
修道騎士団長とは、本来、三座に権力を分散させている騎士団の他の二座、守護院の院長であるマーブリック大司教と、修道騎士団総司令官の調整役が一番の職務である。
立っているだけで良い、などと言われるが、実際は、軍事面での早急な対応と、信仰面からの根拠の背反する意見の調整は難しく、修道会としての思想の理解は必須である。本来、軍事、神学双方に精通する者でなければ、正しい判断を行えるものではない。
現に、これまでの何代かのルーサザン公爵は、第三者として、司教資格を持つ参謀長なり提督なりを相談役としておいた。守護院長が提督職を兼任しているか、総司令官が司教資格を持っていれば、騎士団長としてはその分楽ができた。
現総司令官は、司教資格を持つ。
だから、意見のすりあわせには、大して労はいらない。
当面、教主職の誰かに後見を依頼すれば良いだけのこと。
むしろ修道会側としては、古家としての利益の観点からの意見を差し挟まれずに済む。
ラヴィロアが修道会に入った日、ザエルは早速、ラヴィロアをつれて、総教主棟に隣接する大聖堂に案内した。
そして神々に祈りを捧げ、ラヴィロアを祝福した。
それから、聖堂と、祈りについて教えた。
「それで、これまでの事で、なにか質問はないですかな」
ザエルが問うと、ラヴィロアは少し考えてから、まっすぐなまなざしを向けて、そして話し始めた。
一年前の、あの出来事について。
「どうして、ぼくの友達は、父君を亡くさねばならなかったのですか。
ぼくが悪いのに」
ザエル修道士は、両親を失ったばかりだというのに、人前では悲しみの陰さえも見せないその子供が、友達の肉親の死については深く傷ついている事を感じとった。
「ぼくの友達の家族は、とても真面目に生きていました。
とても温かい家族で、人を恨んだり、羨んだりせず、毎日をきちんと暮らしていたんです。
神々への祈りも欠かさずに、ほんとうにきちんと。
そしてぼくが遊びに行くと、友達のお母さんが焼いたお菓子もくれた。
なのに、友達はお父さんを失い、そしてぼくは大事な人たちを失った。
ぼくの事はいいんです。ぼくはぼくの悪い事に対して償いをしなければなりませんから。
だけど、それが神々の思し召しというものですか。
本当に大切にすべき人から、大切なものを奪ってしまう。
神々が最も愛されるべきは、日々の運、不運、晴れたり曇ったりのことに喜んだり、悲しんだりしながら、神々により良く思われようという事など考えず、自分の仕事に真面目に打ち込む者たちではないのですか。
ここで、神々の名を唱えて、美しい言葉で祈っていれば、神様は恵みをくださるのですか。
ぼくにはそれがわかりません。
どうして、ですか」
ザエルは返答に窮した。
信仰の本質について、まっすぐな心が問いかけていたから。
「ここは、それを学ぶ場です。
若様がそれに対して、十分な答えを得られるかはわかりませんが、私がお手伝いしましょう」
その返答は、ザエルの逃げであった。
まっすぐな、無垢な心が透けて見える瞳が痛かった。
傅かれて育った者が、最も弱者の痛みを語る。
幼い姿と拙い声で。
ザエルは祈りだけが神々の歓心を得る道だと思っていた。
それがザエルの信仰を否定する神の言葉のような気がした。
「ぼくのお父様とお母様が亡くなったのは、ぼくの罪のせいですか?
ぼくの罪なのに、母上はぼくを責めず、大切な友達のお父さんを責めた。
だから、神々は、ぼくからお父様とお母様を連れて行ったのではないですか」
「神々は、その息子たる古家の者を罪の代償となさることはありません」
「ならば、古家の者は罪を犯してよいのですか。
古家の者は、その負うべき罪を、他の者に受けさせて良いのですか。
ボクは認めたくありません。
そんな神々にご慈悲などあるのですか」
「あなたのご両親は、あくまで宇宙海賊の手に掛かった、その事実だけです。
神々がそれに対して、どのようなご意向をお持ちなのか、それをはかり知ることは我々にはできない。
神々は善悪も優しさもある、あなたのような小さい子を責めるような事はありません。
責められるべきは、あくまで宇宙海賊の者たちです」
ザエルは、そう諭した。
ザエルは、その日、総教主室に赴いた。
若君の滞在の報告のためであったが、来客中であり、一旦退出しようとした。
「待ちなさい、典礼司祭。公爵家の若君は、聡明でおいでだ」
総教主の客である若者が云った。
ノーダヴィダ大公イシス・クリファ。
今は無き古き王国、ノーダヴィダ王国の末裔である。
「猊下、わたしは彼こそ聖アムルテパン修道会の騎士団長にふさわしいと思いますが、いかがですか。
ごらんになっていたでしょう。
あの子の思いは、修道士そのものだ。
幼い、曇りのない心だからこそ、至った思いであり、もっとも聖ルーリアのご慈悲に近い。
あの子の前では、私など、今回お持ちした修道宣誓書をこのままお出しするのも恥ずかしいほど」
「イシス陛下。
何度も申し上げますが、私は陛下が修道士になる事をお認めするわけにはまいりません。
古家の者には、正しいつとめがございましょう。
時折、修道にいらっしゃり、神々の道について思想を深めることは自由になさってかまいませんが、絶対に、宣誓書を受け取るわけにはまいりません」
「じゃあ、こうしましょう。
今回は、私はこれを取り下げましょう。
その代わり、猊下は、あの子が公爵位を継承したら、即刻騎士団長に任じるべきです。
どうせ、いずれは任じなければならないのでしょう。
ならば、世間の水に染まる前に、あの心のままのうちに修道会が教育すべきだと思います」
「それが、神意でございますか」
「そういう事になりますね」
少年は、交差の剣に黒龍紋印が描かれるた騎士団旗の前に立った。
マーブリック大聖堂の中央の祭壇に、ノーダヴィダ大公イシス・クリファが聖典魔術師の装束で立っている。
臨席する者たちは、全員大司教の肩掛けをつけており、それ以外の者は誰もいない。
対するラヴィロアは、着慣れない堅いスタンドカラーや、ジャラジャラするモールや、その他の装飾が重いし、窮屈に思った。
「我、シェル=ダル=シャハールの名において、黒龍騎士団と新しき騎士団長に、我が聖アムルテパン修道会の守護の職を依頼する」
「つつしんで、はいめい、いたします」
厳粛な雰囲気に、あまりにそぐわないあどけない声だった。
胸に、騎士団の徽章をつける。騎士団旗と知恵の蜘蛛の修道会旗が交差して描かれ、その交点にお互いの尾を飲む黒龍と青龍のウロボロスがある。
「もうすぐ終わるからね」
大公が徽章を少年の胸に止めた。