9 学校にばらまかれた『惚れ薬』
旧校舎三階の音楽室に体を滑り込ませて五秒後、いくつもの足音が廊下を通り過ぎていく。
「……はぁ、撒いたか?」
床に沈むと、疲れがどっと押し寄せる。十分休みのたびに囲まれては質問攻め。トイレにまでぞろぞろついてこられ、昼休みには「一緒にお弁当食べよう」と男女問わず数十人(明らかに別クラのやつもいた)に囲まれる。転校生ってこんな大変なの? 女を演じるだけでも疲れるってのに、このままじゃ精神を病みそうだ。
こんなに疲れてるのは、昨日寝れなかったせいもある。好きな女の家で一晩明かすんだ。緊張するなってほうが無理なはなし。でも、意識してるのは所詮俺だけで。ひなこちゃんは中センの介護に夢中で、俺なんかまったく眼中になかった。いまの俺は女の姿なんだから仕方ない。男の姿だったら、ひなこちゃんなんてかんたんに誘惑できるし。そうやってなんとか気持ちを落ち着かせようとしても、焦りはおさまらない。男の姿だって、ひなこちゃんが俺になびかないことを痛いほど知っているからだ。正直、落ち込む。
「一週間もやってける自信ねえ……」
「なあ、なあ、俺たちいっしょに逃げたからさ、今頃イチャコラやってんだろうってみんなに想像されてたりすんのかな?」
愚痴をこぼす俺の横で、小林はひたすら呑気だ。睨みたくもなる。
「なんでついてくんの」
「だって俺も囲まれるし、なんかみんなの目怖いし」
「お前がわざわざ目立つような発言するからだろ」
『小林どこ行きやがったー!!!』
バタバタ、また複数の足音が通り過ぎていく。
「……えへへ、ボコられないように守ってね、赤星くん」
……はあ、こいつはマジでバカだな。呆れていると、小林が急に神妙な顔つきになった。なんだよ、と声をかけると「シッ」と俺を黙らせ、音楽室のドアを静かにスライドさせて廊下に顔を出す。
「何か声しねえ?」
耳を澄ますと、微かにうめき声のようなものが聞こえる。てか、この声って……
「誰か倒れてんじゃね。助けねーと!」
「あ、おい!」
小林が廊下の向こうに走って行く。
ったく……
(俺、覗き趣味はないんだけどなぁ……)
しかし小林が声の主の方へ行ってしまったのだからしかたない。俺は重い腰を上げて、音楽室を出た。
小林は早々に声の発信源にたどり着いた。壁際で「おい」と嬉しそうに俺を振り返った小林に、俺もにやりと笑みを返す。やっぱりな。
ほとんど人が来ない旧校舎は、恋人同士でいちゃつける絶好の穴場だ。俺も何度か利用したことがあるんで、穴場の中でも最高の死角をいくつか知っている。そのひとつ、木製階段の下にあるちょっとした空間で、男女がいちゃついている。まったく、昼間っから不純異性交遊とは楽しそうでいいっすねぇ。ちょっと妬ましいのは、俺が最近ぜんぜん遊べてないからだ。俺の息子ときたら、ひなこちゃん以外にはまったく反応しなくなっちゃって……どうしよう、病気かもしれない。
「て、あれ? こいつらって……」
小林も同じことを思ったらしい。にやけ顔をひっこめ、焦ったように言う。
「中野って、柏谷に振られたんじゃなかったか?」
先月、中野めぐみが柏谷弘樹に振られた経緯はみんなが知っている。白昼堂々繰り広げられる中野のストーカーっぽい熱烈アタックを目撃しない日はなかったし、中野の猛攻から逃げまくる柏谷の姿をみんな哀れっぽく眺めてた。サッカー部の助っ人に行った時、「本気で悩んでる」と柏谷が俺に愚痴をこぼしたこともあった。
中野と柏谷が仲良くヤッってるなんて、だからあり得ない。
「おい!」
俺は中野の肩を掴んで、柏谷から引きはがした。中野が俺に気付いて、「ひっ」と声をあげる。乱れた衣服を引き寄せて肌を隠しつつ、「違うの!」と言い訳を口にする。
「柏谷くんはちゃんと私のこと、好きで。これは合意で!」
柏谷はイカれた人形みたいに「めぐみちゃん」と繰り返し中野を呼んでいる。俺と小林のことなど目に入っていないらしい。この反応、覚えがありまくる。
俺は構わず中野を壁に追い詰めた。ダンッと耳の横すれすれにグーパンを入れてすごむ。
「『惚れ薬』、盛ったでしょ?」
「ど、どうして……」
「誰にもらったの? 鈴蘭の生徒?」
「す、鈴蘭……? ちが、これは、みすずちゃんにもらったの!」
「みすずちゃん?」
「3年3組の、平松美鈴ちゃん!」
それだけ言うと、中野は俺の脇をすり抜け逃げて行った。
ある可能性が頭をよぎって、冷や汗が出る。
俺は窓から新校舎の方へ視線を向けた。
……ねぇ、ひなこちゃん。
うちの学校、ちょっとヤバイ事態になってるかもしんないよ。
❖◆◇◆❖
昼休み、中村先生に『惚れ薬』を注射した宮崎さんを生徒指導室に呼び出した。
昨日は彼女にとっても激動の一日だったろうし、今日は学校を休むかと思っていたけど、彼女はちゃんと登校した上に、私の呼び出しにも応じた。
不思議に思いながら生徒指導室で待っていると宮崎さんが泣きわめきながら入ってきて、ああ、なるほどと私は納得した。
学校に来たのは、誘拐された中村先生がもしかしたら学校に来ているかもと思ったからで、私に会いに来たのは中村先生が『謎の女』に攫われた不安を訴えるためだった。
……その『謎の女』、私なんだけどね。宮崎さんはまったく気づいていないようで、私の胸にすがって泣いた。
「どうしよう。軽い気持ちだったの。中村先生が一瞬でも私を好きになってくれて、恋人になってくれたらステキだなって。まさか、"魔女"に攫われるなんて」
自分に『惚れ薬』をくれた女と、中村先生をさらった女は同一人物。と、宮崎さんは思ってる。なんか雰囲気が似てた、と宮崎さんは言う。第六感で魔女の魔力を敏感に感じ取ったのかもしれないね。
その上で宮崎さんは『謎の女』を『魔女』であると断じる。『惚れ薬』なんて怪しい薬を、しかも本物を売っていたし、なにより格好が魔女っぽかったと。しかもほうきで空飛んでたし! と宮崎さんは興奮気味に語る。
「魔女は最初から中村先生をさらうのが目的だったのよ! それで、私に『惚れ薬』を使わせて、中村先生が抵抗できない人形に変わったところで横取りしに来たの!」
悲壮感ただよわせる宮崎さんは、自分が悲劇のヒロインだと言わんばかりだ。
彼女には悪いけど、私は吹き出しそうだった。
宮崎さんの立場からすれば、『惚れ薬』の売買から誘拐まで、同一犯による一連の事件に見えてもしかたないのかもしれない。しかし実際のところ、中村先生を誘拐したのは私っていうオチ。
でも私は何も知らない設定だから、「なるほど」と真面目くさった顔で宮崎さんの話を聞く。
「魔女とか、突拍子もないこと言ったのに信じてくれるの?」
宮崎さんは不安そうに私を見つめる。
「そうですねぇ。教師は生徒を信じるのが仕事だから」
なんてうそぶいてみる。なんかドラマの熱血教師っぽい。
基本素直っぽい宮崎さんは私の熱弁にすっかりほだされてしまったらしい。
「ごめんなさい!」
急に思いつめたような顔をして、机にぶつける勢いで頭を下げた。
「私、森山先生が羨ましかったんです。いつも仲良さそうだし、中村先生の森山先生を見る目が優しくて……その目で私も見られたいって思った。だけど、私は子供で、それだけで女として見てもらえない。だったら、一度くらい、無理やりにでもって……」
ふーっと息をつく。
「やり方は間違ってるけど、気持ちはわかります。好きな人を振り向かせるためなら、私だって薬にでも頼りたくなる。まあ、圧倒的にやり方は間違ってるけど!」
私は宮崎さんに注射器を提出させた。中村先生にぷつっとやった例のアレだ。
魔女はこの近くの商店街にある精肉店の前で占いを売っている。『惚れ薬』の注射器は、そこで手に入れたらしい。
「女子の中ですごい噂になってたの。ホンモノの『惚れ薬』が手に入るって。私もその噂聞いて、行ってみたってわけ。そしたらホントにいるんだもん」
「噂……」
てことはなに? 『惚れ薬』の効果を試した子は、宮崎さんだけじゃないってこと?
てっきり、中村先生だけが狙い撃ちにされたのかと思ったけど、そうじゃないらしい。悪い魔女はほかの生徒にも『惚れ薬』を流してる。いったい、何が狙いなの?
思案にふけっていると、落ち着かない様子で宮崎さんが聞く。
「ねえ、警察に通報したほうがいいのかな?」
「中村先生と最後に一緒にいたのは宮崎さんでしょ? 警察に通報したら事情聴取とか、宮崎さんも色々と困ったことになるかもしれないし、ここだけの話にしておきましょう。校長にも秘密です」
「でも、中村先生は……」
「大丈夫。彼の行方には、だいたいの目星がついてるので」
ていうか、中村先生はうちで丁重に保護してるんだけどね。ふはは。
宮崎さんのキスなんてひよっこだってくらい、すんごーいことしてんだから!
手ずからごはん食べさせたりー、トイレに連れてったりー、裸でお風呂に入ったり。
ほんとはいっしょのお布団で眠りたいけど、それはお泊り中の赤星くんに止められて未遂で終わってる。チッ。
不思議そうな視線を投げかける宮崎さんに、強気に微笑んでおく。
まあ、まかせなさい。
あなたの恋心に付け込んで、中村先生の心を弄んだ悪い魔女は私が成敗してあげるわ。




