小話1 『名前』
前回の、穂香が境内を離れた時の文月丸の様子です。
あれこれ考えるのは穂香も文月丸も同じな気がします。その辺は不器用なんです。2人共。
~*~
「天狐様、どうしてホノカを傍におくのー?」
「ホノカの傍はねー、すごく気持ちいいのー。癒されるのー」
この小物妖たちが言うことがどういうことなのか、文月丸は理解しているつもりだった。
穂香の霊力はとても素晴らしく、かつて清めの巫女として有名だった穂実以上の逸材であった。
けれど穂香の魂は穂実のものと同じであると、気づくのに時間はかからなかった。
すぐに穂実の生まれかわりであると直感した。
容姿も似ている。なんなら声色も似ているかもしれない。
文月丸にとっては穂実が帰ってきてくれたような感覚だった。無理もない、それほどまでに愛していたのだから。
穂実を失って、文月丸は力の大部分を失った。封印された。
今の自分は天狐などではないことを、自分が一番よく分かっている。
そして、穂香の霊力があれば封印を解き、天狐としての力を取り戻せることも分かっている。
けれども文月丸には、穂香を穂実の代わりにするつもりはないし、利用する気もない。
「ホノカ、いい子なのー」
分かっている。そんなことは嫌というほど理解していた。
穂実とはまた違った、受け入れもし、突き放しもする。飴と鞭がちょうどいい具合に共存しているのが穂香だった。
穂香の隣は、居心地が良かった。
「みんなホノカ大好きなのー♪」
嬉しそうに、文月丸にそう伝えている小物妖たち。
彼らは生まれて間もない者か、元々力の弱い種族である。だから人間なのに珍しい霊力を持つ穂香に寄ってきているのだと思われた。
けれどこの数日、文月丸が見ていて思ったのは、小物妖は管原穂香という人物そのものに惹かれているのではということだった。
穂香は良くも悪くも妖を引き付ける。良い意味で寄ってくるのは小物ばかりだが、幻魔蝶のような例外もいる。
けれどもあの幻魔蝶は、文月丸にとっては何か引っかかるものがあった。
その存在を知っているような感覚。でも幻魔蝶なんて、片手で数えられるほどしかその存在が目撃されていない、稀少で高位な妖。文月丸でさえ見たことがなかった。
そんな存在が、今や穂香と契約をしている。
「あやつの傍におる幻魔蝶のあの模様… どこかで…」
「天狐様ー、あの蝶はね、ネロっていうんだってー」
「ホノカ、そう呼んでたのー」
契約をしたということは、穂香が幻魔蝶に名付けをしたということ。
文月丸には元々名前はなかった。
ただの狐神だった。豊穣と生命の。
穂実によって名を与えられ、神としての力がよりいっそう高まった。
名付けとは、特別なこと。
存在を示し、力を高められる方法。名付けには、ある条件がある。
名付けは、必ず人間にしてもらうこと。
「穂実……」
文月丸は、穂香に名乗っていない。
そして穂香の名前を呼んだことはない。
何故だか、穂実以外の女の名を呼ぶ気にはなれなかったのだ。例の件以降、人と関わることがなかったせいもあるが、名前を持つような妖にも会ったことがないせいもある。
異性のみで、同性は大丈夫だった。
穂香は不思議な子だった。
穂香になら、名を呼ばれても良いとさえ思った。
そしたら、自分も穂香を呼ぶことが出来る気がするのだ。
「天狐様ー、ホノカはー?」
「…は?」
「ホノカー、いないのー」
そう言われてはっとした。急いで辺りを見渡した。
境内に穂香の姿がなかった。ついでに穂香と戯れていた小物妖たちの姿も。
帰ったのか? いや、自分に一言もなしに帰ることは絶対にないと、文月丸にはその自信があった。
では襲われたか。探知もできる結界が張られているこの境内でそれもありえない。
穂香が、自分で移動した以外理由はなかった。
「…っ! 穂香!」
その時、文月丸が初めて穂香の名を呼んだ。力一杯叫んだ。
焦りから来る勢いであった。
けれどそんなことよりも、文月丸にとっては穂香がいないということが問題であり、焦る要因。穂実とはまた違った執着を穂香に対して抱いていた。
「どこに… どこにいったのじゃ…」
普段の文月丸からはありえないほどの取り乱しよう。小物妖たちも驚いていた。
何にも興味を持たず、感情を表に出すこともほとんどない。そんな文月丸が、だ。
そんな時、すっと優しい風が吹き抜けた。
何かを伝えるかのような風。この風が、吹いてくる方角は――――
「穂実…? まさか、お主が…?」
その方角は、穂実の墓がある方角だった。
偶然かもしれない。気のせいかもしれない。
けれど文月丸は、穂香を呼び、連れていったのは穂実なのではと思った。
そして、今自分を呼んでいるのも…
「もう、いなくなるな…」
文月丸は走った。走ったのなんて、何年ぶりになるだろうか。
何も起きていないと思ってはいるが、早く無事を確認したかった。そうでもしないと拭えない嫌な「あの日」の記憶が浮かんでくる。
穂実によく似た穂香まで失うことがあったら、文月丸は自分がどうなってしまうか分からなかった。
風が吹いてきた方から穂香の霊力を感じた。
穂香はやはりあの場所にいるのだと確信する。
仮に、穂香も穂実に呼ばれたのだとしよう。それは何故か。どうしてそこなのか。
穂実が穂香に何かをさせようとしているのか。色々な憶測が浮かんできて、候補を絞りようがない。
今後も、穂香を注意深く監視する必要があった。何が起ころうとしているのか、文月丸は知る必要があると思った。
「あ、天狐様ー!」
穂香に付いていったであろう、小物妖の声が文月丸に届いた。
それらの傍らにしゃがみこむのは自分が今探していた少女。何があったのかは分からなかったが、とりあえずは無事なようで、文月丸は自分でも分かるくらいほっとしていた。
「(心配させおって…)」
内心、そう思う。
今は、絶対に言わない。そう思いながら文月丸は穂香の傍まで歩みを進めるのだった。
穂香・・時と場合により、奥手になりポンコツに
なる。穂香の場合は、家族以外の心から
大切な人に気持ちを向ける時。
文月丸・・基本的に、感情に関する大体のことが
ポンコツ。
霊力や術に関することはピカイチ。け
れど今は力の大半を失っている。
小物妖たち・・とても素直。思っていることはち
ゃんと口にする。
それゆえに可愛がられる。