ウロボロスの守る罪2
ラヴィロアは深夜に目覚めた。
海鳴りが、深い土の地面から死の王国の軍勢を呼び覚ます声に似ていたからだ。
ルーサザン公爵家の王都の邸宅は、孤島をまるまる領有するもので、居城は海に隣接する場所にあったので、絶えず海の音が聞こえる。
ハバドール星域にある領地の居城はドーム内にあり、天候をある程度再現できるとはいえ、疑似の設備にすぎず、ドーム不要の大気をもつ惑星上においての自然の風の音や、まして海の音などは、とても聞き慣れないものだったから。
ベッドの中で目を開けて、その音に聞き耳を立てていると、今度は雷鳴が轟いた。ラヴィロアはびっくりして、思わずブランケットを深く被った。
そしてそれを、アストレーデ神話のなかにある死の宰相の馬車の音だと勝手に思い込んだ。
両親を迎えにきたのか。
それとも、僕も一緒に連れていくの?
そうしてベッドの中で身を固くしていると、静かにドアが開いた。
ラヴィロアはその怖れている者が部屋に入ってきたのだと思った。
「ラヴィ、怖くはない?」
それは祖母の声だった。
祖母は、そっとブランケットを剥がした。
ラヴィロアは、祖母に云った。
「あの音、何ですか」
「ドームと違って、お空の神様は地上にいろんな恵みをくださるの。
風を使って雲を呼び、雲を呼んで雨を降らせる。
雨が降ったら、地の植物が喜ぶわ。
領地のように、人工降雨装置が無いから、すべて神様がやってくれるの。
風が強すぎると、海が大きく波を打つし、雲を急に動かすと、雷が鳴ってしまうの。
気にしなくていいのよ。
家の中にいれば、怖くないから」
祖母の声は珍しく優しかった。
「でも、すごく大きい音。
ぼく、ちょっとびっくりしたよ」
「そうね、慣れないと、怖い音かしらね。あちらの部屋に行きましょうか。
叔父たちの声がうるさいでしょうけど、人の気配があったほうが眠りやすいでしょう。
そういえば、ラヴィ、あなた、何も食べずに寝てしまったのね。
何か、用意させるわ」
祖母はラヴィロアの手を引いて、客間の隣の控え室に連れて行った。ソファにラヴィロアを座らせ、メイドにブランケットを出させた。
メイドがパスタ入りのスープを運んできた。
それを飲むと、お腹が温かくなって、先ほどの怖い気持ちは無くなった。
それからソファに横になって、再び眠くなるのを待つ。
メイドが、部屋の照明を暗くして出て行った。
従家の親族たちと祖母が話している声が遠くから聞こえた。
『まだ幼いじゃありませんか……、いま少し……』
『……あなたが、騎士団長職に……』
『…だから、……ロアがしかるべき年齢に……』
『代行は認めません……』
どうやら、ラヴィロアが公爵位を継承するには小さすぎる、という事について話しているらしいということは理解できた。
両親と一緒に、いつか行きたいと思っていた王都に居る。
王都にいるのに、父も、母も、抱きあげてくれない。
雷鳴が、再び近づいてくる。
眠りが、ラヴィロアを抱き上げる。
温かい光にふわりと包まれて、そっと手を伸ばすとロサ婆さんが忙しく手を動かして、純白のレースを仕上げていた。
「あら、若様こんにちは」
ラダックのお母さんが奥からお菓子を載せたお皿を持ってきた。
「私の手作りでよろしければ、どうぞ、若様。
うちのおチビちゃんたちのおやつですけど、ご一緒に」
温かいミルクの香りと、焼きたての甘いカップケーキの匂い。
「おかあさん、あの本で作ったの?
おいしい」
ラダックが云った。
「そうですよ、あのとき候爵夫人から頂いた本で作ったんですよ。
せっかくなら、若様のお口に合うものをと思って」
それは、公爵家の料理番の連邦風のケーキのレシピだった。
ひと口齧ったその味は、ラヴィロアがおやつに出される同じ焼き菓子とは明らかに風味が違う。
違うのだけど、とてもやさしい味だった。
そしてふと、冷たい上等の絹の布地が頬に触れる感触を思い出した。
時々逢う時に、頬に触れるお母様のドレスの胸元の感触。
母親に抱かれている時は、指輪や、ネックレスや、襟飾りを摘んで、もてあそんだものだった。
目が覚めたとき、部屋は光で満ちていた。
どうやら泣きながら眠っていたようだった。
……神様、僕は悪い子ですか……
キュッと枕にしていたクッションを握りしめた。
……お母様に会いたい、僕は、お母様に会いたい……
両親が亡くなったと聞かされ、そして領地から王都へと向かう旅の間、その事について考えていた。
ラダックからおとうさんを奪ったのはラヴィロアの母であり、そしてその原因を作ったのが自分にあるということを、ラヴィロアは充分理解していた。
ゆえに、ラヴィロアは素直に両親の死を悲しんでいいものか分からなかった。
あのとき、ラダック自身は、ラヴィロアに自分の父のことは一言も言わなかった。
僕がショックを受けるといけないと思ったラダックのことを思うと、親を慕って泣くこと自体が、とても罪深いものに思えた。
当然の子供らしい感情と、深い罪の意識の中で、ラヴィロアは飲み込まれそうだった。