ウロボロスの守る罪1(ラヴィロア7才)
かの事件から一年後、ルーサザン公爵夫妻が乗った高速船が宇宙海賊に襲撃された。
若君の身代金を支払った後、ラーフェドラス王国軍による大規模な宇宙海賊の掃討作戦があった。
その時に討伐された組織の残党による報復であった。
両親の服喪の間、ラヴィロアは王都サラ=オーディンティオスにあるホージュオン島の邸宅で過ごした。
邸内は弔問の客でひきも切らず、修道騎士団の者たち、修道士、司教、そして色こそ控えているが贅を尽くした喪服の貴族らが、入れ替わり立ち替わり、小さな喪主に挨拶する。
ラヴィロアはすっかりめまいがしそうだった。
田舎で祖母とまったりした生活を送っていたラヴィロアにとっては、そういう席はとても苦手で、ついつい視線が室内の装飾品とか、目の前にいる相手ではない者の服装とかに気を取られて、とても一点を見ていられない。
その度に、隣に座る祖母が、相手を紹介する仕草をしながら扇の陰でラヴィロアを窘める。
「……次なる騎士団長にご挨拶を」
決まり切った悔やみの言葉に続いて、少年にそう話し掛けた者がいた。
「ザエルと申します。修道会の典礼司祭でございます。
来週の騎士団葬の、手配を任されております。
若様には、お悲しみも大きく、今は何も考えるお気持ちではありませんでしょう。
一切は、我々が準備致しますゆえ、どうぞ、お任せくださいますように」
その修道士は、ラヴィロアをやや見上げるような位置まで跪いた。
「典礼司祭様。このたびは急な事ですのに、騎士団葬の手配を任されたとか。
宜しくお願いいたしますよ。
なにぶんにも、残されたのは、この年寄りと、まだ物の理もわからぬ子供ばかり。
なんとも心細くありますから」
「祭司は、猊下がなさいます」
「なんと、猊下ご自身に執り行っていただけるのなら、亡き公爵らにも慰めとなるでしょう」
沈痛な悲しみを帯びた声が、少しだけ変わったな、とラヴィロアは感じて、疲れてどんよりとしてしまった意識を、周囲に向けた。
修道士のやさしい眼差しが、ラヴィロアの、眠気をこらえている目に注がれている。
「ときに、候爵夫人、若様は、何時間この席につかれておいでです」
「午後からは、そう、四時間余りと」
「若様は、ずいぶん頑張られました。
私が養育を務めておりました学院の幼児など、三十分もじっとしていたら良いほう。
もちろん、お育ちの良い若様を学院の幼児らと同列に語る不遜など致しませんが、そろそろひと休みさせて差し上げてはいかがかと。
これから暫く、弔問客は、我々、修道士と騎士団の一群です。
若様には、我々はこれからいつでもお目にかかることができますゆえ」
「そうですね」
夫人の目がラヴィロアに向けられた。
普段は厳しい祖母の視線を向けられて、しっかりしようと頑張ってみるが、まぶたが重くて、どうしてもすぐにボーッとしてしまう。
夫人の手が、ラヴィロアの頬を軽く撫でた。
ラヴィロアは窘められるかも、と思い、また表情を引き締めようとしたが、できない。
「公爵というお役目を引き継ぐからには、幼子といえど、そのお役目に足る強い意志を育まねばなりません。
が、今日のところは頑張りました。しばらくお部屋でお休みなさい」
間もなく乳母が呼ばれ、ラヴィロアはつれて行かれた。
そして軽い食事が用意されたが、ラヴィロアはミルクを一杯だけ飲んで、そしてそのままソファーで寝てしまった。
ベィデノン侯爵夫人は、それからしばらくして弔問の席を外し、ラヴィロアの様子を見に行った。
窓の外に広がる壮大な夕方の海の景色は、侯爵夫人にとってはずいぶん久しぶりのものだ。
思えば、ホージュオン島の邸宅には、ラヴィロアを一度も伴ったことが無かった。
ラヴィロアはこの家で生まれたが、まだ歩き出すかどうかの頃に、夫人とともに領地住みになった。夫人の躾の厳しさに母がついて行けず、また祖母は祖母で病がちの事を表向きの理由に、次代の当主をきちんと教育したいと、ラヴィロアとともに華美な風潮が支配する当時の王都を離れた。
たぶん、王都で両親と暮らしていたなら、ラヴィロアは市民の子供と交流する機会は全く無く、貴族社会の偏った倫理観のままに育ったのかもしれない。
候爵夫人は、表向きドームの子供らとの交流を窘めながら、それを時折見ぬふりをしたのは、それなりの意図、つまりは、従来の当主とは別の意識をラヴィロアに育みたかったからなのだろう。
候爵夫人とて、若い頃はルーサザン公爵夫人として宮廷に仕え、絶頂期は前王妃の信頼厚き話相手の一人として、それなりの権勢を誇っていた時期もある。
その頃の宮廷は、一旦修道士として継承の座から退きながら、アストレーデの開示により玉座に就いた国王の統治下、今ほどの華美な風潮は無く、ましてや、いくら貴族の血筋にある子女とはいえ、娼婦とも等しき装いの者たちが堂々と華を競うような場所ではなかった。宮廷に侍る有力貴族の夫人らも、陰ではそれなりの顔を持って居ようと、洗練された礼儀と格式のある美しい振る舞いを心がけた。それは表面ばかりの取り繕いであっても、礼節を重んじる風潮に満ちていた。
あれこそ、宗主国として、アストレーデ諸国の頂点に立つ国家に相応しい宮廷の姿である。
宮廷は変わってしまった。
前時代の禁欲的な風潮の反動なのか、今の王は全ての事に対して派手好みで、現在の宮廷は享楽的な雰囲気に満ちている。
その風潮に息子である公爵夫妻が飲み込まれて仕舞うのは、宮廷を生きる手段とする身には仕方のない事と受け入れた。
しかしそれゆえに、ラヴィロアをそのような風潮が支配する王都で育てる子とは好ましいとは思えず、民に対する憐憫の情を育まねば、領地と民とを持つ古家の当主としての資質に関わると感じ、あえて領地で育てる事を選んだ。それは良識ある前国王と、前王妃に至近で仕え、公務にさえ付き従い、市民たちの暮らしぶりを見て来た者としては、当然の感覚であろう。
惜しむらくは、その頃は宮廷への出仕に忙しく、今、ここで無残な亡骸として棺に納められている当主の教育を使用人に任せっきりにした事だろうか。
息子である公爵は、聡明すぎず、野心も無く、あまりに凡庸に与えられた執務を粛々とこなした。自分の趣味の延長からか、流行の文化への援助を惜まず、埋もれた才能を発掘し、磨き上げる事に奔走していた事が、唯一、上流貴族として評価できる点であろうか。
当時も夫人は厳しかったが、ラヴィロアに対してのような隙を作らなかった。教育係に課題を命じ、たまに宮廷の務めの合間にそれを点検して、出来なければ厳しく叱った。
たまに会える母親に叱責され、あの子はどんなに傷ついただろうか、と夫人は今改めて思う。
可もなく不可もなく、過ぎた野心も持たず、甘言にも素直に応じる。身の回りの事にしか関心を持たない典型的な宮廷貴族。
その当時、自分は子供の全てを把握しているつもりでいたが、思えば我が子の顔をしっかり見ていたのか、いささか自信が無い。
ベッドの上で、ラヴィロアは可愛い寝息を立てている。
普段は、気を張って威厳を示し、貴族にふさわしい振るまいを叩き込むために厳しく接しているが、その実はこの小さなからだの少年が愛おしくてたまらない。
領地で、夫人の目を盗んで裏口から走り出るラヴィロアの姿は生き生きとしていた。帰ってきて夫人の小言を聞く時でさえ、うつむき加減でいながら、その瞳はいつも好奇心に満ち、キラキラと輝いている。小言が済んで、夫人が去ったとたんに、側にいるメイドたちに、だれかれ構わずその日見た物、出来事、自分の心で感じたことを、自分の言葉で、溢れるように話す。話すのが追いつかず、舌足らずになりながら、言葉にできないもどかしさにくるくると歩き回りながら。
侯爵夫人は、その声を背中でちゃんと聞いており、そしてその日々のなかで初めて知った。
こんな小さな子供でさえ、ちゃんと自分の考えを持っている事を。
亡き公爵を育てているとき、子供は自分の考えなど、まだ持っていないのだと思っていた。
だから、全て正しい事を、教え諭して、その全身に詰め込まねばならないのだと。
亡き息子に、その事を謝るべきなのだろうか。
夕景に染まる部屋にひっそりと座り続けていると、これほど可愛いラヴィロアと、突然の離別の時を迎える息子夫妻の無念に涙を堪えきれない。
客人の前では古家の女主人として振る舞っていた緊張の糸が、少し緩んでしまったのか。
ひとたび堰を切った涙は、そう容易には止まらなかった。