4 記憶消さなかったのは気の迷い
尻餅をついて強張った顔で私を見つめる彼には激しく見覚えがあった。特徴的な赤髪。つい一時間ほど前にも見た子犬顔。彼は赤星颯太。うちのクラスの生徒であり、うちの部の部員。ソノテニモッタキカイハ、ナニカナ───?
「見たな?」
「いや、あの、えと、見てません」
「嘘つきめ! キエーーーっ!!」
「わああああああああ!!」
私はダッシュし、彼に飛びかかった。馬乗りになり、首を押さえつける。怯えた赤星くんの喉がごくりと鳴った。すかさず飛び出したジジが、革製ケースの端をくわえて赤星くんからスマホを奪い去る。ナイス・アシストだぜ、ジジたん。ぺっと横に転がされたスマホを、私は拾い上げた。ロックは解除された状態だった。
「なんだ、私の戦闘シーンは撮れてないじゃない。はい、消去っと」
「あっ、勝手に……!」
ハア───ひとまず危機は去った。
くそ、ひやひやさせやがって。こいつ、私を脅すつもりだったな。動画ちらつかせて、みんなに言いふらされたくなかったら俺と仲良くしろよ……とかなんとか言って私の体をもてあそぶ気だったのね! そんないかにも少女漫画のヒーローみたいな顔して、担任の先生を、そんな───
えっ。なにそのシチュ、萌える。
萌えはするが、このまま放置するわけにはいかない。赤星くんは「森山日奈子」が「魔女」であることを知ってしまった。その証拠となる動画はいま消去したので、YouTubeなりTwitterなりで動画を観たどこかの研究機関が私を捕まえにきて人体実験開始、とかいうルートは回避済み。だからといって、彼を放置するのは危険。「森山先生がほうきで空飛んでた~!」ってぜったい他の生徒に言いふらすし、学校でも目立つ存在の赤星くんの発言となれば、信じる子もたくさん出てくるだろう。たちまち騒ぎになり、まともに授業をするのも難しい状態に……その状況を重く見た校長から辞職を進められる。つまりクビ!
イヤーーーーーっ!
『目撃者』をつくる。それは「森山日奈子」と「魔女」を結び付けられないようにすることが前提のお遊び。
赤星くん、残念だけど君は『目撃者』として失格だ。中級魔法で『記憶喪失』になってもらうぜ───
ところが、これはどういう訳だろう。赤星くんの額に手を添えて、あとは呪文を言うだけだというのに私の口は鉛のように重く動かない。それはたぶん、赤星くんの目を見てしまったからだ。これから何をされるかわからないというのに、恐怖ではなく期待に輝く瞳。その目には覚えがある。幼い頃、夏の夜に初めて流れ星を見たとき、共に見た仲間たちのはこんな目をしていた。たぶん、私も。
流れ星って、本当にあるんだ。おとぎ話じゃ、ないんだ───
赤星くんはいま、現実の中にファンタジーを見つけて心を震わせているんだ。童心にかえったように、わくわくしている。その感動を強制的になかったことにしてしまうのは、あまりにも残酷だと思った。私は赤星くんの額から手を引っ込めた。
「赤星少年よ」
「は、はい」
「今見たことを絶対に誰にも言わぬと約束できるか」
「や、約束します!」
「ならば、今回だけは見逃そう」
私は運がよかっただけなのだ。たまたま助けた老人が神様で、お礼に魔女にしてもらえて、おかげで毎日わくわくさせてもらってる。
だけどその幸運を手にするのは、他人だったかもしれない。赤星くんだったかもしれない。彼らがファンタジーの住人になったことを、せかせか働いてる私は気づかない。それってすごく悲しいね。
気づいたときには、心の風向きが変わっていた。
ファンタジーのおすそ分けくらいすべきだ。多少のリスクを冒しても。
「やっぱり、ひなこちゃんは魔女なんだね」
興奮して声を上ずらせる赤星くんの頭にぽんと手を乗せ、私は不敵に笑った。
「〝現実は小説よりも奇なり〟なんだぜ、少年」
その後、地面に転がる黒ぶちメガネをいそいそと回収。どうせ伊達だからと格好良く投げ捨ててみたけど、探すのが大変だった。映画の中のヒーローたちはメガネ投げ捨てがちだけど、あれ、毎回探しに戻ってんのかな。だとしたらだいぶシュール。




