26.天狐の狐神3 ~突然の溺愛~
文月丸から渡されたブレスレットを手に、穂香はしばらく頭が回らなかった。
真夜中に、自分の家、部屋でというのも理由の1つだが、まさか渡されると思っていなかったものを渡されたからかもしれない。
嫌なわけではなく、もちろん嬉しかった。
それに、シンプルなものだが上品さもあって、穂香はすぐに気に入った。
では、混乱するのは何故か。
答えは簡単なことで、穂香にそういうことへの耐性がなさすぎることにあった。
今の今まで、恋愛に疎く好きな人の1人もいなかった穂香は、家族以外の異性からそういったものを貰ったことがなかった。
まだ少し困惑している中でも、穂香はブレスレットのあちこちに散りばめられている深緑の石に気がついた。
それが、文月丸の霊力が込められた結晶石であることも。
「文月丸様、これって…」
「前のは割れたと言うておったじゃろう? それに、どうせならただの石を持ち歩くより、それの方が自然に見える。我の手が届かぬ所にいる時に何かあっては困る」
守る為。全てにそれが理由付けられる。
その想いが伝わり、穂香は胸の内が温かくなった。
さっそくそのブレスレットを左につける。嬉しくて、何度も見ては何度も笑みがこぼれる。
文月丸が右手の人差し指をふっと動かす。
穂香の身体が一瞬浮いた。そしてすぐに文月丸の腕の中へとおさまった。
ぎゅっと力強く抱きしめ、首元に顔をうずめる。尾もゆらゆら揺れていた。
今までの文月丸の印象がまだ残っている穂香には、文月丸がそうしてきたことに驚きを隠せなかった。でも同時に嬉しさ、愛しさもあるので、それらを受け止め、相手の首に腕を回し抱きしめ返す。
「文月丸様」
「…なんじゃ?」
「大好きです。貴方を、心の底から」
そう言って穂香はふっと微笑む。
その言葉に、文月丸は何も言葉を返さなかった。
その代わりとでもいうように、穂香の身体に次々と唇を落としていく。
耳に、喉に、頬に、鼻先に、色々な所に何回も。
そんなキスの雨はなかなか止まらなかった。
身体はがっちりと固定されているので、身をよじるくらいしか反応を表すことができなかった。
2人しかいないとはいえ、誰も見ていないとはいえ恥ずかしかった。
「本当に… 愛い奴だ…」
最期に口にキスを落とす。
そんなに時間はたっていないのに、穂香にはとても長く感じた。
自分の周りだけ時の進みが緩やかなのではと思うほどに。
「時間がいくらあっても足りぬな…」
「そんなことないですよ」
「日がある時しか会えぬだろう?」
「それは…」
「人の世というのも難儀なものじゃな…」
人の世、というより文月丸は現世をよく知らなかった。
引きこもっていたせいでもあるけど、けれど妖の大半が文月丸のように知らないことの方が多い。
それぞれの領域をきちんと住み分けているという点では正しいことなのだが、穂香はなんだかもったいない気がした。
文月丸にその気があるならば、知ってもらうのもいいことなのかもしれない。
後に影響が出ない程度の付き合いは難しいかもしれないが、決して無駄なことではないと穂香は思った。
「では、文月丸様も今度一緒に出掛けませんか?」
「ん? 外界へか?」
「昔はよく村へ下りてきていたのでしょう? 今だってここにいるのだから、あの場所から離れられないってことではないのだろうし… ならたくさんの物事を見に行くことはできますよね」
別に、強制するつもりは穂香には全くない。ただ一緒にいたいという気持ちを伝えているだけだった。
自分の住む世界を知ってもらいたいという思いもある。
「それもよいな… 今の外を知るのも大事なことじゃからな」
文月丸は頷きながら同意を口にする。
引きこもったままでは、変わりゆく周囲を知ることなどできはしない。
強大な力があるなら引きこもったままでも大丈夫かもしれないが、それは自分の他に守る対象がいない場合のみ。何かあってからでは遅いと思うようになった今、外を知ろうとする文月丸の意欲は大きくなっていた。
自身すらも軽視していた今までとは違う。
簡単に見捨てられない存在ができてしまった。
ならば守る為の、相応の努力はしなければ。そういう考えが文月丸の頭の中に浮かんでいた。
「少し慣れておかんとな…」
「何をですか?」
「町へ下りるのなら人に変化しなければならん。昔とは違うのだから気をつけねば」
それもそうかと穂香は思い、変化とはどういうものなのかと想像する。
耳や尾がない姿になるのか。又は全く違う外見になるのだろうか。
少し新鮮な気もするし、ちょっと残念な気もする。
何がとは言わないが。
「その時を楽しみにしておきますね」
「穂香、おぬし…… 何を想像しておる?」
「いえ、別に」
「…………」
「あっ… ちょ、ちょっと、文月丸様!?」
元々抱きしめてはいたが、文月丸は穂香をさらに強く抱きしめる。
手は背中と腰に。胸元に顔を押しつけている。パジャマのボタンは、3つほどいつの間にか開けられていた。
文月丸によってがっちりと固定されているので、穂香は身動きがとれない。すごく恥ずかしい状況ではあったが、受け入れるしかなかった。
とても静かな自分の部屋で。
互いの心臓の音も、聞こえてしまいそうなほど密着した体勢で。
恥ずかしさと共に感じる幸福。
不意に感じた違和感と、甘噛みをされたような小さな痛みが胸元に感じた。
「文月丸様…?」
「我のものという印じゃ。仮の契約の意味もある」
穂香には見えていなかったが、穂香の胸元には小さな、3cm程の紋章があった。
見えていないことに加え、それが何かも分からない穂香が気づいた数日後に、恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら悶えることになるのだった。
「…もう少し、ここにいてもよいか?」
「かまいませんよ。今は、弟もいないのでややこしくはありませんし」
「穂香の弟も妖が見えるのだったな」
「弟は… 孝平は幼い頃からずっと見えていたらしくて… 文月丸様? どうしました?」
「……穂香。穂香の弟を悪く言うつもりはないが、少し、気をつけた方がよいじゃろう」
「どういうことですか?」
「良くない氣が漂っておる。弟が、というより弟に関係する“何か”じゃな。今は大丈夫なようじゃが、今後何もないとは言えん。何かあったら我に言うのじゃぞ?」
悪く言うつもりはない。その言葉は本当なのだと受け止め、穂香は頷いた。文月丸だから、感じ取れる何かるのだろうと思ったのだ。
いずれは、孝平にも会ってほしい。その思いは変わらない。
孝平に何かがあったとしても、文月丸を頼れば大丈夫だと思えた。
今のところは様子見すると言うので、穂香も賛同し、孝平との会話を増やしながら探ることにした。
「話すだけとはいえ大丈夫か?」
「いきなり核心を突くような真似はしないから大丈夫ですよ。でもそんなに悪い氣があるんでしょうか?」
「直接姿を見たわけではないから何とも言えぬが… この方向からよくない氣を感じる」
文月丸が示した先は、今いる部屋の隣。孝平の自室。
部屋の主がいない今でも感じられる氣。
よほどの何かが根付いている証拠でもあるそれを、文月丸に示されてから穂香も感じるようになった。
自分のこと以上に不安が生まれる。
何で今まで気がつかなかったのだろうというくらい、今、感じられているのに。
自分だけじゃなく、弟にも何かがあるというのだろうか。
「…大丈夫じゃ」
自分自身で言い聞かせるよりも何倍も安心できる。穂香はそう言ってもらえることが何よりも嬉しく、今欲しかった言葉だった。
文月丸が大丈夫だと言うのならきっと大丈夫。そう安心しつつも、万が一の時に備え、情報収集をしっかりやろうと考えた。
もちろん、必要になってくる術の習得もしっかりと。
これは雪宮家に通う回数が多くなりそうだと思った。
「あまり無理するでないぞ」
「……文月丸様、なんか… 変わりましたね…」
「ん? 何がじゃ?」
「いえ… なんでもありません」
甘くなった気がする。などとは言えなかった。…言えるはずもない。
意外というかなんというか… 悪いわけではないけども、穂香は上手い言い表し方を思いつくことはできなかった。
「(ま、いいか… 悪いことではないしね)」
幸せを感じることに深い理由なんてなくていいと考え、穂香は文月丸に身を預けるように体の力を抜いて寄りかかった。
文月丸が穂香を過度に甘やかそうとする理由の1つに、穂香が無意識に甘えてくるからもある。
消化しきれない感情が、お互い無意識下の行動に出ていた。
文月丸が穂香の頭を優しく撫でる。穂香は触れられるリズムが心地よくてうとうとし始めた。
結局、空が明るくなり始めるまで、2人が離れることはなかった。
「お邪魔かな、ボクたち」
「………」
「でも幸せそうなホノカを見ているのは嬉しいよね」
「………」
「ネロはさ、いつホノカとお話するの?」
「…マダ、モウスコシ……」




